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見通しと難易度

見通しの明るさと、(その状態に)到達するまでの難易度は、正比例も反比例もしない。もっとザックリ単純に言うなら
「関係ない」
と思うようになった。も少し説明するなら、ある望ましい状態をイメージしたとき、
「ああ、これ簡単にできそうね」
あるいは
「特に意識せんでも勝手にそうなるわな」
みたいなんと、
「よろず面倒だったりキツかったりしそうだが、できんくはない」
みたいなんがあった場合、
私は、必ずしも前者つまり簡単そうな方を「見通し明るい」とは感じない。

で、この感覚に関連して思ったというか、自分の嗜好というかメンタルの性癖に対する一抹の疑問について。
追いつめられるというか_要領よくやれなかっただけの話なのに_何かあくせく必死になっていたり、無茶苦茶忙しかったりするのを、《充実感》と捉え結構満足していたりする場合が、あったりしないか? 
これまで私は、自分は無駄な努力が嫌い、わざわざ効率悪いやり方を選ぶのが嫌い……なつもりでいたんですが、改めて振り返ると、どうもそれ怪しい感じがしたのであり。

30代から下の人たちは、あまりピンとこなかったりするのかも知れないが、つい10年、20年前ぐらいまでの日本では、会社等の組織においては特に、《地味にコツコツやるのは尊い》という美意識または倫理観を過剰一般化したがる傾向が強く。
先頃、鳥取県知事が語ったChat GPT禁止の理由、みたいな感じ。と言えばわかりやすいだろうか。

暑いけど、秋の味覚は着実に届いており。今年の二十世紀梨はとても甘かった。

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