見出し画像

話せるけど、語れない人


いろんな人の
話を聞く機会があります。

1対1も、トークイベントも
本も、動画も、面接も、いろいろです。

たまにすごく
引き込まれるときがあります。

仲良くなりたいし
一緒に仕事をしてみたいと
思ったりもします。


決してぼくのニーズをチェックして
ぼくのために話している訳ではない。

自分の好きなこととか
思っていること、考えていること
を話しているだけなのに。


そういう
「語れる人」って
たまにいるなと思うんです。


話すは「speak」
語るは「talk」
伝えるは「tell」

似てるけど
ちょっとずつ違う。


でも魅力的だなぁ、と思う人は
大抵「語れる人」な気がします。


「語る」とは
なんなのでしょうか。

そして
「話す」「伝える」
との違いはなんなのでしょうか。


熱意があるかどうか。
目を見ているかどうか。
相手のニーズを把握しているかどうか。


ちょっと違う気もします。

ただ、その人が
伝わってくるんです。

履歴書なんかよりも
目の前で語られると
ぐっと「その人」が伝わってきます。


最近、「文化的市民権」
という言葉を知りました。

選挙権がある、納税の義務がある
といったような「市民権」ではなく

文化的な市民権です。


そこにはこう書いてありました。

文化的市民権とは
誰もがメディアや文化にアクセスし、必要な情報を「知り」、自らの意見を「語る」ことができるという権利

出典:多文化社会における 文化的市民権に向けて


「知る」権利は
なんとなくピンときました。

図書館とか
インターネットとか
新聞とか

一方で「語る」権利は
意外とないのかもしれない
と思いました。


国語の時間に音読をしたり
総合学習で発表をしたり
会社で企画書を提案したり
上司に仕事の進捗を報告したり


そんな時間の中に
「語る」という時間は
どれくらいあるのでしょうか。


強いて言えば、好きな人に
愛を語るときくらいでしょうか。


そう思うと
自分の話をしっかりする
「語る」練習というのが
あまりできないのかもしれません。


一方で、私が研究している
「キャリアブレイク」という
一時的に仕事から離れる時間を持つ
期間を取っている人たちは

とにかく、語ります。


堰を切ったように
自分の話をします。

正直、最初は
「話す」「伝える」なんです。


自分の苦労を聞いてほしい
不安や愚痴を聞いてほしい
自分の考えを聞いてほしい
これからのことについて相談したい

などなど。


ただ、話す、伝える
ことを続けていると
少しずつ、語り始めます。


私を主語にして
腹の底で思っていたこと
自分が心から大切にしていること
ゆっくりと語り始めます。


主語は「私」です。


会社から離れているので
なんの肩書きもないため
役割は「私」しかありません。


だからこそ
私を主語に語り始めます。


そうすると
みるみる魅力的な人物へ
変貌を遂げていくのです。


どうして会社を離れると
魅力的な人物になるのか。


それは、私を主語に語れるように
なっていくからなのかもしれません。


だからこそ私たちは
語る場をつくっていきたい。

文化的市民権を
取り戻す機会を増やしたい。

そうして
社会に復帰した人たちは
素晴らしい仕事をします。


こうやって
少しでも良い社会に
下の世代が楽しみになる世界へ

近づけていければと思います。


みなさん
語っていきましょう。


キャリアブレイク研究所
代表 北野貴大

----
▼キャリアブレイク研究所
https://careerbreak-lab.studio.site/

▼月刊無職
https://gekkan-mushoku.stores.jp/
▼むしょく大学
https://mushoku-daigaku.studio.site/

▼問い合わせ先
info@careerbreak-lab.org

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?