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しきから聞いた話 50 川辺の家

「川辺の家」

 川の端に家を買ったので見てほしいと頼まれた。
 場所を気にするのなら、買う前にすべきだと思ったが、どうやら購入をひとり勝手で決めた夫が、その手の話に聞く耳を持たないらしい。ならば見に行くのも騒動になるのではと危惧を伝えると、子供に障りが出ているようなので、とにかく来てほしいと、再度頼まれた。

 親とは強いものだと思う。話をよこした若い母親は、祖父の代までが山伏だった家系の縁で、以前はよく行き来していた。祖父が亡くなって五年ほどだろうか。かつてはあれこれと世話になったから、わずかでも恩返しが出来るならこちらとて有難い。

 二日後には、川の端の家を訪ねることになった。

 行ってみると、川といってもそれほど大きなものではない。近頃よく言われるハザードマップを見せてもらったが、危険な区域ではないし、数十年をさかのぼっても、氾濫の過去は無い。
 だとすれば、川として「好くないもの」が溜まっている可能性は低いだろう。人が死んだ場所、人柱をたてた場所、よくない出来事によくない思念が溜まる場所、そういった感じもしない。

「でもね、子供がおかしいんです。二ヶ月くらい前、生後六か月を過ぎたくらいから、ヘンなんです」

 子供はどちらかというと成長の早い方で、六か月でお座りを上手にするようになった。すると、視線が不自然に動くことに気付いた。
 何かがいるように目で追い、そちらを見ながらはしゃぐ。何かを受け取るような仕草をする。何か、誰かに、あやされているようにも見える。

 母親は、何かに恐怖を抱いているようにも見えた。これはあれこれと尋ねるよりも、子供を見せてもらった方がいいかもしれない。さっそく、ベビーベッドの置かれた隣室に案内してもらうことにした。

 子供はすやすやと寝息をたてていた。そして、母親を恐怖させるものが何であるのかは、部屋に入るまでもなく、扉を開けると同時にわかってしまった。

 大人の腰の高さほどのベビーベッド。その足元ぐるりを、なんと、魍魎達が囲んでいたのだ。
 ところが、だ。

 彼等の顔の、なんと優しく、穏やかなこと。子供の安眠を妨げないように息をひそめ、身を縮め、なかの二人(二匹?)に至っては、入って来たこちらを見るなり口元に人差し指を当て「しーっ」と言った。

 なんだ、こいつらは。

 こちらも呆れてしまい、何をどうしようか、とっさに策が浮かばない。ただ、隣りで不安そうに息をころす母親には、心配ないからあちらで待っているように、と言った。

 さて、どうするか。

 しばらくは入り口に立ったまま、中の様子を観察する。穏やかな光景、優しい空間に見えて、急変貌もありうるだろう。
 しかし五分、十分。何も変わらない。

 と、子供が目を覚ました。すこぶるご機嫌な様子で、あ、だの、う、だのと声を上げる。すると足元の魍魎達も、ごそごそと動き始めた。

 子供が空中に向かって手を伸ばすと、ふわりと透明な珠のようなものが現れた。柔らかそうな、しゃぼん玉のような、子供のこぶしより少し大きいくらいの珠。よくよく見ると、何か文字が浮かんでいるようだ。
 きゃっきゃっと子供が嬉しそうな声を上げると、ふたつ、みっつと珠が増えてゆく。悪いものには見えないが、これはいったい何だろう。

 見る間に珠は増えてゆく。子供はそれを手に受け取るでもなく、珠はふわふわと肌掛けの上に落ち、そして通り抜け、魍魎達の上にそそがれてゆく。
 こんなに嬉しそうな魍魎の顔は、見たことが無い。いや、そもそも、魍魎が嬉しそうにするなど、聞いたことも無い。

 いったいこれは、この子供が不思議を行なっているのだろうか。この子供は、何か特別な力のようなものを持っているのか。
 やがて、その疑問の答えとなるべきものが姿を現した。

 三人の山伏。手にした数珠を押し揉みながら、声は聞こえないが経文を唱えているらしい。なかのひとりは知っている。この子供の曽祖父。懐かしい顔だ。
 しかしこの不思議は、これだけでは終わらなかった。山伏に続いて古めかしい着物の女性、裃をつけた男性、粗末な筒袖と野袴の人々、もっと近代の普段着の面々、十人、二十人、現れては消え、また現れて、なかには子供の顔を愛しげにのぞき込んでいく者もある。

 事情がわかってきた。

 つまりこの子供は、ご先祖方に守られているということだ。浮かんで消える珠の文字は、守りの経文だろう。それに気付くと、どうもこの光景のほとんどが、ずいぶんと当たり前のもののように思われてきた。

 そうとも。祖父母、先祖は、子供を守りたいだろう。それのどこが、特別のものか。ここに現れて来た人々は、どうも母親方の親類縁者だけとも思えなかった。子を想う互いの心に感謝して、子の顔を譲り合って愛おしみ、祈り、喜び、巡ってゆく。

 川の端に建つ家は、水が近く魍魎達にとって寄り易くはあっただろう。しかし、彼等が集まったから親類縁者が守りに来たとも思えない。

 ここは、こういう場所なのだろう。もしかしたら、子供がもう少し成長したら、こういったものたちがあらわになることは無くなるかもしれない。ただ、目には見えないだけで、この光景はきっと、どこででも行われているものなのだ。

 さて。するべきことは何も無い。
 しかし。
 母親にはこれを、どう説明すればいいのだろう。

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