見出し画像

反応への感度を上げて,あがり症との戦いは休戦だ。

人前で話すのが苦手と思っていたが
正確には「反応のない場で話すことが苦手
だったことが判明した。

今日は反応の感度について、考えてみる。

あがり症に悩む人は少なくない。
私ももれなくその一人である。

ぱっと見「元気」「パワフル」のイメージを
持たれることが多いので「あがり症」というと信じてもらえないことが多い。
でも正真正銘のあがり症だ。

中学時代は,教科書をみんなで順番に読んでいく形式の授業が大嫌いだった。シーンとした中で、自分の声だけが響くあの感覚が怖かったし、ひたすら自分の番がいつ回ってくるのか、クラスメイトの頭を数えては、その時をドキドキしながら待っていた。

大学時代の塾講師のアルバイトで
”個別指導塾”を選んだのはあがり症だからだ。集団授業なんて到底無理と当時の私は思っていた。(4年後、子どもの前で集団授業を毎日するようになるなんて思いもしなかった)

大学生時代には相当自分に鞭を打って、
色んな場で話をする機会を得た。
ビジネスコンテストの司会や卒業式の式辞も断らずにやってみた。こうして回数を重ねていく中で自分の傾向がつかめて、セルフコントロールが効くようになった。

今では「全然緊張しているように見えなかった」と言われることも稀にある。

だいぶましになった。
息も吸えないほどだったから笑

それでもまだ、
職場の朝礼では声が震える(笑)
4年も働いてるが、依然として
あの「シーン」とした空気には
いつになっても慣れない。

今回のテーマ「反応」に
その原因が隠されていると最近気付いた。


話を戻す。

今日は

反応への感度を上げる」という話をする。

何年もあがり症との戦いを続けて見えてきた
私のあがり症の特徴は

「子どもに対する授業では緊張しないが
大人相手になると途端に緊張する」
というものだ。

なぜ大人に対してだと
緊張してしまうのかよくよく考えてみると、
反応」というキーワードにぶち当たる。

私は授業中に子どもたちに
「ここまで大丈夫?」
「分かったかい?」と度々確認する。

そのときに「はいっ!」という
底なしに明るい返事が返ってくれば
ホッとしてまた次へ進める。

子どもは素直でわかりやすいので
つまんないときは「つまんない」と
顔に書いておいてくれる。

もし気だるい、
やる気のない返事が返ってきたら、
少し余談を挟んで場を温めることもできる。
反応さえあれば、それなりに対応もできる。

悪い反応でもいい反応でも
どちらでも構わないが
「反応」が私に緊張するよりも
先にやるべきことを教えてくれる

「反応」はその場の温度だ。

その温度を知って初めて、
温度の調整を試みることができる。

温度が分からないことの方が
温度が低いと知るよりも怖いと私は思う

その場の温度を知ることで
その場をうまくコントロールできるようになる。

こどもに比べて
大人の「反応」はどうだろうか
そう、かなり分かりずらい。
はっきり言って「反応が悪い」のだ。

「ここまで大丈夫ですか?」
そんな問いかけに大きな声を出して「はい!」なんて返事をしたことがあったろうか。
少なくとも私はない(笑)
せめて頷く程度だろう。

どんなに面白い講義であっても、
大抵の大人は静かに聞いている。

大人には「反応」を抑える癖がある

だから
あがり症の私は不安になるのだ。
メッセージがどう受け取られているのか
分からないから。温度が読めないから。

ゆえに私は
職場の「シーン」とした朝礼では
いまだに声が震えるのだ。

先日、訓練所で
ソーラン節を大人70人ほどに
レクチャーする機会をもらった。

これまで子ども相手に
幾度となくしてきたソーラン節の授業だ。

大人相手は、やはり
いつもと全く違う雰囲気だった。

もちろん「ここまで大丈夫ですか?」に
大きな「はい!」という返事は聞こえない。

でもなぜか緊張しなかった。

当たり前だが誰もが満面の笑顔で
参加してるわけじゃない

しかし

あの日の私は
参加者の動作の一つ一つから
色んな感情をキャッチすることができてた。

反応をキャッチしていたのだ。

それが緊張しなかった理由であろう。

大人の「反応」は見えにくいけど
ぐっと感度を上げてみると
小さな「反応」を発見することはできる

そうやって「反応」への感度を上げていけば
もしかしたら、大人相手限定で発症している
このあがり症との長い長い戦いも
休戦に持ち込めるのではないかと思う。

感度の上げ方はまだよく分からない。
ただ、普段より
よく見て見ることで何か違った
心の動きがあるかもしれない。

終戦は無理だと分かっているので
しばらくお休みを頂けると助かる。

#青年海外協力隊
#二本松訓練所
#派遣前訓練
#あがり症
#克服
#人前