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ワーママとキャリア。両立のためにしてきた選択を41歳にして振り返る。

仕事と家事育児でパツパツの生活に限界を感じる。

それなのに、こんにちまで生き延びてきたポイントを探ってみたい。


独身の頃の思考〜市場価値

独身時代に勤めた日系企業では、目の前の仕事以外のことはあまり考えていなかった。これがいけなかった。

新卒の会社で8年働きかろうじて外資系企業に転職するあたりで「市場価値」とか「雇用される能力」を考えるようになった。

ポイントとしては、求人が絶えずある専門領域で、もともと知識と経験がある人に有利で(参入障壁が高い)、海外企業が強い業界であったことが安心感に繋がった。

社会人3年目くらいでエージェントの門を叩いた時は、紹介される求人に一貫性がなく、給与も上がる見込みがなさそうで衝撃を受けた。単に経験が浅いだけかもしれないが、その後、たまたまの成り行きで専門性の高い職種に転向したことはプラスに働いたと思う。

ここまでは、サラリーマンとして生抜くための思考だ。しかし、そもそも、サラリーマンとして、仕事と家庭の両立を図るには限界がある。そんなことすら考えてなかった。

学生時代に将来を見据えた仕事選びと無縁に生きていたことが悔やまれる。例えば、手堅い国家資格を取るなど…。結婚願望がなかったことで出遅れてしまった。

家庭と仕事の両取りを学生のうちなど、早くから望むなら、手堅い国家資格が取れる学部を志望していただろうなと思う。

外資系時代〜結婚まで

結婚するまで奔放に仕事をしていた。毎日終電。海外出張もポンと行けた。生活リズムはめちゃくちゃ。

結婚しても、そのまま突き進もうと思っていたが、独身貴族的フランス人上司に言われる。

「結婚するのなら、仕事の時間を減らしなさい」

最初、「仕事時間を減らしたら仕事できなくなっちゃわない?」と思った。思考停止している残念な私である。

しかし、この上司はスゴい人である。

「仕事の内容を変えるのよ」

それから、この上司と二人三脚で、私は世界各地の仕事の同僚を鍛え上げ、資格認定して私と同じ仕事をできる人を育て上げ、仕事を分割して移管して、仕事のコミュニティーを広げて行った。

そして、資格認定のシステムや、人材育成のプロセスを確立していったのである。すると、どうだろう?

仕事時間は減っているのに、私への仕事の評価が上がっていくのを感じた。

この上司、やり手なのである。カリスマだ。
彼女からやり方を学ぶだけで平凡な私も仕事を高付加価値化することができた。

浮いた時間を活用して、私は別の仕事にもテコ入れをした。プロジェクトをしたり、いろんな分野に顔を出して「困ったら何かしてくれる人」的なポジションをゲットした。表彰される機会も増えた。

仕事の価値の高め方を考える楽しさで上司に心酔し、ハイになった私であるが、上司の退職とともにチームが解散になり、そしたら急に意欲が失せてしまった。今思えば、燃え尽き症候群だろうか?

オーソドックスな外資系企業でジョブディスクリプションが確立された縦割り的な組織で、新しいことを生み出す楽しみも行き詰まってしまった。

私は、視野を広げたいと同業最大手に移った。新卒時代から一度は働いてみたかった企業だった。カリスマ上司がいない状態で、自分の力を試してみたいとも思った。

外資系時代〜妊娠出産を経て

ワークライフバランスの評判がいい企業に移り早々に妊娠した。

安心感があり、子宝に恵まれる環境だったのだと思う。

子どもが欲しければブラック企業は避けるべし、たぶん。

産休取得から半年で職場に戻ると、横並びにみんなでいたと思っていた構造が一変、同期二人がリーダーとなり私はその下に位置することになった。

妊娠で出世レースから落ちたな、と思った。

しかしながら振り返るとその二人のリーダーとも、別に昇進などはせず後に異動している。

昇進は水物だ。予算や組織の様々な変動要因や上層部の事情でいくらでも変わる。そんなことも知らず、私は出世競争に乗ろうと躍起になり空回りしていた。

たくさんプロジェクトをして成果も出して表彰もされ職歴は充実していたが、キャリアの上で何かが進展したとは感じなかった。どこかで、今の仕事のままではまずい、と思い始めていた。

短時間勤務やコロナ前でも存在していたリモートワークのおかげで、そして、理解ある優しい人々に囲まれ形の上では仕事を続けることができた。そのことは感謝していた。

しかし自分の中では安定した基盤の上で慣れた仕事を高いレベルへと引き上げるために神経を使うことに疲れていた。それに、プロジェクトをリードするときの自分が偉そうにしている気がした。

今の仕事も来るところまで来てしまった、と思った。

家庭があっても、一から学ぶことをまた経験したくなったのだ。

大人しく順番待ちしていればよかったという人もいるかもしれない。けれど、ありものの古びた武器を振りかざす自分が、成長していない気がした。

というかやはり、出世競争、という舞台では私は役がないんだな、と自覚した。

そもそも出世競争を前提としたキャリア構築をしたいなら、最初の会社を厳選し、独身のうちに登れるところまで登っておくべきだったのだろう。この辺りも世間知らずが痛い。

外資系時代〜居心地の良い場所を手放す

手がけた仕事が社長賞を受賞したのち、全く新しいポジションに微妙に昇進して異動した。

これが、仕事と家事育児両立の肝となった。

その後第二子を授かり、2人の子どもたちの繊細な問題に振り回されることになる私には、この環境でないと働き続けられていないと思う。

追い風となった環境を挙げてみる。

日本チームは上司一人に部下一人。
全然出社しなくてもなんとかなる。
所属はアジア地域の組織で、リモート組織。
完全なる裁量労働。
中華系の国の祝日に仕事が静かになる。
プロジェクト単位で動くので時間の融通が効く。
予定を立てやすい。
拘束時間が細切れ。
キチンとパソコンに座ってなくても進められる仕事が多い。
人に仕事を進めてもらうのがメイン。

もちろん、いいとは言い難いこともある。

市場価値は不明、雇用可能性も不明。
ポジションがなくなる可能性がある。
限られた企業にしか存在しない仕事。
ルールが頻繁に変わり変化が大きいので知見が定着しない、常に学び続ける必要がある。
ビジネス上成果が出ないと自分の成果もない。
パフォーマンスが人に依存する。
不確定要素やコントロールできないことが多く、正直何をしてるか説明しづらい。
総合力勝負の職種で、今後のキャリアパスは未知。

こうして、企業内スキマ産業に定着した。

気付いたこと。

たまたま、その場その場で窮地を凌いできた。
計画性のない人生だと反省。

いわゆる、出世レースとか、女性活躍とは縁のない人生だけど、社会の端っこで仕事ができることに感謝している。仕事で出会った人たちにも、家族にも。

ここまで、苦悩はあれど、やりたいことをやってきた職業人生だと思う。

今後は恩送りや恩返しができれば…と思っている。

明日はどうなる?!

まさかの、結論。
本来必要であるはずの安定を求めて彷徨って、明日をもしれぬ不安定な場所に行き着いていたことが判明した。

💻

noteでいつも他の方の仕事観や家族観を参考にさせてもらっています。とてもありがたいです。

このnoteはどなたの参考にもならないかもしれませんが、こんなふうにならないようにしよう、とか、もっとこうしよう、といった具合にでもよいのでお役に立てば…と思っています。

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