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マインドフルネス瞑想の本当の意味とは?

「マインドフルネス」や、「瞑想」という言葉に心惹かれるビジネスプロフェッショナルは多いと思います。

かくいう私もマインドフルネスには長年興味を持ってきましたし、座禅会に参加したことも、瞑想に挑戦したこともあります。しかし、当時の私はなぜマインドフルネス瞑想が良いのか、その理由をイマイチ理解できていませんでした。「流行っているから」、「良いと言われているから」、「スティーブ・ジョブスもしていたから」。そんな気持ちで、なぜ良いのかも理解せずに、表面的な興味と好奇心でただやみくもに真似していた、というのが正直なところです。結果的に、「これは私には合わない!」と、早々に諦めたのでした。

今回、オックスフォード・マインドフルネス・ファウンデーション(Oxford Mindfulness Foundation) で8週間のマインドフルネスを学ぶコースを受講したことで、やっと「マインドフルネス瞑想をする目的と意味」が腹落ちしたので、ご紹介したいと思います。

加えて、目的と意味を理解することができた今は、瞑想の気持ち良さや、瞑想する時間をとることの贅沢さを感じるようになったという点も併せてお伝えさせて頂きたいと思います。

一言でいうと、マインドフル瞑想は、「習慣を打ち破る練習」です。

まずは、私たちが普段どのような状態にあるかを整理することから始めましょう。

私たちは習慣というルーティンに囚われている

マインドフルネスの世界では、Autopilotという言葉がよく使われます。オートパイロットとは自動操縦・自動運転のことを指し、私たちの日常がいかに習慣で溢れているかを表しています。もし私たちの日々の生活が、取り組む度に新鮮で、都度、緊張を強いられるものに囲まれていたら、私たちは疲弊してしまいますね。私たちは、ある程度生活をルーティン化、習慣化、パターン化することによって、私たちの心の平穏を保とうとしています。これは、車のマニュアル運転を例に説明することができます。マニュアル車のギアチェンジは最初は恐る恐るあれこれ手順を確認しながらぎこちなく運転しますが、慣れてくるといつの間にかスムーズにストレスなくできるようになっています。車を運転する度に、いちいち緊張していては、身体がもちません。このように、私たちは当たり前と慣れることによって、自分で自分を守っているのです。無意識のうちに。

心さえもルーティン的な反応を身につけている

私たちの生活には、たくさんのストレッサー(ストレス源)が溢れています。しかし、不快なストレス源に対し、いちいちどう反応すべきかを考えていては、私たちの心は即座にパンクしてしまいます。そこで、私たちは”脅威”を感じると、即座に過去に脅威を感じた経験を思い出し、その苦しみから逃れる方法を探します。心は自分を守るために、瞬時に、ルーティン化した定型的な対処法を選ぶのです。これは、人間の何百万年もの進化によって磨かれた生存スキルであり、このおかげで私たちはスムーズに生活することができているとも言えます。心の反応は私たちが進化の過程で見つけた防衛反応なのです。しかし、この防衛反応的生存スキルは、非常に自己攻撃的な考え方であることに注意が必要です。ストレス源に対して、即座に定型的な反応と結びつけるというのは、本来必要以上の反応をしてしまうということでもあるからです。無意識のうちに。

心の作業メモリ容量は決まっている

私たちの心には、あらかじめ決まったメモリ容量しかないと考えてみましょう。もし心にあまりにも多くの心配事や考え事があれば、たちまち、心の作業メモリが容量いっぱいになり、オーバーフローし始めます。ストレスを感じるようになるのです。そうならないために、私たちはオートパイロット(自動操縦)を使っています。余計なことを考えなくてよい状態、つまり、自動操縦状態で、習慣化することによって、作業メモリを拡張しているのです。しかしそれにも限界があります。いくら、作業メモリを拡張したからといっても、あまりにも多くの思考、記憶、不安、タスクで過負荷をかけると、すぐに心の容量はパンパンになります。まるでウィンドウが多すぎるコンピュータのように、私たちの心は遅くなるのです。そのために、私たちは疲れ、不安になり、慌て、そして人生に対して常に不満を感じるようになります。しまいには、コンピューターのように、フリーズするかもしれませんし、クラッシュするかもしれません。無意識のうちに。

