日本の保守とリベラル

 テレビやネットの記事で読まれるような「保守」や「リベラル」と言った言葉に対し、どうにも釈然としなかった。言葉は聞くものの、その意味を教えてくれる場がないからだ。

 その後いくつかの著作を経て、「保守」、「リベラル」がともに深い思想的裏付けを背負った言葉であり、かつ互いに対立する概念でもないこと、現在日本で使われるその言葉はせいぜい「右派」「左派」程度の言い換えに過ぎず(この右派、左派という言葉も曖昧模糊としたものだが)、理論的背景を捨象した上で語られていることがわかってきた。

 本書は、この「保守」と「リベラル」に対して改めてその思想を確認した上で、これまで日本において「保守」と「リベラル」が見出だせる地盤があったのか、また今後「保守」「リベラル」が実現するような社会的な可能性があるのかを検討したものである。

 著者(宇野重規)は、「保守」とは「抽象的な理念に基づいて現実を根底から変革するのではなく、むしろ伝統の中で培われた制度や慣習を重視し、そのような制度や慣習を通じて歴史的に形成された自由を発展させ、秩序ある漸進的改革を目指す思想や政治運動」として定義している。また、「リベラル」とは「他者の恣意的な意思ではなく、自分自身の意思に従うという意味での自由の理念を中核に、寛容や正義の原則を重視し、多様な価値観を持つ諸個人が共に生きるための社会やその制度づくりを目指す思想や政治運動」として定義している。
 つまり、「保守」は権威主義的な伝統や復古主義に固執するのではなく、「自由」という理念を追求するための思想であり、急進的な改革はむしろ「自由」を侵害する恐れがあるため、伝統的な秩序を重視していくという立場なのだ。保守派の祖とされるエドマンド・バークはイギリスの絶対王政を批判する一方で立憲君主制を擁護し、保守主義の立場を明確にした。
 「自由」を擁護するために保守主義が存在するなら、歴史的な流れが異なるとはいえ、結果的にリベラリズムと保守主義は対立するどころか、むしろ親近性のある思想といえるだろう。では、リベラリズムの考える自由とは何か。

 著者は「自由」の理念を「自分自身の意思に従うという意味」として定義している。そこには自由という言葉の持つ多義的な意味を整理する意図がある。「自由」は欧米におけるlibertyとfreedomの翻訳語として採用された言葉として日本でも定着しているが、そもそもそれ以前、古くから使われた言葉である。

 もともと中国から入ってきた「自由」という語は「専制的で恣意的な振る舞い」を指す言葉として否定的な意味合いがあったが、その後仏教的な意味での自由、つまり「思うままになる」「束縛や障害がない」というプラスの含意も込められるようになった。
 結果として、今日私たちが「自由」という言葉を用いる際、日本伝統の「好き勝手」や「わがまま」といった否定的な含意や、「束縛や障害がない」という意味がつきまとっている。

 一方、西欧における「自由」の根本にあるのは、「他者の恣意的な意思ではなく、自分の意思に従うこと」という理念だ。それは自律の理念と結びつき、古代ギリシア・ローマから近代の欧米に至るまで、常に重要な人間的価値の一つとされてきた。「自由」の持つこの側面こそが、近代日本において「自由」を考える上での最大のつまづきとなっただろう。
 また、「自由」から派生する「リベラリズム」という概念はもともと、「気前の良さ」「寛大さ」を意味する「リベラルな」という形容詞から生じている。その意味で、「リベラリズム」の中核には、他者への配慮や寛容を重視する道徳論がある。「リベラリズム」とは本来、自分自身の利益ばかりを顧慮する利己主義や、他者からの分離ばかりを強調する個人主義とは一線を画すものだった。やがて「リベラリズム」は19世紀以降、まずは政治論に、さらに経済論の領域へと拡大するが、その過程で「リベラリズム」の意味内容も変化して行き、「古典的リベラリズム」と「現代的リベラリズム」の区別も生じていった。
 時代を経て多義的な意味をようするようになった「リベラリズム」だが、その理念において継承されるものがあるとすれば、それは一人ひとりの人間が、他者の恣意的な支配を脱し、自らの意思で自分の人生を自律的に選択できるべきである、という理念である。これに、一つの立場に固執しない自由な姿勢や、他者への配慮や多様性の尊重、寛容の理念が加わったものが、「リベラリズム」の基本形となる。

 日本において「保守主義」や「リベラリズム」がどのように受容され、今後継承されるかという本書の核となる点について、タイミングがあれば触れてみたいが、ここでは今回は触れないでおこう。本書はわかりづらい、さらに誤解されがちな「保守主義」や「リベラリズム」といった政治思想に対する思考整理ができて、大変学びのあるものだった。自分にとって「自由」や「保守」について考えることはそれほど身近なことではなかったのだが、改めてそれらの思想への親近感を持ったし、いわゆる革新や権威主義とは異なる政治的位相の概念として、今後も思考していく材料にしていきたい。

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