キャンプに行かない vol.4(4月上旬)

考えてみれば、すごくひさびさのワンデルングだった。

時刻は21時を過ぎたころで、「カウンターに三人ぐらいかな」と予想を立ててお店のドアを開けると、ちょうど三人の男女が奥から順に座っており、扉を開ける僕の方を見た。

「ああ、いらっしゃい」

大さんがカウンターの中から声を掛けてくれる。「こんばんは」と僕は大さんに挨拶をしてから、席に座る三人に会釈をした。


以前も書いたが、ワンデルングは夜だけ営業している西荻窪の喫茶店である。大さんはワンデルングのオーナーでもあり、毎週金曜日は店主としてお店に立っている。

「ここに来るのは久しぶりだっけ」

「僕もそれちょうど考えてて。たぶん、一年ぶりです」

入り口のそばに立ってそんなやりとりをしていると、カウンター席の三人が少し椅子を詰めてくれた。

「すみません」

僕は三人の隣に座ることにした。


ワンデルングの一階は、五人ほどが座れるカウンターだけでほぼ構成されている。

それ以外は入り口のドアの横に二、三人が座れるベンチがあるぐらいで、人がいっぱいになってくると階段に座りこんだり、先にいた人が後からやって来た人のために席を空けたりと、その場にいる人たちが気を遣いあって対応する。

カウンター席と背中側の壁の間にも十分な隙間はなく、トイレに立つときは必ず他の席の人の協力が必要なほど、小ぢんまりとしたお店である。

そんな場所だから、初対面であっても隣の人と自然と会話をするようになる。僕が来たことがあるのは数えるくらいだけれど、ここで出会った名前も知らない顔見知りが何人かいる。

喫茶店と名乗りながらも、ワンデルングがときどき「小さなバーのよう」と形容される理由は、きっとこのへんの距離感にあるのだと思う(大さんはむしろ「スナック的でありたい」と言っていたけれど)。


席につきカウンターの中を覗くと、大さんが瓶ビールを取り出して開ける準備をしており、「あっ」と声が漏れた。

「あれ、違った?」

「いや、あー……いえ、合ってます。ビールでお願いします」

僕が慌てたのは、本当はコーヒーを飲もうと思っていたからだった。隣の三人もみなコーヒーを飲んでいる。


四年ほど前に、新田さんと待ち合わせをして初めてワンデルングを訪れた際、いつまで経ってもやってこない新田さんを待ちながら、僕はこのお店での正しい過ごし方がわからなかったのとちょっとした緊張感で、やたらとビールを飲んでしまった。

会計のときに大さんに「ワンデルングでこんなにビール飲む人いないよ」と笑われて、そこではじめて「なるほど、ここはあくまでも喫茶店で、基本的にゆったりとコーヒーを飲む場所なのだ」と理解し、恥ずかしい気持ちになった。

ワンデルングの醍醐味は、限られたスペースで、夜中にコーヒーを飲みながら、店主と話したり、そこで知り合った人と対面せずにお喋りできるところであると正しく理解したいま、今日こそは夜のコーヒーを満喫するつもりだった。

「どうぞ」

なんの事情も知らずにビールが目の前にやってきた。このまま飲むのはビールにも申し訳ない気がして、僕は先ほど慌てた理由を大さんに打ち明けた。

「別に、好きなもの飲めばいいのに」

大さんは半分呆れたように笑ってから、カウンターの中で自分の分の瓶ビールを開けて飲んだ。隣の三人もそのやりとりを見て笑っていた。久しぶりの場所で飲むビールはおいしかった。



「新田くんって、寛容じゃないですか」

23時を過ぎ、人がいなくなったワンデルングのカウンターで大さんがそんなふうに話しはじめた。

話しづらいことを切り出すとき、大さんは敬語になることがある。普段は「ニッシン」と呼んでいる新田さんのこともいまは君付けだ。

「そうですね。寛容というか、細かいことにこだわらないというか、どうでもいいことの幅が広いというか……」

「うん。そういうところに甘えて……甘えてっていうのかな、この前ね、出さなくてもいい感情を出しちゃったんですよ。普通はどんなに仲のいい人であってもそんなことしないのに」

「爆発しちゃったってことですか? で、大さんのほうがあとあと引っかかってるっていう」

「うん。だからそれをいつか謝らなきゃいけないなと思ってて」

そう言って大さんは小さくため息をついた。

大さんと新田さんは、付き合いの長さゆえの理解と、その反面、かえって向き合うことが気恥ずかしい状態が同居しており、大さんの心情はなんとなく想像できた。

「そのことかどうかわからないけど、新田さんもこの前言ってました。『大くんは自分にはわりとなんでも晒け出してる』って」


四月の頭にCampの事務所を訪れた際、大さんがちょうど別の要件で不在だったため、新田さんと、Camp一号社員の澤木ちゃんが出迎えてくれて三人でテーブルを囲んだ。そのときにちょうど大さんのことが話題に上ったのである。

「大くんは暗い部分を持ってるじゃない。こう、渦巻いてる感じの暗さ。大くんと会ったのは20歳の頃だけど、そのときから世の中を呪ってるところがあって」

新田さんが楽しげに話を振る。

「うーん……僕はあんまり感じたことないですけど」

「人にはそんなに見せないよね。でも、鬱屈としたパワーは感じるでしょう。カラッと晴れてるわけじゃない。けど悪感情ってわけでもなくて、そのどろどろした中に愛があるんだよね、彼の場合。世界の良いことばかりじゃない側面の方で、行き場のない情緒を大切にしてるっていうか」

