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海外サマーインターン③正社員採用に向けて

入社前から準備開始

7月に夏休みが始まってすぐ、シェルでのインターンを開始する予定だった。ところが、就労ビザの入手が遅れてしまう。私は、絶対に内定をもらってヨーロッパで就職したいと思っていたので、ビザの発行が1カ月遅れても、夏休み開始と同時にハーグに引っ越し、インターンの準備をすることにした。週に2回程度、会社に顔を出し、上司に参考資料をもらって、業界知識を身につけた。お給料をもらえずとも働くことで、上司に熱意を示したい、という狡い計算もあった。

ただ、ビザが取れるまでは自分でアパートを借りることもできない。MBAのクラスメイトで、同じくシェルでインターンをしていたレバノン人の家に居候させてもらうことにした。彼は、ドイツのパスポートを持っていたので、すぐにインターンを開始し、3階建ての広い一軒家を借りていた。部屋が余っているので、ビザが出るまで、居候させてくれると言う。私は、「それなら家賃を半分払う」、と言ったが、「まだお給料もらっていないのだから、気にしないで」、と言ってくれた。彼とは入学した当初、Academic Repのポジションを巡って選挙で競った仲だったが、そんなこと全く気にせずに親切にしてくれる。MBAで出会った数多くの親切な人の中でも群を抜いて親切な人だった。

その頃は、ハーグの図書館で参考文献を読む日々だった。トラムの路線が行き交う街の中心に位置する図書館は、オランダらしい機能的な美しい白い建物だった。図書館の一階には美味しいアップルケーキとコーヒーを飲める喫茶店や、ハーグの観光グッズなども売っていた。夏のハーグは過ごしやすい街だ。北海に面しているので、水温は冷たいものの砂浜のビーチには、カフェやレストランが並ぶ。短い夏を楽しもうと、オランダ人は仕事が終わると自転車やトラムにのってビーチへ向かう。私も朝早起きして、ハーグの海岸をジョギングしていた。夕方には、図書館の近くにあったアジア食材店で買い物をして、居候をさせてくれているレバノン人へのお礼もかねて、日本食を作っていた。

上司が参考文献としてシェアしてくれたのは、投資銀行やコンサルティング会社が書いた、液化天然ガス(LNG)の市場分析や、天然ガスの価格メカニズムに関するものだった。当然英語で書かれているので早くは読めないし、エネルギー業界の知識のない私にとって、専門誌は難解だった。守秘義務の問題があるので、シェル内部の分析資料はインターンが正式に始まるまでシェアしてもらえなかった。

1ヶ月の集中インターン


7月末、一カ月遅れていた就労ビザがとれて、シェルでのサマー・インターンが正式に開始した。海岸近くの安アパートへ引っ越した。たった1カ月という短い期間で借りられる家がそこしか見つからない、と人事部に言われた。部屋の鍵が小さくて、まるで物置小屋用の鍵のようだった。また、洗濯機が他の住人と共有だった。一度、洗濯物を取りに行ったら、私の洗濯を終えた濡れたままの衣類が、洗濯機の前の床に投げ捨てられていた。せっかく洗濯したのにやり直しだ。

そんな暮らしだったが、住居への不満を感じる暇がないくらい、仕事に没頭した1カ月だった。朝7時のトラムで会社へ行き、夜22時近くまで残業することが多かった。大抵の日は朝も晩もデスクで食事をしていた。ランチは会社の食堂で他のインターンの友達と食べた。家では寝て、シャワーを浴びるだけだった。

忙しかった理由の一つは、インターンの開始が1カ月遅れてしまい、本来であれば2カ月かけて行うはずのインターンの課題を半分の時間でこなさなければならなかったからだ。また、上司がインターンの課題設定自体を私に任せており、テーマ設定自体に苦労した。上司はシェルで働く前は、大学で数学の研究者だった。イギリス英語が聞き取りにくい上に、インターンの課題は「ビジネススクールで学んでいる知識を、LNGの価格分析に当てはめた分析をしてほしい」と指示が曖昧。LNGとは何かさえわかっていなかった私が、その業界で10年、20年働いている人達から面白い、と言ってもらえるようなテーマ(言い換えると、フルタイムの内定をもらえるようなテーマ)は何だろう、と考え続けた。他のチームでインターンをしている友人達に相談すると、彼らの上司は具体的なプロジェクトを与えてくれているとのこと。「インターンとして入って、業界知識もないまま、課題まで自分で決めるのは無理。上司に言って課題を彼に決めてもらうべきだ」とアドバイスされた。私は「上司は研究者出身なのだ。純粋な知的好奇心から、ビジネススクールで教えられるモデルが、実際のビジネスにどう役立てられるか知りたいのだろう」と思って、何とか自力でテーマを見つけようとしていた。

