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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドを観た

メモも兼ねた感想、考察。
ネタバレもしてます。注意。


ついにワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドを観た。
見る前は2時間40分もあるの?と思ったけど観てみたら長く感じなかった。なんで観たかっていうと完全に『ルックバック』の影響である。

ぼくは海外の映画はほぼ観たことが無くて、「タイタニック」とこのあいだ「スタンド・バイ・ミー」、あと学校の授業で「小さな恋のメロディ」を観たことがあるくらいのヒヨっこだ。ハリー・○ッターとかも最初のちょっとでやめてしまった気がする。スターウォーズも観てみたいけどなかなか観る気になれない。

個人的に海外の小説やら映画やらには苦手意識があって、まずカタカナの名前が苦手なんだよな…。今回は名前をメモしながら観ました。
それから価値観、その国の歴史、流行ファッションや流行音楽とか文化などなど知っていないと理解出来ないことって結構あるんじゃないかと思って敬遠していた。
洋画が好きな人って海外事情に詳しいんだろうか?あるいは映画を観ながら文化を知っていく感じなのか???
…話が逸れてしまった。




ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド、面白かった。
1969年に実際に起きたシャロン・テート事件を題材にしていて、事件を調べてから観た方がいい、とレビューに書いてあったのでざっと調べてから観た。調べていなかったら全く理解できなかったかもしれない。

事件をもとにしているので暗い話かと思ったら楽しい映画だった。わくわくする。監督の映画への皮肉と愛がすごく伝わってくる気がした。
シャロン・テートが映画館で自分の映画を観て観客の反応を楽しんでいて、彼女は純粋で美しいなって思ったし、それがこの映画監督の映画への向き合い方なのかな、と思った。

あとブラット・ピットが演じるクリフがめちゃめちゃ格好良い。英語は全然わからないけどその喋り方、立ち振舞い、大人の余裕に溢れていた…くそかっけぇ…。

(あらすじとか設定とか面倒臭いので説明せずにだらだら感想書きます、、、)

レオナルド・デカプリオ演じるリックは感情がコロコロ変わってお茶目(?)でとても可愛い。感情の起伏が激しくてとても良かった。

リックは西部劇のジェイク・ケイヒル役を演じていて、一応、正義のヒーロー?なのだが、
ジェイク・ケイヒルを見ていると人を殺して殺して殺しまくっていてどっちが正義のヒーローなのかわからない。むしろ殺しまくっていて悪魔のようだ。
ヒーローはフィクションとして見れば正義なんだけど、現実的に観れば悪魔になってしまう。

リックがシュワーズという監督に役者としての現実を突きつけられた時は嫌なことがあって泣いている子供みたいでほんとに可愛かった。
クリフはリックの息子か?とシュワーズが聞いていたけどむしろクリフが保護者という感じだ。
泣いているリックにサングラスを貸してあげるのも素敵だったな。なんかオシャレだ。いちいちオシャレだ。
リックは落ち込んでいたけど隣に住む映画監督の作品に出られるかもしれないと夢想して立ち直る。現実だけでは立ち向かえないよね…わかる…。

カメラアングルがすごく良くて、クリフが車を運転しているときは一緒に乗っているような気分になるし、テレビや映画を見ているときは一緒にテレビとか映画を見ている気分になるし、隣の家がレコードをかければそれはそれは隣の家から漏れてくる音楽だった。視聴者が一緒にその場所にいるような感覚、そういうのがすごく楽しい。
あとリックが撮影中台詞を間違えるのもそのまま見れて、自分がカメラマンになったような感じもある。
だからこそリックが演じているテレビや映画は“フィクション”なんだと感じることができるんだなぁと思う。

あと断片的だけど「主役がふたり見えるって?大丈夫、テレビの故障ではありません」とか「イタリアなら勝負に勝てるぞ」とか「睡眠薬を5錠飲んだんだ、秋まで起きないよ」とか、言い回しが、すごく良い。

