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Evil and Flowers~新居浜・両親殺害事件~最終回

苛立つ弁護人

被告人質問が続く。
弁護人はそれまでも、どうにか剛志の心を開かせようと質問を繰り返していたように思う。しかし、それを知ってか知らずか、はたまた言葉がうまく出てこないのか、剛志の答えは言葉のチョイスが変わることはあっても、表面を滑っていくようなものが多かった。

(弁護人/以下同:後悔の気持ちについて詳しく聞かせてほしいんだけど。)
「えーと・・・。まずもちろんこの件に関しては後悔してますし・・・、えーと・・・、もっと、えーと自分の考えを・・・周りにもっと言ってればこういうこともなかったんじゃないかと・・・」

(どういう話を?)
「主に、自分の考えを周りに向けて言えば・・・」

こんな調子で、聞き直されても結局同じ答えを繰り返すだけだった。次第に、弁護人の口調に苛立ちともとれる感情が溢れ出る。

(お父さんには?)
「・・・。・・・。まぁ、父というか、両方に対しては・・・その・・・自分の思っとる気持ちをゆっとけば・・・」

(手紙についてなんだけど、あれは正直な気持ちじゃないの?)
「・・・。投げかけとるけん、あーいうの(内容)になったと思うんスけど・・・」
(足りなかったってこと?)
「・・・足りないというのとはちょっと違うけど、日ごろから・・・まー、溜め込まずに気持ち以外の面でも言っとけば・・・」

ここで弁護人はたまらず、語気を強めた。

(そういうけど、親にちゃんと話できたと思う?そもそも! 10月以降、あんな感じで・・・)
メモにあるので間違いないと思うが、この時弁護人は「あの親」と言っていた。つい、口走ったのか、しかし法廷の誰もがそれは思っただろう、「あの親」に自分の気持ちをぶつけることなどはたして可能なのか、と。
それに、剛志は散々ぶつけては跳ね返されてきたのではなかったのか。それこそ、全てを跳ね返す「ゴムの壁」である。受け止めてなどもらえた時があったのだろうか。

「その当時は難しいと思うけど、(ちゃんと言えていれば事件を起こさず)自分なりにやっていったと・・・」

(出来たかも、ってこと?)
「うーん・・・。・・・。いや、やっていったと思います。」
(でも結果として出来なかったのはなぜ?)
「考えてたことを・・・」

それまでちゃんと剛志にしゃべらせていた弁護人は、この時ばかりは剛志の言葉を遮った。

(いやそうじゃなくてさ、何かが足りなかったから、言えてないから事件が起こったんでしょ、じゃあ何が足りなかったから言えなかったの?邪魔してたのは何?)
「・・・。・・・。何が足りんかったとか、そういう具体的な理由は・・・わからないです。」
・・・ヒグマ撃沈。

そうなのだ。剛志はわかっていない。何が足りていなかったのか、どうして言えなかったのか、自分は足りていなかった、出来ていなかったのはわかっていると言いながら、じゃあ何が足りなかったのかは、理解できていない。
いや、理解できないというのは違う、そもそも無理だったのではないか。家を出ても、苗字を買えても、親はどこまでも追いかけてくる。
切っても切れない、このどうしようもない親子という関係。それを目の前にして、剛志には出来ることなどなかったのではないか。足りなかった、のではなく、どうしようもなかったのではないのか。

おそらく、幼いころから非をあげつらわれ、認めてもらうことなどなかったのではないか。
それゆえ、いつか剛志の心にはなにかトラブルが起きると、「自分が足りなかった、出来てなかった」とする以外に術がなかった。自分の言い分など、聞いてもらえたことなどなかった。
我が子がアトピーで苦しんでいるのに、タバコをやめない、家をキレイにしない、毎日の飲酒、あげく、子供の財布から金を抜く…
私は母親の立場であるからどうしてもそこに立ち戻ってしまう。虐待ではないのかもしれないが、辛かったろうなと、どうしても思ってしまう。

それぞれへの思い

弁護人は両親、元妻と子どもたち、そしてAさんに対する思いについても訊ねた。
「元妻には・・・離婚についてもそういうことをもっと(具体的に?)・・・(元妻の)母親抜きで二人で話していれば良かった。巻き込んでしまって申し訳ない。
子供らに対しては・・・。うーん・・・。突然に、えーと・・・急におらんようになって寂しい思いさしとるし、んで・・・まぁ、当然子供らなりに怒っとると思うし・・・。・・・そういうのに対してやっぱり謝りたいってのはずっとありますね。」

