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死によって失われるものは「現在」だけだ【超訳】自省録17日目

・今日の超訳

君が長く生きようと、早く死のうと大事なことは次の二つのことだけだ。一つ、今の我々の生も死も、過去にあった出来事を同じ周期で繰り返しているに過ぎないということ。一つ、死によって失われるものは、今この一瞬だけであるということ。過去も未来も、決して失うものではないということ。

・引用原文(第2巻14章より)

「たとえ君が三千年生きるとしても、いや三万年生きるとしても、記憶すべきはなんぴとも現在生きている生涯以外の何ものを失うことはないということ、またなんぴとも今失おうとしている生涯以外の何ものをも生きることはない、ということである。」
「したがって、もっとも長い一生も、もっとも短い一生と同じことになる。なぜなら現在は万人にとって同じであり、我々の失うものも同じである。故に失われるときは瞬時にすぎぬように見える。なんぴとも過去や未来を失うことはできない。自分の持っていないものを、どうして奪われることがあろうか。
「であるから次の二つのことをおぼえていなくてはいけない。第一に、万物は昔から同じ形をなし、同じ周期で反復している。したがって百年見ていようと、二百年見ていようと、無限にわたって見ていようと、何の違いもないということ。第二に、もっとも長命の者も、もっとも早死する者も、失うものは同じであるということ。なぜならば人が失いうるものは現在だけなのである。というのは、彼がもっているのはこれのみであり、なんぴとも自分の持っていないものを失うことはできないからである」岩波文庫 神谷美恵子訳 自省録より

・ちょこっと解説

・自らの子供を、早くして失い続けたマルクス・アウレリウスの言葉ゆえ、重みが違う。

・どれだけ長生きであっても、短命であっても失われるものは同じという、よくよく考えれば当たり前のことを小生らは忘れてしまいがちである。生きてきた過去、思い出、そしてこれからの未来。ことごとく死によって奪い取られてしまうような錯覚をする。

・デカルトの「われ思う故にわれあり」。ラッセルの「地球五分前誕生説」。それらが示唆しているように、過去はもうすでに、不確定なものなのだ。本物か偽物かどうか、確かめようのないものである。それならば失うことを恐れる道理もない。未来についても同様である。

・イブン・ハルドゥーンは「歴史序説」において、歴史(=王朝)は、同じ周期を持って興亡を繰り返すことを看破した。それよりも千年も遡るマルクス・アウレリウスも同じような感覚を持っていたことには驚かされる。

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