流れてくる音楽は明るくて楽しい感じだ。あと生活音、というか雑踏音?も色んな音がする。クリフがフォークでマカロニを食う時のフォークを噛む音とかなんか良かった。リックもクリフも飲み物はズズズと音を立てて飲むんだけどそういうのもなんか良い。

好きなシーンで言うと、
リックが撮影で台詞に詰まってしまって控え室で自分にキレ散らかすところ。
失敗して自分を責めてる時の心の中ってあんな感じだよねほんと…。
あと台詞が出てこなかったのを酒のせいだ、と言ってから無意識に酒を飲んでるのがね。そんで酒を投げ捨てるんだけど他のものとは違ってほんの一瞬だけ躊躇いがちに投げ捨てる感じがリアルですごく良かった。

クリフがブルース・リーの「カシアス・クレイと戦ったら廃人にする」という言葉で笑ったのはブルース・リーが現実とフィクションを混ぜこぜにしていたからだと思う。
ヒーローが勝つように仕組まれているフィクションしか知らない、真剣勝負をやったこともないブルース・リーが(いや、やったことがないのか知らないけど)
マジで闘っているボクシング選手に敵うわけがない。

監督の奥さんの車を凹ませしまって奥さんが怒るシーンもなんか良い。そこに監督が出てきて「俺に任せろ」といって奥さんと同じことしか言わないのが面白かった。笑っちゃう。

牧場に住むジョージは盲目だと言うけど本当に盲目なのかよくわからなかった。
夜にテレビを見るために今は眠っているって言ってたけど盲目なのにテレビを見るんだろうか。音だけで楽しむのか?
「猛烈ファックで気絶してる」みたいなことをっていたから夜しか起きないうにしていたのかもしれない。夜はフィクションの時間なのかもしれない。だから昼は起きてはいけない。
リックとクリフは女性にはジェントルマンだ。ただフィクションのなかでは容赦がない。
クリフは女に酔って牧場に行った。酔いは現実逃避だ。
そして牧場は馬がいるところで、西部劇のまさにそれだ。しかも牧場全体が異様な雰囲気に包まれていてフィクションの世界のようだ。
だけどヒッピー、ドラッグ、西部劇の成れの果てがそこにはあって、
リックがシュワーズに現実を突きつけられたように、
その牧場は向き合わなくてはいけない現実でもあった。
牧場は現実とフィクションがごちゃ混ぜになったような世界だ。
クリフはジョージに会えば新しい仕事が貰えると思ったかもしれない。新しい仕事は希望でもあり、夢でもあり、そして現実に必要なものだ。しかしクリフはジョージを起こすことが出来なかった。クリフは“仕事がない”という現実に向き合うことになった。そしてジョージは未来のクリフの成れの果てかもしれない。
プッシーが「盲目はあんただ」と言っていたのはクリフが見たくないフィクションから逃避したからだ。フィクションから目を背けた瞬間、そこは現実になる。
プッシーを送ってくれたヒーローとしてもてはやされたクリフが、帰る時にはブーイングを浴びせられる。
ヒッピーは現実から逃避するクリフを悪役にしている。
しかしクリフはそれを受け入れない。なぜならそもそもこの映画がフィクションであり、“現実逃避”であって、フィクションはヒーローの象徴だからだ。
悪役が人を殺すのは絶対に許さないのに、ヒーローは悪魔のように悪役を殺してもかまわない。そしてヒーローは絶対に勝たなくてはならない。
クリフはタイヤをパンクさせた罪で男を暴力で従わせ、勝ち逃げた。


シャロン・テートを襲おうとしたヒッピーの3人組も「子供は人殺しのテレビを観て育つ。その人殺し(ジェイクケイヒル)を殺そう」というようなことを言って、リックを標的に変えて銃とナイフを持つのだが、これも現実とフィクションが混ぜこぜになっている。
ヒッピーはマンソンの妄言を真実だと信じ、テレビのフィクションも真実だと思い込んでいた。しかしフィクションは現実ではない。当たり前だ。

