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職業人視点(私の場合)について

 職業人視点/趣味人視点/生活者視点/修行者視点。という4つの視点があって。相互に矛盾していることがある。何考えてんですか? とか言われることが多いのも、おそらくはそれが原因。である場合が多いんちゃうかな。
 職業人視点で見て素晴らしい作品が、趣味人的にクソであったり。生活者視点から見て素晴らしいものが、修行者的に害毒でしかなかったり。ということは当たり前にある。で、良くも悪くもそれらをまるっと肯定することで辛うじて生きていられる気がする。
『落語とは人間の業の肯定である』は七代目立川談志のフレーズだが、ニッバーナ_または深淵越え_を達成できていない人間にとって、それこそが生きる力のようにも思える。何のこっちゃ。

 職業人視点て、馬鹿にしたもんやないな。という思いを強くしている。何でかと言うと、自分の場合自分の可視化領域を拡げてくれるのは、ほとんどの場合職業人視点であるからだ。
 ほとんどの人がネットを利用するようになり、可視化領域が拡がったか? 確かに、そういう面もないとは思わないが、自分の趣味に合う情報や同好の士や生活者としてよく似たポジションにある他者とばかりつながり、ぜんぜん訳わからない、気の合わない、いけ好かん、でも確かに自分に見えていない何かを見ている人との出会いの機会は確実に減っているようで。《見ることができる世界》は拡がったが、実際に《見ている世界》は狭くなっている。
 私の学生時代には、雑誌というメディアの力が強く、たとえば音楽の領域において、音楽雑誌やそこで食べている音楽ライターという存在の影響力は、昨今と比較にならないほど大きいものだった。リアル会いのレイヤーにおいても、何や知らん訳わからん面倒くさい先輩と懇意になっちゃったよ……というケースは減っている。面倒くさい付き合いが減ったのは、普通に喜ばしいことと思える。が、それはつまり、己の可視化領域の拡大_不可視化領域の可視化_が封じられているということやないだろうか。
 職業人視点即ち、自腹切ってまで絶対に買わんであろう商品を売るための文言を考えたり、自分とまったく違う価値観や生活習慣を持ちいろんなレイヤーで自分とは違ったポジションを持っている日本語学習者のヘルプをしたりすることは、やはり、私にとって大切なこと。であるようです。


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