「二人(両親)に対しては、うん、謝りたいってのはありますね。その気持ちを忘れずに・・・今からやっていくしかない。最初に言った通り、もう・・・。後悔はしてます。んでー・・・、あの・・・謝りたいって気持ちはずっとあるし、これからもそれは忘れることはまずないと思います。」

「(Aさんに対して)いちいちまわりくどいこと言わずに・・・。・・・えー。その親との同居のこと話しとけばよかった」この辺りは私には何を意味しているのかは分からなかった。
弁護人は、それでたとえAさんが離れていったとしても?と訊ねた。
「そうっすね。じゃないと・・・また自分の考えてることがはっきり言えんなってしもてもいかんので・・・」

その後、検察からみじかく質問があったのち、裁判所からの質問が続く。
末広裁判長は、AさんにLINEをしていた順番や時間、それと並行して行われた母への暴行について、時系列で順番に話してほしい、と質問したが、剛志はその質問が理解できなかったのか、言葉に詰まってしまった。
話したくない、というのではなく、「思い出せない」と言うのがやっと、という状態だったが、先の検察からの質問でもLINEの内容については覚えているものもあるが、なぜそんな内容を送ったのかについては、一切わからないし思い出せないと話していた。
裁判長は質問を撤回し、続けてAさんへの今の率直な思いを訊ねた。ちょっとこれは意外だった。両親や元妻ではなく、まず不倫相手であり、事件の重要な位置にいるとされるAさんへの思いを引き出そうとするのは、何か意図があるのだろうと思ったが、剛志は
「いろいろと巻き込んでしまったこと、申し訳なかった。」
と短く答えた。しかし、続けて、「これからのことは、別に…」と、呟いた。
しかし、今後のことを改めて聞かれた際には、
「こういうこと起きてしまって、(それでも)面会に来てくれた人、手紙くれた人おるんで、励みとかじゃないかもしれんけど、心配してくれとる人がおること自覚して・・・。」
事件直後、洋子さんの弟で、剛志のおじに当たる男性がとるものもとりあえず警察へ来てくれたという。面会を申し込まれたものの、剛志は動揺しており、また、疎遠だったおじに何を話していいのかもわからなかったのだろう、面会を拒否していた。
それにもかかわらず、そのおじは、証人として剛志の更生の支えになると証言した。さらには、刑務所に入ってほしくない、そもそも相手の女性(Aさん)を責め立てるのは間違っているし、処罰感情はないとまで言い切った。
剛志はそのことを知って大変驚いたという。そういう、自分のことを思ってくれている人々に対しては、感謝の気持ちを表していた。

論告求刑

検察は、この事件について事実関係の争いはないとし、裁判員に対し、量刑について考えるよう求めた。
その上で、①結果の重大性 ②犯行の悪質性 ③動機の3つについて最終弁論を行った。
まず、①の結果の重大性について、2名の命を奪うという結果を重視した。そして、亡くなった勝浩さんと洋子さん夫婦が仲の良い夫婦であったこと、剛志が実家にどもったことを安堵していたこと、長崎の姉に対し、事件直前の正月には、「4月になったら桜を見に長崎へ行こうかと思う」といった明るい話をしていたという点を挙げた。
まだ50代と若く、これからの人生をよりにもよって最愛の息子に奪われるという悲劇はこの事件において重要な点であると述べた。

しかし一方で、求刑の理由として、「被害者が親であるということを重視しないように」とも述べた。被害者が身内の場合、どうしても量刑が軽くなる傾向を危惧したのかもしれないが、いささか矛盾を感じる内容だった。

剛志に対する母親の暴言についても、本人が覚えていないくらいなのだから心理的影響はなかった、とし、よって母親の影響は少ないとした。

犯行の悪質性については、強固な殺意を見てとれるとし、無抵抗の父親を一撃で殺害し、母親には長時間にわたる苦痛を与えた上に殺害するという、突発的ではあるが一方的で執拗な行為であると断じた。
それまで真正面を向いていた剛志は、「強固な殺意」と検察官がいったとき、一瞬、検察官を見た。そして、母親に話が及んだ際には、うつむき、背後から見える頬に少し力が入ったように見えた。

