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思い出を掘り起こして、20年越しの感謝を。

大人になって忙しい日々の中で、
大切だったたくさんのことを
きっと忘れてしまうから。

私の記憶がハッキリしてきているのは、
幼稚園くらいのころ。
兵庫県の、海が見える町だった。

いきさつなんてわからないけれど、
仲良くなった友達がいた。
一緒に遊んだ日もあったし、
ひとりで遊んだ日もあった。
私はグループにこだわらない性格で、
「やりたいことをやる」子だったから、
いろんな子と遊んだ。
ずっと一緒だと思ってた。

小学校1年生の夏休み前、
引っ越すことを告げられた。
わずか3か月しか着なかった制服。
狭くてあたたかい世界から
無理やり切り取られる生活。

おぼろげな記憶だけど、
確か姉は泣いていたように思う。
私はただきょとんとしていた。
なにが起こるのかわかっていなかった。

引っ越した先は名古屋。
海も、山もない街。
お寺の近くのおしゃれな街だった。

急に引っ越したことで、
文化の差にとてもとまどった。
なによりも困惑したのは
言葉の違いだった。
「ぬくい」も「あかん」も通じない。
「傘」も「犬」も発音できない。

小学校1年生に、
これはけっこう、厳しかった。

"小学校"も慣れないのに、
"関西以外"も慣れないのに、
ことばが、違うなんて。

子どもは異物にきびしいと思う。
両手を広げたくらいの世界だから
しかたないとおもうけど。

自動的に、私はひとりになった。

本を読むのも、鉄棒もすきだったから
ひとりでも別になにも思わなかった。
たぶん。

今となってはわからない。
かなしいも、さみしいも、
持っていなかっただけかもしれない。

そうして3年生になった。

先生のはからいで、
「友だち10人いじょうとあそぶ」ことになった。
しだいに、話せる人が増えた。
グループにこだわる女の子にはなじめなかったけど、
似たような、さばさばした女友達ができた。

今でもおぼえている、
ドッジボールで、同じチームで、
内野で、ボールを目で追いながら
「ねぇ、」

「私たち、親友だよね」

20年以上前だけど、今でも覚えている。
誕生日会を開くことを禁止していた我が家は、
友だちから誕生日プレゼントをもらえなかったけど、
彼女は廊下でカードをくれた。

"あなたの親友ナッコより"

そのカードは今でも手元にある。

かけてくれた言葉のことも、
くれたカードのことも、
きっと彼女は忘れているんだろうけど、
今でも私は、覚えている。

この名古屋で過ごした5年で、
ともだちと、「さみしさ」を学んだ。
きっとここで友達ができなかったら、
寂しいという感情に気づくのは
もっと先になっていただろう。

それからまた、兵庫県にもどり、
大阪の高校に行き、
奈良の大学に行き、
イギリスに留学し、
そして就職で東京にいる。

あれから何年も過ぎたし
たくさんの人に出会ったし
1年1年、1日1日、積み上げたものが
今のわたしになっている。

幼いころ思い描いた未来とは
大きくかけ離れているけれど

人との出会いは自分を変える。
それも、予想外の方向に。

彼女はきっと忘れていても
私に「寂しさ」を教えてくれたのは
まぎれもなく彼女だと思う。

喜ばしいことに、20年以上のブランクがあっても
昨日のことのように
彼女とは話すことができている。

日々の忙しさの中で
持っているものを見失うことはあるけれど
"なにもない"なんてことはない。

今の自分がきっと自分にとっての
「最適解」であるはずと信じて。

大きな感情を与えてくれた友人に
多くの感謝を。

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