頭を使わないことを選ぶ私たち

私たちの脳は、幸福や心の安らぎよりも、むしろ、脅威となりうることに十分な注意を払う傾向を残したといわれています。生存と繁栄のためには、不安や脅威に対して敏感になり、対処する必要がありました。幸せを感じたりするよりも、不安に対するアンテナの方が敏感に機能しているのです。しかし、不安ばかり気にしていては、疲れ果ててしまいます。不安を溜め込んでいては、すぐに心がクラッシュしてしまいます。そんなことでは、自分の安全を守ることはできません。そこで私たちは、自動操縦モードを使って、いちいち敏感に反応しなくてよい状態にします。自動操縦、つまり習慣化することは、頭を使わなくてよいので心地良いのです。全ては自動的に次から次へ対処され、私たちはノンストップで自動操縦モードで運転し続けています。無意識のうちに。

不安、ストレス、疲労等に対して自動的に反応するのは仕方ない

進化の過程で強固なシステムを創り上げた私たちですから、不安や脅威に対して、それらに対して反応しないようにするのは不可能です。これは私たちの自然な反応なのです。不安やストレス、疲労等に対して自動的に反応することは当たり前であり、不安を感じたらこう反応する!と、反応パターンは固定化されています。一つの不安が、他の不安を引き寄せ、ネガティブスパイラルは一瞬で形成されます。そう、無意識のうちに。この、無意識のうちに起こる固定化された反応パターンを、意識的な行動で打ち破るのがマインドフルネス瞑想なのです。

マインドフルネス瞑想でルーティン化を打ち破る

不安やストレス、疲労等に対して自動的に反応することは止められませんが、その後の展開を止めることはできます。私たちの脳は、自分たちの安全を守るために、目の前の問題を解決しようとします。それは私たち人間の自然な行動であり、無意識のうちに起こります。問題はその後です。楽な流れに身を任せ、ルーティン的に処理するか、もしくは、意識的な反応を選ぶか。その反応を選ぶために、心を意識的に捉えるようになるための練習こそが、マインドフルネス瞑想なのです。マインドフルネスは単なる呼吸法ではなく、リラクゼーション方法でもありません。ヨガと同じものでもなく、宗教ではありません。マインドフルネスは単に心のトレーニング方法なのです。この「心のトレーニングだという気づき」が、マインドフルネス瞑想をうまく続けることができているか否かの違いを生んでいるのではないでしょうか。自分のためのトレーニング、自分を鍛えるためのトレーニング、トレーニングだからこそ日々続けることが大事なのだと。

マインドフルネス瞑想は、単なる心のトレーニング方法

マインドフルネスとは、特定の方法で注意を払うことによって生まれる意識のことです。この特定の方法というのが瞑想を指すと、マインドフルネス瞑想ということになります。私たちは、自動運転モードを使って、いくらでも流されて生きることができます。その方が簡単ですし、自然な状態ともいえるでしょう。しかし、トレーニングすることによって、その”当たり前”に流されない力強いコアを鍛えることができるのです。無意識に打ち勝つためには、意識的になる必要があり、そしてそれは、日々のトレーニングによって新たに体得することのできるスキルなのです。そう、マインドフルネス瞑想とは、練習のことなのです。練習によって、マインドフルになることができると、自動運転で流されることなく、自分の反応を選ぶことができるのです。

React(リアクト)とResponse(レスポンス)は違う

日本語では両方とも、「反応」という言葉になるかと思いますが、英語では異なる意味合いがあります。ことマインドフルネスの文脈では、「リアクト」は、刺激に対する自動的な反応を指します。例えば、ストレス源という刺激に対して、自然に自動的に反応することです。一方で、「レスポンス」は、刺激に対する意識的で意図的な反応を指します。リアクトが悪くて、レスポンスが良い、ということではありません。大事なことは、リアクトを受け入れつつも、レスポンスを選択することです。そして、マインドフルネス瞑想の練習をすることで、人生に対してリアクトすることなく、レスポンスできるようになると言われています。では、マインドフルネス瞑想の何が私たちを変えるのでしょうか。


マインドフルネス瞑想が生み出す「隙間」が私たちを変える

瞑想している姿を思い出して頂ければイメージしやすいかと思いますが、マインドフルネスな状態というのは、非常にゆっくりとした余裕のある状態です。普段忙しなく生きる私たちをスローダウンさせます。普段意識するのことない呼吸や感情に意識を向けることで、無意識の自動運転モードから脱け出し、意識的に立ち止まることを教えてくれます。そのまま放っておくと流されていく日々を、意識的に止めるのです。感情についても同様で、感情は私たちにとって重要なのにも関わらず、自分の感情に気づかないことは多々あります。忙しかったり、気が散っていたりして、自分の感情の状態に気づかないことが常です。また、感情に意識を向けることは不快なことでもあるため、防衛反応により、無意識のうちに自分の感情と向き合うことを避けている場合もあるかもしれません。マインドフルネスな状態になると、自分の思考や感情に意識が向くようになります。自動的に身を任せるのではなく、意識的に立ち止まることで、隙間を生み出します。この「隙間」こそが、私たちを変えるものなのだと私は理解しました。マインドフルネス瞑想は、反復練習することで、その隙間をつくるスキルを得ることができるシンプルな練習なのです。

