【クウェート#27】とりあえず、1ミリも知らない人の結婚式に行った
カールと申します。日本人大学生です。
中東のクウェート大学に留学しています。
10月25日(水) 午後5時半ごろ。
寮の階段で、クラスメイトのサイイドとすれ違った。
彼は私に、不可解な提案をした。
「これから結婚式に行くんだけど、一緒にどう?」
「いいけど、誰の結婚式に行くのさ?」
「分かんない。」
どうやら、「シャイフ」(敬称。「師」のような意味)と呼ばれるアルジェリア人が、サイイドを招待したらしい。
しかも、シャイフ自身が結婚するわけでもないという。
シャイフは寮に住んでいる壮年男性である。
なぜシャイフが参加者を募集しているのか?
なぜ私たちなのか、私たちで良いのか?
そもそも彼は何者なのか?
一切は謎に包まれている。
一つだけ確かなのは、30分後には出発しなくてはならない、ということだけだ。
私は「1ミリも」知らない人の式に誘われた。
言うまでもなく、こんなのは人生で初めてだ。
しかしせっかくのお誘いだ。
とりあえず、行ってみよう。
どうやら、寮がバスを手配してくれるらしい。
どこで何時から開催されるのか分からないため、かなり助かる。
出発は6時。シャワーを浴びて髪を整えた。
寮の隣の部屋に住む「リーダー」は昼寝していたので叩き起こした。
何を着ていこうか。
ディスダーシャ(民族衣装)を着ることも考えたが、アイロンがけを怠っていたため皺まみれだ。
これではみっともない。
私はスーツを着ていくことにした。
結果として、大半の留学生はディスダーシャだった。
私とフランスの1人がスーツ。
あとはラフな格好である。
明らかに雑なTシャツの学生もいた。それでいいのか?
バスは30分遅れでやってきた。
出席が土壇場で決まるのも、式の詳細がわからないのも、バスが遅れるのも、それほど驚くには値しない。
クウェート(というよりも中東)は色々と適当である。
一つ例をあげよう。
外国人管理を司るクウェート内務省は、私の性別を誤認していたらしい。
というのも、パスポートの写真では私は長髪だったからだそうだ。
この件以来、私は適当さに目を瞑ることにしている。
出発時、クウェートは夜の帷に包まれていた。
イスラーム文化において1日は日没と共に始まる。
今日も明日も「平日」だが、それでも1日の始まりである夜から、式が開催されるようだ。
もっとも、クウェートの日中は未だに30度以上だ。
仮に日中に開いたとして、暑すぎて人を祝う気分にはならないだろう。
20分ほどで、ジェッダ・ウェディングホールについた。
屋外では、剣を使ったパフォーマンスが行われていた。(動画を参考にしてもらいたい。)
肉声と三種の太鼓で音楽を奏で、剣を上下に振って観客を楽しませる。
人生であまり体験したことのない、独特なリズムと舞踊だ。
この演舞はクウェート独自の風習だろう。
クウェート国旗が掲揚されているのも印象的だった。
会場に入る。
ディスダーシャを着た参加者たちでひしめき合っている。
スーツ姿の私は、明らかに浮いていた。
それにしても、恐ろしいエアコンの効き具合だ。
クウェートでは、どこでも冷房が効きすぎている。
なぜ、灼熱の国で凍える思いをしているのか?
私はいつも疑問に思う。
とくに、今日は輪をかけて寒い。
冷房の見本市か何かのつもりなのか?
上を見上げると、ドローンが常に空撮をしている。
ほかにも高価な撮影機材が揃い、新郎がモニターに映されている様は、確かに何かの見本市に見えないことはない。
結婚と寒さといえば、古今亭志ん朝の落語の、とあるマクラを思い出す。
「ひとりじゃ寒い」空間ではあるが、残念ながらここには、寒さを分かち合いたいと思える相手もいない。
この会場には女性がいない。
(おじさんたちと鮨詰め状態だったため、「ぬくもり」が感じられたのは真実ではある。)
会場は男女で分かれているらしい。
(マレーシアやトルコの友人も、披露宴は男女別だと言っていた。)
イスラームにおいて、結婚式はいくつかのプロセスによって構成されている。
今回の式は、そのプロセスに伴う祝宴(ワリーマ)に当てはまるものだと思う。
周りのムスリムの友人たちも、祝宴の様子に興味津々のようだ。
祝宴は宗教的というよりは、各地の文化を反映した地域的なものだ。
祝宴では豪華な料理が振る舞われた。
日本の結婚式とは違い、机は殆どない。
基本的に立ち歩いて喋りまくる。ご飯を食べるときだけ、椅子に腰掛ける形式だ。
「喋りまくり」の部分については、ご飯のおいしさのあまり、不覚にも忘れてしまった。
会場には無数のウェイターがいて給仕してくれる。
人件費だけでどれほどのコストになるのだろう?
