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「聞くこと」

最近よく耳にするこの「聞くこと」についての
著書が増えています。

ほとんどの人が
「インプットの量が多くて
アウトプットの量が追いつかない」
と言われたりしています。

ひどいと「頭でっかち」など揶揄されて
しまうかもしれません。

私たちは「自己表現」を自身の成長のために
行うようです。それでも
みんながみんな自分のことを「聞いてくれ」と言ったとして、
聞く人の量はあらかじめ決まっています。

この「自己表現」過多の世界の中
ひっそりと存在しているのが「聞くこと」(傾聴)です。

私は聞く経験は2度ほど
あると思っています。

まずは、老人ホームの傾聴ボランティアです。
「そんな・・・他人の話聞いて何になるの?」
という気分で初めましたが
30分でもまともに利用者さんの話を聞くのは
私にとって大変なこと。
とても良い経験になりました。
ボランティアの中で「傾聴」のセミナーも
行いました。
2日だけでしたが
社会にで始めようとする私にとって
とてもかけがいのない体験です。
ボランティアの会の方々に
「ありがとうございます」と今でも言いたくなります。

2つ目は、今です。
特に母との会話にこの「傾聴」は役に立ちます。
別に親身になって聞くでもなく
適当にあしらうこともなく
母の言いたいことに「共感」できたら
母も満足してくれます。

また、職場や他の場で
「話の聞ける人」と目標を持っているのですが
そこまでの実績もなく
目下本など読んで勉強中です。

私が「傾聴」で注意したいことが2つあります。
まずは、悪口は言わないことです。
「悪口」ほど時間を奪う嫌なものはありません。
元メジャーリーガーイチローさんも
「悪口は言わない」と言っています。
その人を目の前にして言えないことは
悪口です。
こんな時間の無駄はありません。

二つ目が、
人の話に「ジャッジ」(きめつけ)はしないことです。
人は話など聞くと無意識に
自分のフィルターに情報をかけ
解釈してしまう認知の構造があります。
では「ジャッジ」の反対はなんでしょう?

それは「共感」です。

話をする人は
ディベート(討論)や意見を聞くために
話しているわけではそもそもないと思います。
人に聞いてもらって
その話を分かち合えることが
嬉しいのです。

専門的になりますが
「共感」「受容」「自己一致」があって
傾聴というスキルが活かせるのです。

これは心理療法家の大家
C・ロジャーズが普遍的(いつでも当てはまること)なことに
提唱した考えです。

ちなみに私は今日も
そんなに職場でも話はしておりません。

そんな日だからこそ
一人「傾聴」の本を読んで
1日の振り返りに
ささやかながら勤しんでいるところです。

今回は「聞くこと」について
述べてみました。

確かに「聞くこと」は今の社会では
ブルーオーシャンです。

「市中の山居」のつもりで
いきたいと思います。

それでは また
おわり

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