私は、「LNGの価格分析と、ビジネススクールで学んだ知識をつなげやすいトピックは、回帰分析だ」と思っていた。上司も興味を示していた。ただ、実際には、統計の授業を1コマ受けただけの素人が、コモディティ価格の予測モデルを組むことは不可能。これは、金融工学の博士号を持った人達が、投資銀行で行っている仕事だ。上司も数学の博士号をもっていた。それでも、この方向性でデータを集め始めた。数学的、統計的な分析がベーシックになってしまうので、面白いテーマ設定と切り口を見つけることで、自分の分析に付加価値をつけようとした。回帰分析に使う変数を探して、石油と天然ガスの地域ごとの価格を調べていると、石油の価格は国際的に連動しているのに対し、天然ガスの価格は、アメリカが最も安く、ヨーロッパはその倍、アジアはヨーロッパの倍というくらい地域差があることに気がついた。INSEADの先輩で同じチームで働いているインド人が、「これはとても重要なポイントだ」と褒めてくれたので、綺麗な図にしてプレゼンの導入に使うことにした。そして、日本を含むアジアのガス価格がなぜ高いのか、ヨーロッパやアメリカのガス価格に収斂する可能性はあるのか、という方向で分析をすることにした。

日本支社の皆様に助けて貰う


ここで、一番助けてもらったのは、日本支社からハーグに駐在で来ていた方だった。素人の私に、とてもわかりやすく、現在のLNG取引の基本を教えてくれた。日本はLNG輸入量世界一(シェア約40%)だ。そしてシェルはLNG取引のシェア25%を占めるトップ企業だった。日本のLNG取引に関し、シェルの日本支社で働かれていた方から教えてもらえたことは、大変助かった。中でも、「福島原発の後、原発に頼っていた電力会社は、その代替としてLNGの輸入を一気に増やした。その結果、従来は15年前後の長期契約が主流だった日本のLNG輸入がスポットでの取引を増やしている。日本の顧客は、従来の長期契約で使われていた原油価格にリンクしたLNG価格ではなく、アメリカやヨーロッパのガス価格インデックスを使った契約への転換を求めている」という話は面白かった。そこで、福島原発以降のスポット取引価格に回帰分析をあてはめた。また、日本独自の電力市場(地域ごとの独占状態)や、アメリカやヨーロッパのようにパイプラインガスが存在しない日本でガス市場やガスの価格インデックスが今後生まれる可能性はあるのか、という定性的な分析を加えた。

日本支社からの駐在員から聞いた話が、私のインターンのプレゼンの質を大きく高めてくれた。日本市場に関する分析の深掘りには、言語の壁もあるので、日本人としてヨーロッパの企業から内定をもらうにはうってつけのトピックだった。現実的には、日本以外のトピックでは、ネイティブと同じスピードで専門的な資料を読むことも不可能だった。

MBAのクラスメートに助けて貰う

テーマが絞られた後は、社内のエキスパートや、エネルギー専門の社外コンサルタントに自分の仮説を聞いてもらい、アドバイスを受け、プレゼンを加筆修正していった。刻一刻とインターンの終わりが近づいてきた。自分の英語力では、なかなかかっこいいプレゼンにまとまらなかった。最終発表まで2週間を切った頃、居候をさせてくれていたレバノン人が、私のプレゼンを丁寧に添削してくれた。自分の仕事が終わったあと、夜20時くらいから始めて、夜23時までかけて、一行一行の表現を見直してくれた。彼自身のインターンの課題も忙しいのに申し訳なかったが、彼は、「修正したらまた見せてね」と言ってくれた。その言葉に甘えて、数回、修正を手伝ってもらった。彼に最終プレゼンを修正してもらった夜、2人でその時間でも開いているケバブを食べに行った。居候だった頃、私は日本食を作って恩返しするような時間の余裕があった。仕事が始まったとたん、ケバブで、その落差が大きかった。でも、美味しいご飯を作るゆとりがなくても、充実している仕事がある方が楽しかった。親切な友人がいることも幸せに感じた。