私が嬉しかったのは、デーツである。
とりわけ黄色いデーツ(熟していないもの)が気に入った。あまりスーパーで見かけたことがない。
少し渋くて甘い味わいだ。食感は硬くて少しみずみずしい。ぬめり気はない、さっぱりした歯応えである。
私は柿を思い出した。
日本の秋に想いを馳せる。
料理はビュッフェスタイルだ。
ソースにつけたウェルダンの牛ステーキが圧倒的に美味しい。何枚でもいける。
ステーキと一緒に、白米をいただきたい気分だ!
しかし残念なことに、黄色かピンクの米しか無い。
クウェートで美味しい白米を食べるのは難儀だ。
スーパーでジャポニカ米を買ったとしても、(余計なことに)大概は「ジャスミンフレーバー」なんかがついている。
祝宴では、やはり剣を使ったパフォーマンスが目を引く。
私たちも剣を持たせてもらった。
剣はなかなかの重さだ。レプリカではなく、本物の金属である。
ただ、刃の部分に切れ味はなさそうだ。
とはいえ、190センチはある友人がニヤつきながら剣を振り回す様は、心胆を寒からしめるには十分だ。
会場がいっそう寒くなった気がする。
太鼓を叩くのは(おそらくは)専門の奏楽者だが、「叩かせてください!」と言ったら快く貸してくれた。
太鼓に決まったリズムは無いと思われるが、なかなか難しい。
適当にドカドカ叩いているわけでは無いようだ。
祝宴では、踊りっぱなしだった。
特に決まった踊り方は無さそうだ。
体を揺らしたり、手を叩いたり、思い思いの楽しみ方をしていた。
自慢ではないが(いや、実は自慢である!)、私は会場で新郎の次に目立っていたと思う。
クウェート人の「ぬるい」踊りとは一線を画す、ジャパニーズ・二次会・サムライスタイルの踊りを見せつけてやったからだ。
会場ではいくつかのダンスグループが出来ていたが、私は引っ張りだこだった。
南アジアで知らない人たちに囲まれて1人だけで踊ったことがあるが(後日記事にするかもしれない)、それに比べれば何ということはない。
それに目論見通り、踊りを通して何人かの友人も出来た。
それにしても、豪華な祝宴だ。
これには、クウェートの文化が関わっていると思う。
クウェートでは家の結びつきが強い。
知り合いの投資家が教えてくれた話を思いだす。
なんでも、クウェート人同士の商談では、社長同士が肘を突き合わせて談判をすることが多いという。
その際、家同士の関係性がモノを言うのだという。
「自分の会社はA家で、彼はB家だ。両家の誰それと誰それに婚姻関係があって...云々。」
その投資家は、実際に周りの人が何家出身なのかを正確に判断していた。
彼は自分のビジネスにも、家同士のコネを存分に利用しているようだ。
彼は私にこう言って話を締め括った。
「だからね、クウェートでは家の結びつきが全てなんです。」
祝宴の豪華さの裏にも、そういった家同士の繋がりを感じさせる側面があった。
新郎の一族と、おそらくは客人の家族とで話し合う。そのような場面がチラホラと見受けられた。
また、「新郎の家」の富を誇示するという意図も感じられた。
そうであるからこそ、例え無関係な人(私たち留学生はその極みだ)であっても、歓迎されるのではなかろうか。
ちなみに、我々は「ご祝儀」に類するものを全く払っていない。
あくまでゲストとして歓待されたのみだ。
けっきょく最後まで、新郎のことは殆ど分からなかった。
申し訳ないが、祝宴が終わった30分後には、顔も名前も失念してしまった。
シャイフについても、何者なのかは分からなかった。
ただ、今日は色々な「縁」を感じる1日だった。そのことだけは分かる。
謎の新郎と謎のシャイフの繋がり、シャイフとサイイドの謎の繋がり、そしてサイイドと私の繋がり。
今日参加出来たのは、それらがあってこそだ。
「さよなら、ダンサーさん!」
よく知らない人が挨拶してくれた。
これもまた一つの縁である。
そういえば、志ん朝は前述のマクラで、「縁」について強調した。
新郎新婦のことは何一つ知らない。
「とりあえず」行っただけだ。
それでも、私には招かれたという縁がある。
結婚という最高の縁を心からお祝いするには、それだけで十分だ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?