子どもの成長記録。幼い子どもとの些細な出来事は書き留めなかったら誰の記憶にも残らないから。
定期的に本棚を見直して、もう読まないものはメルカリに出したり捨てたりしている。
本棚には、古い手帳もある。
まだnoteを始める前に1週間に1度走り書きのような記録を残していた。
日々の記録は、保育園に向けて書いた日誌(途中からは連絡アプリ)につけてあるから、1週間のうち心に残ったことをつぶやいていた。
それをパラパラと見返していたら時間が過ぎていた。
お片付けあるあるである。
その中にこんなものがあった。
この、生春巻きを料理をしたことはよく覚えている。
私は包む料理が好き。
焼き餃子、水餃子、しゅうまい、春巻き。
生協にめずらしく生春巻きの皮があって、春雨とエビとパプリカときゅうりで生春巻きを作ったら美味しそうだなあ、とこれまためずらしく気合いを入れて生春巻きを作った。
夫は生春巻きが好きではない。
でも、一つくらいお付き合いで食べてくれるとおもったのに、わざわざ「好きじゃない」とか言わなくても。
私は傷ついていた。
夫は私の中でモテない認定された。
しかし、息子は違った。
好みにあったかは分からないけど、食べてくれて一緒に食べようと私に声をかけてくれた。
私は嬉しかった。
息子はモテる。
その日私は、そう確信した。
この、息子の言動を書き記しておいて良かったと思う。
春巻きを作ったことも、息子がかけてくれた優しい言葉も、いつか忘れてしまうかもしれない。
夫も、息子も覚えてなんかいないだろう。
ましてや、息子の優しさに私の胸がキュンとしたことも、誰も覚えちゃいない、というか、私以外の誰の記憶にも刻まれていない。
だから私はここに書くことにした。
息子が親の言うことを全く聞かなくなっても、親に生意気なことばかり言うようになっても、息子に宿っている優しさとキュンの素を私は握っている。
ちなみに、生春巻きはそれ以降作っていない。
近所のベトナム料理屋さんでいつでも食べられると知った。
けれど、いつか、息子がまた一緒に食べようと言ってくれるか試したくなって、作ってしまうかもしれない。
その時に仮に誰も一緒に食べてくれなかったとしても、私にはこの日記があるから大丈夫なんだ。
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