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凡人という覚悟

吾輩は”凡人”である。
才能はまだ無い。
というか今から身につける気力は到底ない。

おはようございます。
kohです。

私、やっと気づきました。
私って単なる”凡人”だなーと。

しかし、ネガティブな意味での”凡人”ではないんです。
だってそんなレッテルを自分に貼ったら
自己肯定感が下がると思うからです。
ネガティブ思考はいけません。

昔から自己啓発が好きで
本ばかり読んでいました。
(セミナーはお金と田舎にはこないです)
理想が高かった、傲慢でもあったからです。

友達からにはアイデンティティがないとか
大人のモラトリアムとか言われて
悔しかったのですが
なんとか人様なりに目立ちたい。チヤホヤされたい。
と欲を思っていました。
だから勉強や本ばっかり一生懸命でした。
このnoteだって初めは
すごく自分に期待していて
始めたのです。

実は苦しかったです。
自分はやれるはずだ。
と思っても周囲の評価がないのですから。
理想とのギャップに苦しみました。
こんな年ではもう普通は誰もいってくれないですし。
やったことに成果が、ラッキーにもビギナーズラックが出れば
そっれなりに嬉しいのですが・・・

よく、「あなたの正しいがすべての人の正しいではない」
人にと言いました。まさに私は正しいのブルドーザーです。
周囲の人の気持ちを捉えることができませんでした。
嫌な気持ちをさせた方もたくさんいます。
この場でお詫びします。
ごめんなさい。

なんで私は認められないのかな?
ずーっと考えていたのですが
単に特化した才能がないだけで
(やればそこそこやれると思いますが)
フツーの人なんだなと腑に落ちました。
気が楽になった瞬間です。

凡人には、できることと
できないことがあります。
天才、秀才ではないのですから。
でも、凡人なりのできることもあります。
それは「継続」や「自分の言葉で話すこと」などです。

謙虚な自分でいれたら
ナルシストな気持ちが湧いても
自分をコントロールできるし
やるべきことはたぶん見つかるし
何より穏やかにいれます。

”凡人”をネガティブに捉えないようにしたいです。
それは身の丈に合った幸せを見逃したくない。
人生を楽しみたいからです。
人にも嫌われたくないですし
忘れて無理をして疲れたくもないです。

”凡人”を認めるというのは
悲しい作業ではありますが
(遅い、単に自覚がない)
受け入れられると楽だと思います。(自己需要かな)
これからも憂がることなく
弛まずにnoteを描き続けられたら嬉しいです。

こんな私でもよろしくお願いいたします・・・。

今回はここまで、
また次のnoteでおあいあいしましょう。

おわり

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