隙間という贅沢品で自分を満たす

私たちは幸せであることを必死に追い求めていますが、その結果、人生の最も重要な部分を見逃し、求めていた平和そのものを破壊してしまうということがあります。私たちは次から次へと押し寄せるTo do リストをこなし、1つのタスクが終わると同時に次のタスクをこなすような日々を送っています。まさに自動運転です。そのような日々において、マインドフルネス瞑想をする時間を取ることは、敢えて自ら自動運転モードを止め、自分で自分にその時間をプレゼントするという、非常に贅沢な選択肢です。私たちの多くは、「自分自身を優しく扱いなさい」と教えられたことはありません。ましてや、ビジネスプロフェッショナルとして日々ご活躍の皆様は、自分で自分を律し、自分に厳しくされてきたことの結果として今日の成功があるというご認識があるのではないでしょうか。自分に一番厳しいのは自分自身です。そしてこれは、無意識の自動運転モードのうちに組み込まれている自分自身への攻撃とも言えるのです。そのようななかで、マインドフルネス瞑想をする時間を自分にプレゼントすることは、自分で自分をエネルギーチャージするようなものであり、自分自身を優しく扱うとても贅沢な贈り物なのです。

私に起きた変化

私はマルチタスクが得意だと思ってきました。マルチタスクこそが、タイムマネジメントの観点からは有効で、効率的で生産性の高い方法だと思っていたのです。しかし、実際には、この自負が自分自身をいじめてきたのだということに最近気づきました。例えば、私は朝食をとりながら耳読をすることが多く、「あー私は時間を有効活用できているなぁ」と思っていたのですが、最近では「同時並行で何かをすることは相当自分自身を疲弊させている」ということに気づきました。それからというもの、なるべくマルチタスクは辞め、一つ一つのことを単体で取り組むようにしました。「ながら」はよくないという感覚です。結果的には、マルチタスクを辞めたところで、最終的な自分のアウトプットは変わっていない気がしますし、自分の幸せ度も向上した気がするのです。当初、瞑想の練習を始めたときは、「これつまらないな」と思ったのですが、そのつまらないという感覚は、効率性と生産性に囚われすぎていた結果だったように思います。

そもそもタイムマネジメントって何なのでしょう。時間をマネジメントしたところで、時間が増えるわけではありません。結局は、一つ一つにかける時間をギューギューに圧縮して、時間を作り出したと勘違いしているだけです。タイムマネジメントは時間の錬金術ではないと思います。何に対して効率的で、何に対する生産性なのか。効率的であり、生産的である自分は、何の観点で素晴らしいのか。自分自身を律し自分自身に厳しくすることは、ある意味では、自分をいじめぬくことでもあります。自分をいじめ倒して自分は幸せでしょうか。自分で自分を不幸にしてはいないでしょうか。

そんなことを思うのも、昔、IBバンカーだった頃の自分はいつもそういう価値観で生きてきたからなのです。タイムマネジメントに酔いしれ、効率的で生産的であることに喜びを感じ、自分に常に厳しく、常に高みを目指していました。今思えば、私は、世の中が作り出した、成功のカタチ、とか、成功するには?という型に、無意識のうちに流されていたのではないかと。まさに私は自動運転モードで自分の感情を意識することなく、ただ流されていたのです。最近の私は、世の中にはびこる色々な種類の”あたりまえ”から自分を解放し、自分自身の軸で物事を判断することができるようになっている気がします。このように自分に優しい選択肢をとれるようになれたことが、マインドフルネス瞑想を学び、練習することで得られた私の変化です。

頑張り屋さんのビジネスプロフェッショナルの皆さん、ぜひ、自分を優しく扱ってあげてください。

そして、マインドフルネス瞑想を練習したくなったら、こちらのオックスフォード・マインドフルネス・ファウンデーションの練習会(無料!オンライン!英語!)に参加されてはいかがでしょうか!

ふぅ!自分でも整理してみたいと思っていたトピックだったので、スッキリしました。お読みいただき、ありがとうございました♪


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