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育児日記。育自日記。子どもにかける言葉で自分も励ましている。

子どもより長く生きているからって、必ずしも大人が正しいとか優れているというわけではないと思う。

ただ、少し長くこの世にいる身として「こんなふうに考えたらどうかな」といった想いをを子どもにさりげなく手渡すことはある。

最近、息子はパパと衝突しがちだ。
ちょっとしたボタンのかけ違い。
それぞれの言い分がちゃんとあって、どちらも間違ってるということはない。

お互い、相手の考えに自分の考えを合わせる必要はないと思うけど、理解しようと歩み寄る気持ちがあれば十分だと思う。

夫婦の間でも「相手のこう言うところはいや」というところはあれど100%はなくせない。それでもなんとかやっている。

パパは大人だから「おれは間違ってない。これでいい」で済ませられるけど、息子はまだ「なんでパパはわかってくれないんだろう」としょんぼりしてしまうし、激しくぶつかったあとは「パパの言い方はよくない。ママ、パパを怒って!」とお怒りだ。

こんなとき、私は息子に肩入れして息子の前でパパを怒ったりはしない。ただ、パパに「息子の話も聞いてあげて」と言うだけ。

息子が悪いと思うときは「パパに謝ったほうがいいよ」と勧めるときもあるけど、もう謝ったときや、謝る必要がないときは息子にはこんなふうに言っている。

「誰かを自分の思い通りにしようと思わないようにしようね。自分も誰かの思い通りになる必要はないのと同じようにね。」

なかなか難しいけど、誰かに乱されるもどかしさや不自由さから解放されるには、他人をコントロールしようと思わないに限る。この言葉はいつも私自身に突き刺さる。

そして、父親に否定されることの辛さを和らげてあげたいとき、前はよく「パパはきみのこと大好きだよ」と言ってたけど、なんだかこれは最近上手くハマらない。「パパはぼくのこと、嫌いなんだ」そう反論してきて埒があかないことがあったからだ。

息子は最近、パパやママに怒られたり何か言われて自信をなくすことがある。ぼくは、だめなんだ、そう思うみたいだ。なんとかしたいと思っていた。

行いや発言を正さないといけないことが山ほどあったからと言って、息子が愛されるべき存在であることは微塵も変わらない。だけど子どもからするとこのふたつの違いを理解するのはとても難しいと思う。

あなたのことが大好き、という気持ちと、試練を機に学んで成長してほしい、という気持ちを矛盾なく伝えるにはどうしたらいいかしばらく考えていた。そしてひとまずある言葉に託すことにした。

「自分の力を信じるんだよ」

ママは息子のことを信じている。けれど、誰かが自分のことを信じてるとわかったところで自分を信じられない限り、その人自身が勇気を振り絞って羽ばたくことはできない気がする。

自分のエンジンは自分に積むしかない。

誰かと衝突しても、誰かに否定されても、何度でも自分を見つけて立ち上がるには自分の力を信じるしかないのではないだろうか。

そんな複雑なことを息子が考えるようになるかは分からないけど、この言葉を合言葉にそういうもんだと思うことができたら。少し力が湧いてくるかもしれない、そうならいいな。

タイムカプセルに放り込むつもりで、小学校に向かう道すがら言っている。

「自分の力を信じるんだよ」

やれやれ。
実は、息子に投げかけるこれらの言葉に励まされているのは、何を隠そう私なのだ。

もうだめ、この先どうなっちゃうの。
そう思った時私もこの言葉を思い出す。

自分の力を信じるんだよ。

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