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しきから聞いた話 170 萩の道

「萩の道」


 駅からまっすぐ延びた通りを10分ほど歩き、左へ入ってしばらく行った突き当りに、古い寺がある。
 日頃は訪れる人がほとんどいないが、秋口になるとにぎわいをみせる。そこは、萩の寺として知られているのだ。

 山門の手前から本堂にかけて、歩けば5分もかからない距離だが、大人の背丈ほどまで伸びた萩が、次から次へと花を咲かせるので、なかなか野趣に富んだ好い景色となる。ほとんどが赤紫の花だが、中に白もあって目が飽きない。

 ここ数年、高齢の住職の手伝いに、しばしば訪れるようになっている。いつもは寺の中のあれこれだが、秋になると掃除が主になる。ただでさえ寺の落ち葉はどこでも大仕事だが、萩を観に来る人を気遣って、住職が自分で動こうとするので、危なくて仕方ない。優しく穏やかな方だから、近所の人達も心配して、よく様子を見に来るようだ。

「さぁ、もう一段落だろう。高野さん、お茶にしよう」

 庫裡から顔を出した住職が、近所から手伝いに来た男性に声をかけた。
 昨年に会社を定年退職した人で、暇になった時間でよく来てくれるらしい。

「あぁ、ありがとうございます。どっこいしょ」

 庫裡の脇に置かれた床几に腰掛ける。
 住職が奥に入って行こうとするので引き留めると、にこっと笑った。

「すまないね、よろしく」

 中の流しの脇には、途中まで用意された急須や湯呑みがあった。棚から菓子も出して戻ると、住職と高野が並んで床几に座り、ふたり共に難しい顔で腕組みをしていた。

「どうかなぁ」

 住職が、ぎゅっと眉を寄せて、首をかしげる。

「もう10年くらい、していないからなぁ」
「駄目でしょうかね。なんだかもう、かわいそうで」

 黙ってふたりの横に湯呑みを置くと、住職が意味ありげな目でこちらを見上げた。

 萩の道だな、と察しがついた。
 この寺の本堂の裏にまで続く萩の中で、月のある晩に一心に願うと、亡き人に会える。萩の群れの奥に道がついて、亡き人が歩いて来るという。

 住職が若い頃は、しばしば訪ねて来る人があったという。それは本当に、どうしても会いたい、姿を見たいという心からのものだった。しかし10年ほど前、付近の中学生、高校生が面白がってたむろするようになって、住職は山門を閉じてしまった。

「ああいう道は、使わなくなると、消えるんだよ」

 住職は、少し困ったような顔でそう言った。

「絶対に大丈夫とは、言ってませんから。一度、お願いできたら、気が済むと思うんです」

 話を聞くと、高野の姪が、婚約者を病で亡くしたのだという。結婚式の三か月ほど前で、あまりに可哀想なので、せめてもう一度、姿を見るだけでも、と思ったらしい。

「姪御さんは、どう言っているの」
「もう一度会えるものなら、伝えたいことがある、と」

 結局、あまり乗り気ではないようだが、住職が承知する形になった。あまり遅くない時刻に、月が出ている日、天気予報も合わせて調べ、三日後に、高野が姪を連れて来ることになった。
 高野は喜んで帰って行ったが、住職は浮かない顔だ。

「どうも、乗り気がしない。なんだろう」

 だがしかし、悪い感じ、邪な印象は無いように思う。

 そうして、三日後の晩になった。

 高野と姪は、9時丁度にやって来た。
 姪は、さぞ気落ちして生気の抜けた様子であろうと思っていたのだが、なんの、きりっとした涼しげな瞳の、背筋の伸びた娘だった。

 住職が、物置から久しぶりに出して来た、小田原提灯に灯を入れ、渡してやると、娘はにこりと笑って「ありがとうございます」と、軽く頭を下げた。

「ひとりで行けるか。住職と一緒に本堂の中にいるから、何かあったら声を上げるんだぞ」

 高野の方がよほど、気弱く見える。

「うん、大丈夫。もし姿が見えなくても、伝えたいことは、ちゃんと言ってくる」

 娘は、小田原提灯の明かりを頼りに、本堂の裏へと進んで行った。
 赤紫と白の、萩の群れが揺れ、娘を招く。

 5分。10分。
 しんと静まり返った宵闇の中、突然、娘の声が響いた。

「姿なんて見せなくていいわ。あたし、あんたが他の女とも付き合ってたって、聞いたからね。たけちゃんとか、高橋くんとか、何人もの友達からお金借りたの、返してないっていうのも、聞いたからね。たった30歳で死んじゃったのは、可哀想だと思うけど、でも、あたしもうあんたのこと、忘れるわ。あたし、絶対、幸せになってやるからね」

 高野は、娘の声を、口をぱくぱくさせながら聞いていた。
 住職も、腰を抜かしそうなほど驚いたようだ。

 時を置かずに、娘が本堂に入ってきた。

「すっきりしました。ありがとうございました。さ、叔父さん、帰ろ」

 娘は微笑みながら、小田原提灯をこちらに差し出した。そして、丁寧に頭を下げ、くるりと背を向けた。
 高野が、ひょろひょろとついて行く。

 その後ろ姿を見送って、住職がつぶやいた。

「たまげた娘だわ。ありゃきっと、婿さん、萩の道に乗って来てたと思うわ。来てたけど、恐ろしくて、出て来れなかったんだろう、なぁ」

 おそらく、おっしゃる通りだと思った。

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