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ワーママ的「家庭内男女平等参画社会が到来しても手放すのは惜しい母親像」が童謡に!

子どもは体調が悪いとには甘えたになるし、私も甘やかしたくなる。

赤ちゃん向けの歌は久しく歌っていなかったのにうんと甘やかしたくなり、思い出して歌ってみると…


なんかママの存在でかくないか?

ゾウさんゾウさんだーれが好きなーの
あのね、母さんが好きなのよ

もやは父親ぞうさんの顔が思い浮かべられないくらい母子密着。

お母さん
なーに?
お母さんっていい匂い

この歌をご存知だろうか?
お洗濯の洗剤、卵焼き、そしてお母さん自体の匂いもいいと匂わせている。

お風呂チャプチャプ〜という歌も、タオルで追いかけてくるのは「ママ」だ。

雨雨降れ降れ〜の歌も傘を持ってお迎えに来るのは母さん。

眠れ眠れ〜母の腕に〜の子守唄はあまりに有名。

童謡を聞いていると子どもにとってお母さんだけいればよくないか?と不思議な気持ちになる。

現代のお父さんは、子どもに好かれお料理もお洗濯もお風呂も雨の迎えも寝かしつけもやってくれるかもしれない。

なら、歌も一番はお母さん、二番はお父さん、みたいな構成になるだろうか?

きっとならないだろう。
(なるかな?)

しまじろうの幼児向け教材は「お母さん」の呼称は出てこず「おうちのかた」と書かれている。

新しく作られる歌はお母さんという名指しは避けるのかもしれないが、昔から歌い継がれる歌はお母さんの世界観でいいと思ってしまう。それは私が女だからか?

そして歌を歌うとき母親っておいしいなぁと思う。

母親になって「お母さん」という歌詞の入った童謡を歌う時、何とも言えない「特権」を感じる。うんと子守をするパパさんが、例えば
「ゾウさん」を歌う姿を思うと気の毒だが、母親としてイケてない私がゾウさんを歌うとき「えっへん」と鼻が高くなる。

ゾウさんの歌に乗せて私のこと好きと子どもに言ってもらってる気になる。

私ときたらおいしい匂いの卵焼きも作れないくせに調子にのっている。

パパの家庭進出は大歓迎!
しかし、童謡の中の子どもが大好きなお母さん像はそのままであるといいなぁ、と私が歌ううちは思う。



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