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備忘録:パレスチナ問題3

前回(パレスチナにおけるファマタとハマスの対立まで)の続きです。前回↓


【まず最初に】なぜアメリカはイスラエルを支持するのか?


アメリカは中東においても、様々な利害関係を抱えている。冷戦期におけるアメリカの中東政策は下記の三つに大まかにわけられる。

1.ソ連の影響力の排除
2.石油の確保
3.イスラエルの安全保障


この三つは往々にしてお互いにぶつかった。とくにイスラエルへの支援は、イスラエルと敵対するアラブ諸国の反発を招く。石油の確保の為にはアラブ諸国との友好が必要不可欠なのにもかかわらずである。さらに、アラブ諸国(シリアやエジプト)への兵器の輸出に対してアメリカは消極的であり(イスラエルに使用されかねない為)、家として、ソ連はそこをつき、アラブ諸国に兵器の供給国として接近することとなった。

そこまでして、なぜアメリカはイスラエルを支援するのか?

その理由は、アメリカのユダヤ系市民の影響である。ユダヤ系の数が多いというわけではない(アメリカの総人口3億人に対してユダヤ系は550万人で2%にすぎない)。少数のユダヤ人がなぜアメリカ社会に影響与えているのか?その理由は、大きく分けて2つある。

1.ユダヤ人の教育水準の高さ
ジャーナリスト、評論家、研究者、大学教員を多数輩出しており、マスコミにおいてその発言力が強い。そして、ユダヤ人は伝統的に民主党支持の為、同党の政治家にとっては、ユダヤ人の支持を得ることが肝要である。ユダヤ人の教育水準の高さは経済的な成功にもつながっており、その経済力で得た潤沢な資金を支持候補に流し込み、政治家に恩を売るのである。
1956年の第二次中東戦争は、イスラエルにとってのエジプトへの先制攻撃であった。エジプトがソ連製の兵器により軍事力を強化していたためである。しかし、共和党から政界にデビューした人物であり、ユダヤ票は期待できない立場であったアイゼンハワー大統領は、イスラエルを厳しく批判し経済制裁をちらつかせてエジプトから軍を撤退させた。この苦い経験により、アメリカのユダヤ人たちは、それまで以上に強力なユダヤ・ロビーをつくりあげるようになった。
その結果、アイゼンハワー以降の大統領は、濃淡の差はあるものの常にユダヤ・ロビーの意向に配慮した中東政策を展開することとなった。

2.ユダヤ人のアメリカにおける人工分布
大統領選挙の勝敗を決する人口の大きな州に、ユダヤ人は集中している。具体的には、ニューヨーク州、イリノイ州、カリフォルニア州、フロリダ州などである。これはまとめて冗談まじりに「ジューヨーク」といわれている。ジュー( Jew)は、英語でユダヤ人を意味する。

ファタハとハマスの軍事衝突とガザ侵攻とオバマ大統領の就任


ハマスとのファタハの対立は最終的にガザにおいて、両者の軍事部門の衝突へと発展した。そしてハマスが勝利を収め、ハマスがガザを支配するようになった。

しかし国際社会(主にアメリカ)は、ハマスのガザでの勝利を認めなかった。2007年にイスラエルはハマスによるガザ地区制圧に対する制裁措置として、ガザ地区との境界を封鎖した。そして、2008年12月26日にイスラエル国防軍はパレスチナ自治区であるガザに侵攻した(ガザ侵攻)。イスラエル政府は、攻撃の際にパレスチナ民間人を巻き添えにしないように最新の注意を払ったとした。が、人口密度の高いガザでの戦闘では、民間人の被害は避けがたく、NGO「国境なき医師団」によれば1300名近い数のガザ市民が亡くなったという。

イスラエルが 12月にガザへの攻撃を始め、 2009年1月に停戦したのには、2つの理由がある。

1.イスラエルの総選挙
2009年2月にイスラエルの総選挙が行われる。イスラエル政府は、ガザでの戦争によって国民の支持を獲得しようとした。

2.アメリカのブッシュ大統領の任期切れ

アメリカの大統領の任期は、二期 (一期が4年のため8年)までしか認められていない。ブッシュ政権は、歴代のアメリカ大統領の中でも、一番イスラエル寄りと自称したクリントン政権よりも、さらにイスラエル寄りの政権だった。イスラエルに甘い大統領の間に、ガザを攻撃しハマスを倒しておきたかった。しかし、苛烈なイスラエルの攻撃にパレスチナ市民はハマスのもとで団結することになり、また残虐な攻撃は内外からの批判を集めた。

結局、ブッシュ大統領の任期切れまでに、ハマスを倒すことは出来なかった。イスラエルはアメリカの面子を保つために、2009年1月17日に攻撃を停止せざるをえなくなる。

2009年1月20日、アメリカでオバマ新大統領が就任した。オバマはイスラエルを支援すると表明するとともに、ガザでの死傷者の数に懸念を表明していた。間接的ながら、イスラエルのガザ攻撃を批判したのだ。

翌月の2月、イスラエルでは総選挙が行われ、ネタニヤフ首相が就任した。彼は1996年の選挙に勝って首相となっているので、これが第二次ネタニヤフ政権となった。

パレスチナ問題を解決するには

パレスチナ問題は大きく3つに分けられる。アメリカを含む国際社会が進めている二国家解決案とあわせて下記に示す。

1.パレスチナをどう分割するか
パレスチナの土地の総面積は、 2万 7000平方キロメートルで、岩手県と福島県を合わせたくらいの広さである。両者の土地の取り分がどうあるべきかというのが、紛争の中心である。
二国家解決案では、現存するイスラエルという国家の隣にパレスチナ国家を作る、などが論じられている。しかし、それはパレスチナの水の問題もありとても難しい。
降水量の少ない地域なので、水はとても貴重な資源となる。年間降水量が、東京は約 1466ミリになるのに対して、エルサレムで約 554ミリ、テルアビブで約 533ミリ程度である。
人口が増加すると、水の消費量も必然的に増えるため、この地域の水源をいかに分配するかは、そのまま土地の分配の問題と関わってくる。

2.エルサレムがどちらのものになるべきか
この都市は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三つの宗教にとっての聖地である。それゆえ、この都市をどうするかが重要な問題となってくる。
二国家解決案ではパレスチナの首都はエルサレムとさている。しかし、ユダヤ教徒が多数を占めるイスラエルにとって聖地であるエルサレムを手放す事は考えられず、これも難航している。

3.難民となったパレスチナ人と、その子孫の問題
1948年のイスラエル建国時、さらに1967年、第三次中東戦争の際にイスラエルに占領された地域、つまり、ガザ地区とヨルダン川西岸地区から逃げ出したパレスチナ人とその子孫も、この難民という分類に加えられる。こうした難民の総数は、 390万人を超えている。 
この問題に関しては、現在、イスラエルとなっている地域へ戻るのをあきらめる難民に対して、国際社会が補償を支払う。あきらめない難民に関しては、一定数のみの帰還を認めるなどの妥協案が論じられている。

備忘録:パレスチナ問題は、参考文献である『なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル』が2015年に発行された書籍である為、オバマ大統領就任と第二次ネタニヤフ政権発足までで一区切りとさせていただきます。新しい情報をまとめた際に、再びパレスチナ問題についてのnoteを投稿したいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。









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