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書き漏らし=自分がなんぼネガティブな人間であるか。

 書き漏らしとゆーか、書いたからといって信じてもらえるとは限らんのやけど。私は、コピーライター稼業を通じてそのことを、少なくとも人並み以上には理解しているつもりだ。その場に居合わせた相手に直接音声発話で表題のようなことを伝えた場合は、99%笑われた。もちろん、本人としては笑いを取りに行ったつもりなど子泣き爺_私は、水木先生の手になるそれにソックリなちんちくりんで気色の悪い風貌と、芥川龍之介『蜘蛛の糸』に出てくるカンダタのように浅ましく恥ずかしい精神を併せ持つ男を知っている_の頭髪ほどもないんやけど。
 一人だけ、瞬時に理解してくれた義兄弟がいた。
「わかります。兄弟ホントは暗い人だからね」
 私のことを「暗い人」と言ったのは、今のところ彼だけ。その一言に私は、大袈裟ではなく救われた。
 ハナザカリくんも似たようなことを言った。けど、極めて意味のとりにくい言葉だった。彼には「明るい/暗い」など、ハナからどうでも良いことらしく。今も超然と、変さ値の高い振舞いを続けている。
 いささかエキセントリックまたはマイペースが過ぎると思われるハナザカリくんの言動はさておき、私はネガティブな想像をすることが多い。何かを判断するに際して、自分に都合の良い想像ばかりしてもなかなかそうはいかないだろうし、うまくいかない挙句にぴえんぴえん言っても、子泣き爺に似てくるばかりで埒があかんのであり。
 よし、こっちを選択しよう。と判断した後も、まだ頭の中で「最悪のケース」を想像しながら本当に大丈夫だろうか・・・とかやっている。

 上記のような性癖というのかやり方、自分では特に間違っているとも改めようとも思わない。が、《明るい人/陽気な人》と勘違いされた上、そこに寄りかかられたり、勝手に断罪されたりすることも多く、流石に辟易だ。

「あなたはこうだから、こうするべき」
「ちょっと、ここでは止めていただけますか」
と訴えても聞く耳持たなかった、実害ある子泣き爺への対処については、相変わらず態度を決めかねている。
 

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