動機については、検察官はAさんのため、と言い切った。えー・・・。
両親に別れを迫られたことが動機であり、適応障害や希死念慮、IQの低さなどは関係ないとし、さらには嫌なことがあれば死にたいというのは誰にでもあることで真に受けるべきではないとまで言った・・・
もう自分が呼んだ精神鑑定医をバッサリ全否定である。

幼いころから事件までの経緯についても、本人がそう思っていなくても両親は愛情持って育てていたとし、大きな虐待などもないと述べた。
元妻とも生活が嫌になれば、不義理を働き続けた両親を頼るなど非常に身勝手であるにもかかわらず、そんな剛志に対し、洋子さんは食事を作り、勝浩さんは車を買ってくれる(返済は剛志がしていた)など、親に落ち度はないとした。

話は両親による常軌を逸した不倫の追及へ。そこでも検察は、親が不倫を非難するのは当たり前、会社に言うと脅すのも無理はないし、とにかく不倫という行為をしていた剛志こそが、両親の信頼と期待を裏切ったと断じた。
そして、無期懲役を求刑した。

弁護人の熱意

対する弁護人は、まず量刑についての解釈から始めた。
量刑にはいわゆる相場というものがあり、過去の判例などをもとに冷静な判断が求められるとした。
これには賛否があるだろうが、同じ殺人事件でも被害者が子供や若い人のような場合は世論が感情的になることがある。現に2010年の大阪の虐待死事件では、検察の求刑10年に対し、15年という判決が出た。裁判員裁判だからありがち、とは言えるものの、このケースでは裁判官のみで行われる高裁でも判断が支持された。
しかし、最高裁はそれにストップをかける。求刑を大きく超える判決の場合は、その理由が法的に納得できるものでなければならないとし、両親にほぼ求刑通りの10年と8年の判決を下した。
一般的な感情からいえば到底承服しえない話ではあるが、法治国家である以上、法がすべてである。そして、その法を、その時々の感情で大きく逸脱させていいわけがないのもまた、当然である。

弁護人は、この剛志が起こした事件と同等のケースを紹介した。一つは、殺人と傷害致死、危険ドラッグの3つの罪で起訴され懲役28年となったケース、もうひとつは2名殺人ではあるものの、心神耗弱が認められ、懲役21年となったケースである。いずれも、被害者は両親である。
その他、2名殺人、あるいは両親が被害者のケースなどを精査したところ、概ね懲役20年から30年となっている、とした。
その上で、剛志に心神耗弱は認められないため、懲役21年以上であること、そして、危険ドラッグなどの使用はないことから、懲役28年以下、よって、弁護人としては懲役21年~27年が相当である、と主張した。
・・・正直、重いと思ってしまった。殺人罪の成立は争わないとはいうものの、そこもちょっと納得できない気がしていたし、そもそもこの事件がなぜ起こったのかを考えれば、身勝手な動機によるものではないことは明らかのはずだった。
それが明かされた裁判だったのではないのか。

しかし弁護人は、そのあとに続けてこう述べた。

「検察は、被害者が親であるということを過度に考慮するべきではない、と述べた一方で、最愛の息子、とか、両親の思いなどと述べている。そうであるならば、やはり親という立場は重視すべきではないか。
この事件は、被害者が親であると言ことこそが特色の事件である」

思わず涙が飛び出そうになってしまった。
さらに弁護人は、両親への「苦言」ともとれることを述べた。
「平成30年6月の別居時、妻の話からすればすでに離婚やむなしという状況だった。であるならば、その後に関係を持ったAさんとの関係は、通常の不倫とは違う。
ご両親に果たしてどれほどの「害悪」があったというのか。見守るという選択は出来なかったのか。他にも心配の仕方があったのではないのか。
Aさんだけでなく、元妻に対しても非常に強い態度を取り続けた。
慈しんで育てたという割に、本人のIQの問題を見過ごしている。不倫を原因にするのは間違いであり、この事件はそんな単純なことではない。」

剛志はこの言葉をどんな思いで聞いただろうか。表情は窺い知れないが、少なくともこの弁護人の力強い弁論は、剛志にとっては有難いものだったのではないか。

また、精神鑑定の結果と剛志の行動について、
「母の言動は命令となり、それを服従、または承諾という形で受け止めてしまった。もともと粗暴でない被告人が、覚えていないと話したのは強い抑圧があったためで、覚えていないから影響がないというのは違う。
母親を殺害するのに時間がかかってしまったのは、躊躇したがための結果で、しかし命令として殺害しなければならないと思っており、一方でためらいの気持ちがあったために時間がかかった。
嘘が下手で、怒り任せに行動を起こすタイプではない。それよりも、検察側が用意した鑑定医に対して心理学の学位があるかどうかなどと聞くこと自体、証人を愚弄するものである。」
と述べた。

