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文法以前(7)スチル写真のように

 以前なんか以後なんか埒外なんか最早わからんけど。写真展に行きたい。誰の? とか、どこの? とか、具体的にどんなのがということではないながら、とにかく、ここんとこそんな感じであり。
 考えてみれば、ふいに
「映画でも見ようか」
と思うことはあっても、
「写真展でも」
は久しくなかった。というか、そのような場合の《映画》と《写真》は、そもそも同じ階層の事物ではない。けどまあ、そこ突っ込みだすと話がややこしくなるばかりなんでサラッと。久しくなかった感覚または欲求が、自分の中で再び高まっている。良くも悪くも、動画が当たり前になり過ぎたせいだろうか。などと思いつつ私は、文献でしか知らないかつての(ネット以前の)メディア環境をめぐる「ラジオとテレビの物語」(註)を反芻していた。
 動画の場合、ライブカメラの映像なんかそうでないか、一見区別がつかないけど。スチル写真は、必然的に過去のある一瞬を捉えたものであることは間違いない。まあ、そこまでしつこく言う必要もないんですが、実を言うと私は、素性の知れない動画が発散する《今ここ感》を、常に警戒している者です。
 一時期私は、広告コピー(※キャッチフレーズ除く)などの文を紡ぐ上で、《今ここ感》を出したいとき、なるべく過去形を使わず、現在形または現在進行形_実は、国語/学校文法でも、日本語(教育)文法でも、あまりこーゆー言い方はしないんですが_で書くことが多かった。単純に、そうするのが良さそうだと判断した訳ですが、実際には根拠の怪しい似而非ライブ感がホニョホニョとだらしなく流れるばかりで。印象的な瞬間を、相手の脳だか心だか魂だかに刻むことは叶わなかったんであり。今頃になって、自分が書いている文章の時制(というか単に結び方?)が改めて気になりはじめている。

 あいみょん『マリーゴールド』の中の一節。
『麦藁の帽子の君が揺れたマリーゴールドに似てる』
これ、
『麦藁の帽子の君が/揺れたマリーゴールドに似てる』
とも、
『麦藁の帽子の君が揺れた/マリーゴールドに似てる』
とも、
『麦藁の帽子の君が/揺れた/マリーゴールドに似てる』
(「麦藁の帽子の君がマリーゴールドに似てる」と言いかけた時、地震を感じ中断。おさまってから続きを言い切った)
とも解釈可能だが、それは余談で。
上記の「揺れた」が、「揺れる」でも「揺れて(い)る」でもなく「揺れた」である点に注目。
 最高に愛おしい瞬間だけを切り取って、正確に指すことのできるシニフィアンであると言える。スチル写真のように。 


註)ネット以前のメディア環境をめぐる「ラジオとテレビの物語」:

1945年(昭和29年)8月15日正午、昭和天皇ご自身による「大東亜戦争終結の勅書」の音読レコードが、ラジオで放送される。
ラジオは、その後もしばらくの間「お茶の間」の祭壇的ポジションに座し続けるが、1950年代後半以降、徐々にその座をテレビに譲ることになる。
ただし、それは単純な交代ではなく、メディア環境全体の中に各メディアが占めるポジションの変化/ラジオの放送内容の質的変化を促すきっかけでもあったようだ。
 小型&高性能化した《トランジスタラジオ》が、お兄さん/お姉さんの《個室》に進出すると、それまでの親の前では聴きにくい/聴けない/曲/話etc.が、ドッと流れ出すことになる。CMにも、《個人》にアプローチするものが急速に増えていき、ヒソヒソ声で伝えられるお買い得情報、露骨に性的な誘惑等、女性が耳元で囁いている?的手法も可能となった。
(フラターC.S.『メディア・アセンション』より)


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