リックはマルガリータで酔う。プールで歌っていた歌詞が最高だったな、フィクションに浸っている。
そしてクリフはLSDでトリップする。
ふたりとも現実逃避しているのだ。俳優とスタントマンのバディを解消しなくてはいけないから。
逃避から本当のフィクションがはじまる。やー、なんか凄いな。

ヒッピーがリック邸に乗り込んできてからは凄かった。グロテスクだった。悪魔の所業だ。
だけど「やっちまえ!」って思ってる自分もいる。リックとクリフには死んで欲しくないし、彼らはヒーローだからだ。

リックが警察に事情聴取されている時は気弱な感じで良かった。火炎放射器を持っているときとは大違いだ。

クリフが担架で家の外に運ばれていくシーンもいい。めっちゃ余裕。
英語が聞き取れないのが悔しいなぁ。「And away we go」と言っていると思うんだけど。歌ってるみたいで凄く格好良いんだぜ…。
リックの「Good friend」に「I tried」って答えるのも良い。ふたりは別れるはずだったけど、きっとこの先もグッドフレンドでいるんだろうな。
リックは隣の家で新しい仕事をつかむだろう。
いやぁ良かった。やっぱりハッピーエンドは良い。

ただクリフはどうだ?

スタントマンであるクリフという存在は作品の中では自分で仕事を掴むことは出来なかった。
リックが出演する作品、またはリックが交渉しないとクリフは仕事が貰えない。愛犬ブランディのように、命令に従わないと食べ物すら食べられないような、
指示に従わないと仕事が貰えないような、
スタントマンはそんな不自由な仕事しかできない。この不自由さは“現実的”でもある。
ブルース・リーという“メインキャスト”に噛みつけばクビになってしまう。ブルース・リーは「指一本触れていない」と庇ってくれたが、スタッフたちは服従しない犬はクビにしてしまう。
そしてメインキャストの怪我はスタントマンが負い、怪我はどちらかといえば現実だ。
クリフは仕事をチャラにしてしまうこともあるけど、警察に捕まりたくないとやけに現実的で冷静な面もある。
つまり、どういうこと?(まとまらない)

ブランディという名前が酒っぽくて良いなと思う。犬のように生きるスタントマンは酒でありフィクションなのかもしれない。

架空のフィクションの中でさえも、スタントマンはメインキャストの影に隠れて存在が消えてしまう、消える、というかクリフがリックになってしまうのだ。
フィクションをフィクションたらしめるのはスタントマンなのに、まるで存在していないみたいだ。
スタントマンこそ本物のフィクションなのかもしれない。だからこそ最強だったのか?

差別っぽいのも多かった。ヒッピーは当時嫌われていたのだろうか。イタリアの西部劇も貶されていた。クリフは妻殺しを疑われていて気持ち悪いと言われていた。戦争では英雄だとリックは言う。こういう背景はわからないことだらけだ。


全くまとまっていないけど、とにかく思い付いた感想をだらだら書かせていただいた…。

いろんなテーマがあってすごく面白かったな。そういえば子役の女の子がリックの演技を褒めるところもすごく良かった。若手はベテランを殴るやつばかりではないんだ。

愛とリスペクトがある楽しい映画だった。
向き合うべき現実は確かにあるし、フィクションには確かに現実と混ぜこぜになってしまう部分はある。ヒッピーがいた牧場のように現実とフィクションは常に隣り合わせなのかもしれない。

この作品からはフィクションは存在しなくてはならないんだという強い意思を感じた。
現実には現実の役割があるし、フィクションにはフィクションの役割があるからだ。
そしてリックとクリフを分けることが出来ないように、現実とフィクションは完全に分けることは出来ないのだと思う。
ただ視聴者として、フィクションを消費する人間として、フィクションにはリックとクリフがひとつの作品に存在しているのだということを識別できなければいけない。

現実とフィクションを見分ける“目”を持って映画を観ればきっともっと映画を楽しめると思った。

ヒッピーについてはよくわかっていないので調べてみたいと思う。























































 

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