2人死亡という結果は重大であるものの、以上のことから懲役24年が相当、と締めくくった。

最後に、剛志本人が裁判所から発言を促された。

「えーと・・・。まぁ、今日のことで今までもずっと後悔しとるし、反省しとるのももちろんありますし、両親、関係者、裁判所にも申し訳ない気持ちでずっと・・・あの・・・これからは反省しながら、後悔しながらですけど、まじめにやっていきたいなと思ってますね。」

剛志の言葉は、思いとは別にしても非常に軽かった。悪く言うわけではなくて、語彙が少ない、そして自分の気持ちをうまく言葉に表現できないのはこの裁判でいたいほどわかった。
しかし、剛志自身は、他人が発する言葉には、とにかく過敏に反応する繊細さも実は持ち合わせていた。

判決

平成31年10月24日午後3時。
末広裁判長は、不倫を叱責されたことが動機であり、殺意の発生時点を「包丁を手にして部屋に戻った時点」と認定。殺害の様子も執拗で残忍であるとした。
一方で、両親の対応のまずさも認定し、特に12月23~24日の洋子さんの言動は事件に一定の影響があったとした。
その上で、前科もなく更生も期待できるとし、剛志に対して懲役28年を言い渡した。剛志の背中は、どこか憑き物が落ちたような感じで、判決が言い渡された瞬間もどこか清々しさすら感じるほどだった。

最後に、末広裁判長はその優しいまなざしを少し厳しくして、
「これからの28年は、あなたがこれまで生きてきた25年より長い。それをしっかりと噛みしめるように」
と説諭した。

剛志はうなずき、「はい」としっかり返事をした。

外側から見た、その家

「私はねぇ、娘がそこに家を建ててからしょっちゅう遊びに来てるんです。もう、20年くらいになりますか。
でもねぇ、娘夫婦には子供がおらんのでね、あのお宅ともあんまり交流はなかったみたいなんですよ。
ただ・・・。うちがガソリン入れに行くスタンドで、剛志君が働いとったからね、高校の時から。そんなんであの子がここにおった頃は、朝自転車で学校行くとき、『おはようございます』ゆうて挨拶してくれよったんですよ。
それがねぇ・・・なんであんなことになってしまったんか・・・ここらの人もみんなわからんのやないですか。」


論告求刑が終わった翌日は、雨の土曜日だった。
前日からずっと、新居浜へ行こうかどうしようか迷いながら、その朝に決心して車を飛ばした。
私は新居浜にはあまり土地勘がないが、夫が大変お世話になった元彼女が住んでいて、たまに彼女と食事をしたりするので行くくらいだ。
ナビを頼りに現場である剛志の実家へ向かうと、そこはついこの間、その彼女と食事をした飲食店から歩いていけるほど近い場所だったことに気付いた。
大きな通りに新居浜のパチンコ店を統括する会社の本社ビルがあり、その近くの眼鏡店の真裏に位置するのが高平家だった。

車を停める場所を探して周囲をぐるっと回ってみると、通りから少し入った場所に大型スーパーがあったため、買い物をした後で少し車を置かせてもらうことにした。
スーパーの駐車場から出ると、小学校があった。その道を楠中央通りへ向かって進むと、剛志の実家がある住宅地へと出る。


ふと、前方に傘を差した高齢女性が目に留まった。

距離を置いて歩いていくと、その住宅地への路地を曲がった。私は猛ダッシュで追いかけて、失礼ながら声をかけた。

事件から1年経っても、高平家はあの日とほとんど同じ状態でそこにあった。その高齢女性が言う。
「車もね、あの日のままずっとあるんですよ。なんにもなかったみたいにね。私らも(事件のことは)ほとんど話題にすることはありません。もともと、お付き合いゆうお付き合いもなかったですし。お子さんがおられたお宅は、それでもお付き合いがあったんやないですか・・・」
私が裁判を傍聴してきたことを伝えても、裁判が始まったことすら、知らないようだった。
事件の原因は、皆さんなんて話されてますか?と聞いたら、ちょっと口ごもるように、
「・・・なんですか、その、剛志君が奥さん以外の人とお付き合いされとったとか・・・そういうことが原因やーいうては聞いとりましたけど・・・」

