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ワーママはつらいよ。何が辛いか言語化し、どうしたらよいか考えた。後編

前編はこちら。

何が辛いのか、をさらっと掬い取って並べたよ、という話。

人それぞれ、痛みポイントが異なるので、みんな同じことに辛みを感じているとは限らない。そう、ワーママだって千差万別なんだ。

この記事で結論した、辛さを抱えてもなお、生き抜くにはどうしたらよいかの私の考えはこんなんだった。今日は、この考えの実現のためのアイデアを書きたい。

自分の中から湧き出る力を蓄える、これが肝のように思う。

恥ずかしい自分でも生きていける、不完全な自分なままでも楽しく生きていける、わがままかもしれないと思っても助けてと言える、そんな自分になること。

辛い状況で幸せになることをあきらめずにいる力。

昨日の私の考え


底力をみせるとき

便利家電を充実させたり、シッターさんや家事代行をフル活用したり、仕事の生産性を高めたり、ワーママサークルで研鑽したり、どれも素晴らしい試みだと思う。そうしたことができるうちは、大丈夫。

でも、そんなパワーも湧いてこないほど疲れちゃって辛くて、自分がなんのために何をがんばろうとしているかわからなくなった時。

例えば、

子どもが癇癪で酷くあたってくる。
子から風邪をもらい熱があるのにワンオペ。
学校の先生と難しい話をしないといけない。
怒りすぎて子どもに笑顔を向けられない。
やり甲斐があった仕事で成果が出せない。
仕事の同僚や後輩に抜かれていく。

などなど。
底力を見せてやろう!と思う。

自分の中から力を湧き出させるには

どんな自分でいたいだろうか?
それが、自分の中から湧き出る力を引き出す質問だ。

便利家電とか処世術とか夫のマネジメントは、いわば、飾り。それらをなんとかしようと慌てふためくのではなく、自分の内側に問うてみたい。自分を信じる力を。

自分でも知らない力を私たちはみんな持っていると思う。使っていないだけで。

そこまで追い込まれた人は、必ずや、新しい自分に生まれ変わり自分を刷新することができる、と思う。

何を守り、何を捨て、何を得ていきたいかを決断し、実行し、前に進む。それが、自分に本来備わっている幸せになるための力なはず。

何もかも手放さなくならないといけなくなっても最後まで絶対残したい自分ってどんな人なんだろう?そう考えてみる。

どんな自分でいたいか、って?

例えば、私は自分がこの世から去る時「笑顔が素敵な人だった」と言ってもらいたい、とか。
例えば、私は何度だって立ち上がれる人になりたい、とか。
例えば、私は毎日感謝して眠りにつきたい、とか。
例えば、私はこれまで誰かにしてもらった親切の恩を別の誰かにコツコツ返そう、とか。
例えば、私は誰かと笑い合いたい、もいい。  
例えば、孫ができるまで肌艶良く健やかでいたい、とかも憧れる。
例えば、苦境にあっても人の幸せのために祈れる、なんかもいい。

なんでもいい。
こんな人間でありたい、と言う姿を思い描いてみる。

職業とか住んでいるところとか性別とか関係なく、どんな人になりたいかをひとつだけ。あの世に行ったら名刺も銀行口座もないのだし。

そしたら世界でたった一人の自分が願う自分になるべく、腹の底から力が湧いてくるのではないだろうか?それに任せるだけ。

自分を縛る余計なことはしなくていいと思う。日々やることが多すぎても、極力さぼり、なりたい自分に集中する。

もしも根源的な幸せに気づいて、前向きになれたら次に飾りの部分に着手したらいい。

なぜ、あり方が大切なのか

そもそも、誰でも、どんな時代にどんな国のどんな親のもとで産まれるか選べない。自分で選んでいるように見える職業だって、そもそも選択肢は限られている。産まれた瞬間になれないと決まっている職業がある。配偶者や子や上司や友人など、人生の登場人物も極小の確率で縁あって出会った存在に過ぎない。

極端に言って仕舞えば、今の人生の設定は神様から与えられた乗り物みたいたものではないか?それらに囚われすぎる必要があるだろうか?

その反面、あり方は完全に自由意志のもとにある。

八方塞がりになったらどんな自分でいたいか?を考える。

これってワーママの辛さだけではなく何にでも言えることかもしれない。

例えば、親と確執があるとか、子宝に恵まれないとか、独身で歳をとるのが怖いとか、病気が辛いとか、親の介護で疲れたとか、どんな局面でも同じように思う。

自分の中の力を引き出すことから始めたい、そのきっかけ

息子とのやり取りで気付かされたこと。

上手くいかないことがあると「もうやりたくない」と言う息子。でも、世の中は下手なりにやっていかないといけないことばかりだ。
そんなとき、私はよく言う。

「大丈夫、がんばったら上手にできるようになるよ!◯◯くんは、世界でたったひとりの大切で完璧な存在なんだ。あきめるなんてもったいない。」

言ってるうちに思えてきた。
これって私にも同じことが言えるの?

さすがに歳はとってるけど、できないことを嘆いても誰も助けてくれないし、自分で言ってあげることにした。

「私は世界でたったひとりの大切で完璧な存在。あきらめるなんてもったいない。」

もっとがんばる、ことは大切じゃない。
機嫌がいい自分?
ほんわかした自分?
猪突猛進な自分?

置き去りにしてきた自分を引きずり出して、睡眠と栄養をあげて元気をあげよう。

どんな仕事をしてても、どんな育児をしてても、わたしたちは何によっても誰によっても損なわれない、かけがえのない存在なのだから。

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