読み慣れた台本を音読するかのように大さんの性質を次々に語る新田さんは、どこか誇らしげでもあった。


「大さんは研究対象としておもしろいですよね」

新田さんの発言の意図を汲んで、澤木ちゃんが補足した。

「そう、興味深いんだよね。物事の愛し方とか。尊敬する」

「うんうん」

澤木ちゃんと新田さんの二人は、澤木ちゃんがCampに入社する前から仲が良く、立場だけ見れば創業者と社員という関係性であるにも関わらず、自然な話し方をする。もちろん、澤木ちゃんの屈託のなさによるところも大きいんだろうけど。

「でも私は、新田さんと大さんだったら、大さんの方が似てると思うんですよ。性格的にも。感情型だと思います」

「そうだね、俺は感情の振れ幅は少ない方がいいと思ってるから」

「新田さんはあんまり感情論でものを言わないから大さんも私も安心して話しちゃうんですよね。なんでもかんでも」

このあたりは似ている認識があるからこその感覚なのだろう。澤木ちゃんは大さんの気持ちを代弁するように語った。

「大くんは、俺にはわりとなんでも晒け出してるところあるよね。そういう意味でも、俺はやっぱり、性格が反対の人の方が相性いいと思うんだけど」

「でも、いざ二人がぶつかっちゃうと大変なことになっちゃうから……」

「そう、そしてその度に澤木さんがうまいこと調停してくれるっていう」

新田さんはきまりが悪そうに笑いながら澤木ちゃんの方を見やり、「ごめんね」と目配せをした。

「なるほど、澤木ちゃんが調停者なんですね」

「だって、平和な方がいいじゃないですか」

二人の会話に感心して僕が感想を述べると、澤木ちゃんがそう応じた。「別に新田さんや大さんのためではないですよ」というニュアンスをしっかりと含めながら。


「それに新田さんも大さんも、それを有難がってくれるのがうれしいんですよね」

なかなかどうして、澤木ちゃんのこうした絶妙な距離感での物言いが、きっと普段からあらゆる事態を丸く収めているのだろう。

衝突することも多いであろう創業期の二人にとって、こうして自然と間に入ってくれる存在はかなり大事なはずだ。


少し間をおいてから、僕は少し意地の悪い質問を新田さんにしみてた。

「……でもやっぱりぶつかるときはぶつかっちゃうんですね。二人はもともと友達なわけだけど、その辺の関係性が壊れることを気にしたりしないんですか」

「うーん。大くんの方はわからないけど、自分としては大くんは居心地がいいんだよね。ただ、とにかく意見が合わないっていうね。それだけ。厄介な関係だよね」

新田さんはそう言って笑った。新田さんもよっぽど変な人だと思いますけど……とは口には出さず、僕も新田さんの後に笑った。

「結局Campは善人ばっかりなんですよ」

言葉と裏腹に、澤木ちゃんが呆れたような口調で言うのがさらにおかしかった。



「……Campは善人ばっかりだとも言ってました。澤木ちゃんが」

もうすぐ閉店を迎えるワンデルングで、片付けをする大さんに僕は伝える。

「ああ……うん、それはそうかもね」

大さんは一瞬考えてから、柔らかく笑みを浮かべて答えた。僕たちの間でなされた話については知る由もないだろうけれど、僕はそれ以上特に説明をしなかった。


大さんの話、そして新田さんと澤木ちゃんの話を聞いていて思い出したことがある。

つい先日、「石崎くんって誰かと腹割ってケンカすることってある?」といった質問を受けた。少し考えて、そのとき僕の頭に浮かんだのが、いま一緒に会社をやっているメンバーの顔だった。

質問を受けて彼らの顔が思い浮かんでだとき、僕は少しほっとした。


僕たちの会社はもうすぐで創業して十年になる。

僕を含む創業メンバーの四人は、会社を作る少し前から合計して二年くらい一緒に住んでいた時期があり、仕事のことで意見をぶつけ合うこともあれば、茶碗にご飯粒が残っているとか、ドアを閉める音が八つ当たり的だとか、そういった小さなことでもやたらと衝突していた。

そんな時期を乗り越えて、いつの間にかお互い裏表なく話ができるようになった。

僕はもともと、どちらかと言うと、なんでも言い合える関係が一番素晴らしいとは思わない人間だ。

会社の人たちと関係になったのは、あくまでも創業期のバタバタを乗り越えたあとの偶然の産物のようなものだし、話さない関係には話さない関係なりの尊敬や尊重があると信じている。


それでも、(たとえ些細なことでも)ぶつかることにはぶつかることなりの良さがあると今では思える。相手の譲れない部分を知り得る機会になるし、なんでこの人たちとやっていこうと思ってるんだっけ、と自問する機会になるから。

それに、本音を出せるということは、頼りにしているということだと僕は思う。


話を聞くかぎり、Campの人たちも、腹を割って話ができる関係なのだと思う。

その関係性の根底で、Campのメンバーを繋いでいるのは、意外と、お互いを善人だと、いいやつだと思い合ってることなのかもしれない。いや、そうであればいいなと、僕が強く思っている。


文・石崎嵩人

石崎嵩人(いしざき・たかひと)
株式会社Backpackers' Japan取締役。1985年栃木県生まれ。大学卒業後は出版取次会社に就職。その後、大学の同級生ら友人三人に誘われ、2010年にBackpackers' Japanを創業。Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE(蔵前)、CITAN(東日本橋)など、現在東京と京都で4軒のゲストハウスを運営している。 twitter: @takahito1101


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