雨足が強まり、私はお礼を言ってその女性と別れた。

住宅地の、ほかの家のインターフォンを鳴らしてみたが、応答はなかった。
高平家の周囲をぐるっと見る。裁判で明かされた通り、敷地にはゴミ袋に入った空き缶や、害虫駆除のスプレー缶などが入れられ、一部は外に出てしまって錆びついていた。
カーポートには、勝浩さんの乗用車と、洋子さんが使っていたのか一回り小さな車が並んで停められ、埃をかぶっている。
玄関廻りは雑草が目についたが、思っていたほどのゴミ屋敷、とは全く違っていた。

二階の窓はカーテンが閉められてはいたが、一部半開きになっていた。あの日、勝浩さんの会社の同僚らは、おそらくここから二階を覗っていたのだろう。

その住宅地を出て、一本裏手の通りの比較的新しい家に目をやった。位置的に、高平家を真正面にみるその家の玄関先で、タバコを吸っていたご主人と思われる40代くらいの男性に思い切って声をかけてみた。

裁判を傍聴してきたものであること、報道されているような不倫が原因の事件ではないと分かったこと、その上で、近所の方が知る高平家について教えてほしいと、率直に申し入れてみた。
ちょっと強面の男性だったが、裁判が始まったというのをこちらも知らなかったようで、「あぁ、始まったんですか…」と言った後、私に1時間以上話をしてくれた。


「僕らはここに家建ててまだ5~6年ですけど、自治会は同じなんです。でも、高平さんとこのご夫婦が参加したのは見たことないですよ。
もう、閉じてしまっとったからね、付き合いはほとんどなかったんやないですか。」

先ほどの高齢女性が話したことを裏付けるように、その男性も高平家がほとんど近所づきあいをしていなかったと話した。

「あの日の前の晩ね、会社の人が来て、〇〇さん(高平家の斜め向かいのお宅)とこのご主人も一緒に家の様子見よったんよね。」
私が、裁判でどうやらその時、剛志が家の中にいたようです、と話すと、
「あぁ、そうやろね、みんな中に誰かおるけど出てこん、って言いよったけんね。」
と頷いた。

剛志のことは、存在自体知らなかったという。男性が家を建てたころはまだ剛志は実家を飛び出し、元妻の実家で暮らしていたころだろうから無理もない。
事件後、息子が犯人と聞かされて初めて息子がいたと知った、とその男性は話した。

事件が起こった原因については、世間では不倫を咎められて、と言われていますけど、と私が言いかけると、男性は、
「いやいや、親やろ。家の中の問題やと思うよ。あの日、家に帰ったら規制線が張られとってね。パトカーやら警察官やら、だいぶおって、うちら家にも入れんかったんよ。そしたら、NHKやったかな、記者の人が走ってきて、なんや殺人があったって聞いて。
でも、現場が高平さんとこって聞いて、全然びっくりせんかったよ、あぁ、とうとうそうなったか、と思ったけんね。もう、いつか何かが起こるやろなと思うとった。」
と言った。驚いた私が、近所から見てもなにかそう思うようなことありましたか、と訊ねると、男性は勝浩さんと洋子さんの印象について、いくつかエピソードを紹介してくれた。

意外な一面と複雑な思い

裁判で明かされた父・勝浩さんの人柄は、元妻や交際相手のAさんに対する言動を除けば概ね良好なものだった。
義理の弟にあたる、洋子さんの弟の証言にも、「よい兄貴だった」というものがあったし、長崎の実姉が語る勝浩さんは、家族思いの心優しい人である。
しかし、高平家を知るその男性は、興味深いエピソードを話してくれた。

「高平さんとこの近くに、最近家を建てた人がおるんですよ。僕らがここへ家を建てた後に。もともと空き地やったところに建てたんやけど、そことトラブルになってね。
普通、家を建てるいうたら少々音はするもんやけど、みんな自分とこ建てる時には周りに迷惑かけとるんやからお互い様みたいに思うやないですか。
けどあの人(勝浩さん)は違うた。工事しよる大工さんらに怒鳴り散らしよったわ。寝れんだろが!いうて。前もって施主は挨拶にも行っとったんで、ちゃんと。やのに、ワーワー言われた言うて大工が困っとった。」