最終面接(インターン発表)


あっという間の1カ月が終わり、インターンの最終日を迎えた。それは私の最終発表の日でもあった。面接室へ行くと、人事部長、LNG部門の部長、私の上司、人事部の採用担当の方が部屋にいた。質疑応答が始まる前に、上司は「ビザの手配が遅れ、時間が半分しかなかったのに、彼女は努力でカバーした」というコメントをしてくれた。

1時間の面接で、まずは、私がインターン中にまとめたプレゼンを発表。次に、人事部長から、ソフトスキルに関する質問が聞かれた。(例えば、インターンをとおして、どのような苦労があったか、それをどう乗り越えたか。)人事部長はとても優しい人と聞いていたが、スコットランド訛りがきつく、私が緊張していたせいもあり、英語の聞き取りに苦労した。

インターン中に苦労したこととして答えたのは、幾人かの同僚との人間関係だった。親切な人との出会いに恵まれたインターンだったが、全てが順風満帆だったわけではない。チームメイトの英語が、オランダ語訛りで聞き取れず、回帰分析に必要な価格データをもらえなかった。いちいち「何故そのデータが必要か」聞いてくる彼とのやりとりはストレスで、「お願いしているデータを黙って渡してくれればいいのに」、と感じていた。結果的には日本支社からの駐在員の方が必要なデータをシェアしてくれた。また、私がテーマに取り上げたのが日本向けのLNG価格に関する分析だったので、その最前線にいるトレーダーに話を聞こうとしたところ、「そんな分析意味ない」と言われて、30分いっぱい電話で嫌味を言われた。彼は、日本市場向けの仕事をしていた。台湾人と日本人のハーフだった。日本語のできる私が本社採用になることで自分のライバルとなることを嫌がっているようにも感じた。ここまで赤裸々に答えたわけではないが、正直に「何人かのキーステークホルダーから上手く情報を聞き出せなかった。他のルートで必要データを入手するなど、自分の努力でカバーした」という話をした。人事が求めていた正解ではなかった。正解は、こういう難しい相手とも、自分のプロジェクトに協力する意義を説明し、納得してもらうことで、人間関係を築けた、といったサクセスストーリーだった。続いて、LNG部門の部長から、プレゼンの内容に関する質問があった。後で上司にフィードバックを聞いたころ、プレゼンの内容は高評価だったものの、ソフトスキルに関する人事部とのやりとりは、英語が聞き取れていたか、ということも含めて問題視された、とのことだった。

合格発表


私の最終面接があった夜、同じくINSEADからシェルでインターンをしていた他の2人のクラスメイトとレバノン料理のレストランでお疲れ様会をした。私とレバノン人男性に加え、もう一人マッキンゼー出身の中国人男性もシェルでインターンをしていた。そして、私以外の2人はこの時点で既にフルタイムの内定をもらっていた。レバノン人男性の提案で、お世話になった、MBA採用担当の人事の方も招待した。面接結果は、翌日上司から知らせてもらえることになっていたが、人事部の採用担当の方が「あなたも合格した」と、レストランでこっそり伝えてくれた。最高の夜だった。一緒にインターンをしていた私達3人全員が内定をもらえた。先に内定をもらっていた2人が私のために喜んでくれたことも嬉しかった。

ディナーを終えて、私は自分のボロアパートに帰り、ベッドに仰向けに寝た。両親に電話して内定をもらったことを伝えた。2カ月前、ハーグに来てからの日々を思い出す。「こんなに嬉しかったことは、久しぶりだな」と思った。人生の節目だった。海外就職なんて無理だろうと思っていたのに、それが実現した。明日にはハーグを離れて、フォンテーヌブローに帰り、後半のMBAの勉強に戻る。夫が車でハーグ迎えに来て、引っ越しを手伝ってくれる予定だ。明日夫に会って、お祝いしてもらうのが楽しみだった。夫が望んでいた海外就職を手に入れられたことが、誇らしく感じた。しかも、夫が働いていたベルギーから車で2時間の距離のハーグだった。仕事内容としても面白そうなものだった。

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