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[読書の記録]内田樹・岡田斗司夫『評価と贈与の経済学』(2013.04.27読了)

思想家の内田樹とオタクの岡田斗司夫の対談である。
タイトルは固いが、わりととりとめのない話が多く、サラッと読める。
それだけに散漫な印象も受けるのだけど、そこかしこに良いことが書いてあるという感じ。
あえてまとめるなら、後期資本主義を通過したわれわれがこれからより良く生きるにはどういう社会(≒共同体)を作り、どういうふうに経済を回して行けば良いか?という問いが主題となっている。

日本では結婚率がさがり、伝統的な家族の形態を維持するのが難しくなっているいっぽうで、個人の所得も低下し失業率も上がっているので、家族に代わるなんらかの相互扶助システムが無いと食えない人たちが今以上に大量に発生することが予想される。
そこで提案されるのが、血縁や地縁に基づく親族/家族による相互扶助システムを超えて、所謂「シェア」(cf. 『シェアハウス〜わたしたちが他人と住む理由〜』)的な思想に基づいて他人と作っていく「拡張型家族」である。

拡張型家族のあり方として例示されているのがジョン・ウォーターズ組、ドリームランダーズだ。ジョン・ウォーターズは深刻なトラウマを抱えた人たちと共同作業で映画、しかもお気楽な娯楽映画を作っていた。
血のつながりが無くても、何か共通項(トラウマを持っている)があるだけで家族になれるということらしい。家業は映画製作。小津組も似たような感じだったそうだ。
「おはよう」「おやすみ」「いただきます」「ごちそうさま」「いってきます」「いってらっしゃい」「ただいま」「おかえり」の八語を家族全員が適切なタイミングで口にできれば、家族は誰とでも作れるし、家族は十分もつ、と内田・岡田は言う。

これ、一歩間違えれば、昨今の「会社勤めやめて仲間と起業しようぜ♪」イデオロギーちっくな香りもするんだけど、少し違うのが、「自己実現」をモチベーションとしていないところだ。


内田&岡田は、個人としての自己実現が優先するなんて、狂ってるという。
生物として最優先すべきは「集団が生き延びること」だろ?と。
単独で「誰にも迷惑をかけない、かけられない」生き方を貫くより、集団的に生きて「迷惑をかけたり、かけられたり」するほうが生き延びる確率が高い。
世の中、得られる収入だって手に入る社会的地位は運によるところが大きい。なぜなら努力と報酬は相関しないから。
それならば大勢でチームアップしていたほうが、集団全体として成功する確率が高まる。自己責任・自己決定・自己実現のイデオロギーはもう通用しない。

拡張型家族を単位とする社会では、「人にいいことをしてあげる」ことと、「してもらう」ことの連続の中で成り立つ新しい形の経済活動が行われるようになるという。
貨幣に媒介された価値の交換ではないので、すぐに自分の行動に対する対価が得られるとは限らない。
しかし、いいことをしてると、自尊感情がわき、それだけで生命力が向上する、これも報酬であると内田はいう。これには納得である。
いいこと、などと言うと大げさだが、便座を下げる、洗い物をためない、シャツにアイロンをかける、おじいさんに席を譲る、ブスにも愛想良くする、など日常からの基本的善行を自然に積み重ねることで良い人オーラを手に入れたい、というのは私の目標でもある。

贈与を基本とする経済という意味では、2006年にアジア通貨危機が飛び火し、アルゼンチンでデフォルトが発生して公共サービスが停止し、すべての銀行が預金封鎖されたとき、物々交換を基本とする地域マーケットが急速に発達した、というエピソードを思い出した(姜尚中がホストするNHKのドキュメンタリーでやっていた)。
2008年に金融危機が起きてマネーの世界の信用が一気に凋落したとき、これから長期的には2006年のアルゼンチンのような、貨幣を媒介にしないローカルな贈与交易がメインになっていくんかなぁ・・・ということを考えたのを覚えている。

さすが内田樹だなと思ったのが、こういう贈与を基本にした交易を説明するとき、ド定番の事例である社会人類学者マリノフスキーによるトロブリアンド諸島でのクラ交換研究の話をしているんだけど、これがめちゃくちゃわかりやすくてスッと胸に落ちていく説明の仕方なのですよね。
ずっと前から知っている話だし、『西太平洋の〜』 も読んだのに、今までで一番腑に落ちたというか。

曰く、クラが継続的に交易されるのは、クラそれ自体には実用性が無く、クラには「直前まで、潜在的な敵のエラいやつが持っていた」という設定が付与されているからであるという。
つまり一種の物語消費なのだよね。
思えば嗜好品というのは「マイケル・ジョーダンが96年に優勝したときに着用していたナイキのスニーカー」とか「ベトナム戦争で米国陸軍が採用していたハミルトンの時計」みたいな設定に付加価値が付いているパターンが多い。そこにみんな、単純な機能以上の対価を払っているわけよね。
ということは嗜好品消費に、ある種贈与経済の端緒が含まれているのでは?とも思った。物神化だよとドヤ顔キメて片付けてしまうのは勿体ないかも。



あえて苦言を呈せば、全体的に説教臭い感じはあるし、もうシニア世代といえる2人が描く未来像がどれくらいリアルなものか?と疑問にも思う。
時折挟まれる「年寄りは若者をもっとリスペクトしよう」というフレーズも免罪符にしか見えんな。

まあ、タツラーは読んどいてもいいんじゃないでしょうか。


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