勝浩さんは三交代制の工場勤務であったため、夜勤明けで昼間寝ていたこともあった。だから、すぐ裏手の家の工事の音が気に障るというのは理解できる。しかし、普通は男性が言うようにお互い様だから、という気持ちにもなるだろうし、家の中で出来るだけ音が聞こえない場所で休むといったことも可能だったはずだ。
それに、永久に工事が続くわけでもなし、せいぜい3~4か月のことをそこまで怒鳴り散らす必要があったかと言うと、ない。
こんな事を言うとアレだが、これが洋子さんが怒鳴っていた、と言うならまだ分かる。しかし、実際にブチ切れていたのは、勝浩さんだった。

男性は続ける。
「もしかしたら、やけど。ご主人はいずれトラブルが起こること予感しとったんやないかと思うんです。それを会社の人にも話しとったんやないかな。だいたい、1日遅刻したくらいでわざわざ家まで来て、警察呼んだりしますか?
会社の人らは何か良からぬ胸騒ぎがしたけん、警察呼んだんでしょう?何にも聞いてなくて、そこまでしますかね。」

実際はどうだったのだろう。確かに、連絡が取れないといってもわざわざ家までくるもんだろうか。しかも警察を呼ぶというのも、なにか突飛な気がする。事実、警察は来たものの、何もせずに引き返した。
勝浩さんの会社関係者の話は裁判でほとんど出ていないためわからない。

高平家は、決してトラブルメーカーということではなかった。妻の洋子さんは、近所の飼い犬が逃げたのを捕まえたこともあったという。勝浩さんも、住宅地の中で親しくしている同年代の男性もいた。
しかし、一方ではご近所に怒鳴り散らす、地域のことに非協力的といった面もあった。

「不倫なんか、そりゃやる方もやる方ですよ。その時点で息子を庇おうとは思わんけど、熱くなる気持ちはわからんでもないよ、周りが見えんなるいうんか、もうこの道しかない!みたいに思いこむことはあるしそれはわかる。」
そういうと男性は、途中で加わった渡辺美奈代似の超絶美人の奥様の前で、過去の恋愛話を披露してくれた。そこには、剛志のように熱くなってのめりこむ様子があり、思わず私は
「あのぅ、新居浜の男の人ってそういう特性かなんかがあるんですか?」
と聞いてしまったほどだ。
男性は苦笑しながら、剛志の両親の常軌を逸した対応にも言及した。
「親が口出しするンももちろんわかるけど、まあ、やりすぎやな。そんな、相手の女の人に文句言うてどうするんだろか・・・・(勝浩さんと)親しかった家のご主人も、あの子(剛志)がそんなことするはずないって言うてましたよ。」
「もし、その23日の話が本当なんやったら、洋子さんは息子に殺されて本望ってことやないかな。その覚悟でそういうことを言うたんかどうかが大事やと思うよ。」

途中参加の奥さんも、ぽつりとこんな話をしてくれた。

「私が朝、玄関あけて思うんは、『あー、まだある』っていうことなんです。まず目に飛び込むのが、あの家でしょう。あの日のままなんですよ。事件があった家やから、さっさと壊すんかなと思いよったのに、ずっとある。みんな口には出さんけど、同じ思いなんやないでしょうか。」

聞けば、事件後その家に一度だけ、夜灯りがついていたことがあったという。
しかし、庭に放置されたゴミ袋もなにもかも、そのままだったことで近所の人は落胆した。
外から見える窓越しに、害虫駆除スプレーや洗剤などがそのままになっていて、おそらく中もほとんど片付けられていないんだろうと話す。貴重品だけ、関係者(親族)が持って出たのかもしれない。
親戚の方は遠方にしかいないみたいですよね、と言うと、それは知っていたようで、だから余計面倒だと男性は言った。
「どうせ長いこと入らんといかんのやろうし、出所したとしても帰ってくるわけないやろ。それやったらさっさと壊すなりしてほしいのが本音。事件のあった空き家なんか、放火されたりすることもあるって聞くし・・・」
それはあながち間違いでもなく、事件現場の空き家はいたずらされたり、時には不審火で火災になることもある。

「俺らにしてみたら、30年後の本人の社会復帰よりも、目の前の片付けの方が重要なんよはっきり言うて。少しでもあの子のこと思うんやったら、とりあえずの片付けくらいはしてもいいんやないかと言いたいよ、親戚の人には。」

親戚の人には罪はない。それは男性も重々わかっている。しかし、ほとんど手つかずで残された家を見ると、私でもなんとも言えない気持ちになってしまうのも事実で、ましてや近所の人にしてみればどこにもぶつけられない思いを抱えたまま生活しなければならないわけで、こう言いたくなるのもやむを得ないだろう。
雨が降り続く中、この夫婦は真剣に私に思いを話してくれた。
そして、最後にこう言った。
「こんな事件があったら、近所の人は気づかんかったんかとかいう人おるやないですか。そんなん、気づけんて。本人らが完全に隠してるんやから。あの事件は、家の中で起こった事件やと思ってます。家族の中で起きた事件。俺らがこうして話をしたんで、どうかほかの家のひとはそっとしといてあげてください。」

私は丁寧に礼を言い、その約束を守ることにした。

最期の言葉


剛志は、母親の最後の言葉は特になかったと話した。
しかし、実際は洋子さんと最後のやり取りというのが存在している。

剛志が洋子さんの首を絞めたとき、意識がもうろうとした洋子さんは、剛志のことが分からなくなっていた。
そして、剛志に対して、
「あんた、誰?」
と聞いた。そして、自身の弟である剛志のおじの名を呼んだという。

剛志は洋子さんとの最期のやりとりについて楠裁判官に聞かれた際、「名前間違われたくらいですかね。」と素っ気なく答えたが、弁護人からの質問の中では、
「母があんた誰?って聞かれて、自分を分かってなかったのが辛かった」
と答えている。

また、事件より以前、おそらく幼いころの話だと思われるが、洋子さんに名前のことを茶化されたという。
「あんたは剛志やなくて、『よわし』やなぁ!」
そういわれたことを覚えていた。
自分の名前をいじられるのは、存在そのものをいじられることに通じ、これはつらかっただろうなと思う。
しかし、実はこれはつよし君あるある、のようで、私の知人の「つよし君」も、同じことを母親に言われたことがあると話していた。
その知人は、辛いというより「お前がつけたんちゃうんか!」という怒りの方が大きかった、というが、剛志にとっては悲しく、辛い気持ちの方が大きかった。
そしてそれは、私が疑問に思った、洋子さんに対する長時間に及ぶ暴行の謎の答えにもなった。憎くて時間をかけたのではなく、剛志は「母だから、躊躇った」と話した、その言葉が嘘ではないという・・・

絶対的な存在として剛志に執着、抑圧しつづけた母・洋子さんを、きっと剛志は愛していた。いや、愛されたかったのではないだろうか。

裁判で語られた両親への印象は、父、勝浩さんに比べてやはり洋子さんに言われたこと、されたことの方が印象深いエピソードとして多かった。特に、12月23日と24日のエピソードは、裁判所もその重要性を認定している。子供に対し、土下座しての謝罪を要求するってどういう状況なら起こるんだろうか。
言葉を選ばずいえば、親の立場を利用した自己中心的な「愛情」を剛志の両親は一方的に注ぎ続けた。
息子が人の親になり、結婚して家庭を持ち、成人したその後も、とにかく執着し続けた。認める認めない以前に、剛志は人の親になった以上、その子供や妻に責任を持たなければならないのに、それを教え諭すどころか、それまで以上に親の存在を示し続けた。
洋子さんについては、実の弟である剛志のおじに当たる人物が、驚くべき証言を残している。
「兄貴(勝浩さん)が亡くなったことは悔しく残念だが、姉が死んだことはあまり悲しくない。」
おじは、実の姉を殺害されたことより、姉を殺害した甥を思いやった。これはよほどのことではないのか。

親って何だろう、親子とは何なのだろう。
おそらく自分自身と両親の背中に問い続けたであろう剛志自身も、結局親として振舞うことも満足にできなかった。
そして、母の命令から最期まで逃げることは出来なかった。むしろ、逃げずに服従することが、剛志なりの母への愛情の示し方だったのではないか、とすら思う。

Evil and Flowers

初の裁判傍聴は、私にとって決して大げさではなく、人生に多大な影響を与えたといえる。
一方で、軽い気持ちで臨んだことを激しく後悔した。実際に私は裁判の間ずっと何かに囚われている感覚が抜けなかったし、自分の子育てや、剛志と同じ一人っ子で育った息子のことを何度も何度も考えさせられることになった。

ちょっと話がそれるが、話を聞かせてくれた近隣の男性は、しきりに高平家の伸び放題の植木のことを気にしていた。勝手に切るのも憚られる、とのことで、それを聞いた私は無理を承知で判決後、ヒグマ弁護士を出待ちした。

「どどどど、どちら様???」

裁判を傍聴し、近所の人と接する機会があって・・・と説明すると、戸惑いながらも「法律論としてですけど」と前置きして答えてくれた。
「所有者である勝浩さんが死亡した後の相続としては、妻の洋子さん、息子の剛志君が相続人となるわけだけど、洋子さんも亡くなり、剛志君も刑が確定した時点で欠格者となるので相続できません。
ただ、剛志君にはお子さんが二人いるので、まずそのお子さんが相続人になるんだけども、まだ幼いし、そもそも事故物件なんていらないだろうし、ならば相続放棄してもらわないといけないんです。
でも、(後見人である)元奥さんはもう関わりたくないという感じなんで、なかなか話を持っていくのも難しくて、正直すぐにどうこうできる状態じゃないですね。」

剛志が起こした事件は、家族の事件とは言え、近隣の住民に先の見えない問題を残してしまった。

新居浜からの帰り、ラジオから流れてきたBONNIE PINKの「Evil and Flowers」。
その歌詞が、なんともこの事件と相まって私はさらに打ちひしがれた。

私自身、この事件は弁護人が述べたとおり、親子である事こそが特色の事件であり、親子という間柄だからこそ起こった事件で、決して不倫を咎められたことが引き金になったとは思えない。ましてや、元妻やその家族、剛志が愛してやまなかったAさんに責任などない。
たまたま、あの日だったのだ。
何か少しでもタイミングが違っていれば、あの日事件は起きなかったとさえ思う。逆に、もっと手前のタイミングで起きたかもしれないし、ずっと後で起きたかもしれない。
ただその先に、「事件が起きなかった」という未来は、残念ながら見えない。

あの近隣男性が言ったように、「その時が来た」のだ。

邪悪なものは誰の心にも、背後にもあって、見染められたら最後、逃れることは出来ない。
逃げたつもりでも、逃げられない。向き合えば乗り越えられるかもしれないけれど、場合によっては、より深い闇に堕ちていくこともある。
彼の25年は、邪悪なものとの闘いだったのかもしれない。幼いころは、泣いてやり過ごすことも、耳を塞いで眠ってしまうこともできただろう。
でも、大人になっていくにつれ、そうはいかなくなる。
やっと見つけた安息の場所も、そこに長くとどまることは許してもらえなかった。

剛志は裁判で殺意を認めた。けれど、それを殺意と呼ぶのはどうしても抵抗があるのも事実だ。そんなこと言ってもどうしようもないけれど。
剛志は、裁判で終始、同じような言葉を繰り返し、聞く者によったら薄っぺらい印象しか抱けないような言葉しか話さなかった。
しかし、彼は「嘘」だけは言わなかったと思う。それは、裁判だからではなく、おそらく元妻との間でも、Aさんとの間でも、両親の前でも嘘は殆どついていないように思った。
剛志は言いたいことも言えずに黙ることが多かったという。それは、相手が望む言葉を言えなかったからではないのか。相手が、両親が望む言葉は、剛志にとっては「嘘」である。嘘をつけないから、黙るしかなかった。剛志にとっての、精いっぱいのそれは誠意だったのかもしれない。
しかしそれは、望む言葉を得られない両親には、誠実さではなく、軟弱に映ってしまった。

もっと自分が言いたいことを周りに伝えていれば、剛志は何度も何度もそう言った。
けれど、きっとそれを、「あの両親」は許さなかった。

邪悪なものはどこにでもあって、どんなに隠れても逃げても、逃れることは出来ない。
けれど、邪悪なものはいずれ去る。判決の日、剛志の背中がすっきりとしていたように見えたのは、そういうことだったのかもしれない。
もちろん、報いは受け止めなければならないし、どんな理由がそこにあろうとも、やってはならないことを剛志は犯した。
そのことで、子どもたちやAさんら、剛志を大切に思っていた人々を深く深く傷つけたのだから。そこには、両親ももちろん含まれる。大きく間違っていたけれど、愛と呼んではいけなかったかもしれないけれど、両親は剛志を愛していた。

そして、剛志もまた、愛を乞う人だった。

11月8日。剛志は控訴せず、懲役28年が確定した。

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