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第四章 積年の孤独 5

第四章 積年の孤独

「微量ながら採取できた灰によると、炭化した人骨であることがわかっています。採取できたサンプルは微量である上、炭化していますから、分析はかなり難しいのですが、人物の特定まで、なんとかやってみます」
 翌朝、ヤマトは、科捜研の担当者に中庭で発見した灰の調査を依頼していた。
 早ければ、今日中に結果が出るだろう。
 どこで燃やしたのかという質問に対して、担当者は、中庭ではないかと答えた。
 確かに、当該部分のタイルには著しい焦げ跡が見られた。
 マリアはリンダに狙撃された義手の修理で、今日中の合流は難しそうだった。
 ヤマトはゆうべの黒岩邸での出来事を反芻していた。リンダの身のこなしは、超人的を通り越し、アンドロイドであることを決定づけていた。
 最もヤマトを動揺させたのは、リンダがマリアを狙撃したことだ。アンドロイドは、人間に危害を加えることはない。これまで当たり前だと考えていた前提条件が揺らぎ始めている。
 マリアを狙った点から、人間に危害を加えるアンドロイドの存在を認めざるを得なかった。大変なことになってきた。
 Kポッドから至急ベースに戻るように連絡が入った。
 ベースに戻ると、ダン課長が待っていた。
 ヤマトの顔を見たダン課長はあからさまに舌打ちをした。
「リンダを逃がしたそうだな?それも黒岩邸で。あそこなら、リンダに遭遇する可能性が予測できたはずだ。確保できたかもしれなかったんだぞ」
 ヤマトは自分の全身が熱くなるのを感じていた。
 マリアは義手を吹き飛ばされているのだ。どちらかが命を落とさなかっただけ幸運だったのだと言ってやりたかった。
「だが、収穫もあった。あいつだったんだな。リンダだ。アンドロイドに間違いなかったんだな」
「顔は見ていませんが、レーザー銃で照射されても平気でしたし、逃げ足の速さは人間のものではありませんでした」
「とにかく、リンダを探し出せ」
 ダン課長は、ヤマトの肩を叩き、ベースから出ていった。
 Kポッドが慰めるように、ヤマトの労をねぎらってくれる。Kポッドには、ヤマトの低下したプライドやら自己肯定感が数値化されて見えているのだろう。
 刑事のモチベーションを上げることも、インプットされているのかもしれない、とヤマトはひねくれた思いを抱いた。
 一人になると、ヤマトは考えた。
 リンダの目的はなんだろうか。
 人間ならある程度の可能性に収斂されて捜査がしやすい。しかし、相手はアンドロイドだ。人間が想定するストーリーに合致した動きをアンドロイドがするとは考えにくい。
 アンドロイド将棋と同じだ。アンドロイドが指す手は、人間なら悪手として嫌う手もある。だが、アンドロイドは、そのずっと先の勝ち筋が見えているから、悪手ではないと判断する。人間に理解できることではない。
 アンドロイドの犯罪は、先の展開が読めない物語のようだった。人間の理屈がどこまで通用しているのかわからない。この事実は、捜査を困難にした。
 動機についても頭が痛い問題だ。通常、ほとんどの犯罪には動機がある。アンドロイドに動機があるのかも今のところわからない。
 ただひとつ、人間に似ていると感じる部分もある。リンダが捜査の目をかいくぐって逃亡を続けているという点だ。
 犯罪者にとって最悪のシナリオである「逮捕」を回避しようとして、身を隠すという行動に出ることは、往々にしてあり得ることだ。変なところが人間らしい気がする。
 リンダも捕まりたくないのか。
 それは、どうして?
 人間らしさをインプットされた人工知能がリンダに逃げろと命じているのだろうか。
 ヤマトは今までにない捜査に頭を抱えていた。
二十年の経験があれば、どうにか糸口を見つけ出し、ひとつひとつ丁寧に綻びを解いていくことで真実にたどり着けた。
 だが、今回の事件はそのやり方が通用しない。八方塞がりだ。出口が見えないトンネルに潜り込んでしまった。出口は見えないが手探りで前に進むしかない。永遠に続くトンネルはない。地道な捜査が実を結ぶことは、自分が一番知っているはずだ。
 歩き続けるのだ。いや走り続ける。
「ヤマト警部補、一息入れてはいかがでしょうか」
 Kポッドがヤマトの前にコーヒーを置いた。
「温かい飲み物は、心を落ち着かせます」
 その言葉もどこかの誰かの受け売りなのかもしれなかった。
 淹れ立てのコーヒーが、苦く感じられた。

 午後には、修理を終えたマリアがベースに帰ってきた。マリアは意外な助っ人を伴っていた。
「プロファイリングの専門家に協力を依頼しました」
 プロファイリングとは、古典的な捜査支援の方法の一つだ。
 犯罪捜査において、前時代から用いられてきた。
 犯罪の特徴などを分析することで、犯人像を立体化していくことを目的としている。
 第二次世界大戦後のナチス高官を捕虜の中から絞り込むために行った手段がプロファイリングの基礎になっているらしい。
 プロファイリングの精度は、データの質と量に比例する。過去には、その信憑性に疑わしい点も多かったが、科学技術の進歩がその穴を補完しつつあった。ビックデータや人工知能の進化で精度は格段に上がったからだ。ある程度の信頼性は担保されていると言えるだろう。
 あらゆる角度からの分析も可能になっている。もっとも、ブラックボックス化されたアンドロイドの思考回路に一役買えるかはわからない。
 ヤマトは科学警察研究所から来たという客人を出迎えた。
事件の概要はすでに明らかになっている。事件そのものを見た場合に、プロファイリングが導き出す犯人像がどんなものなのか、ヤマトも大いに興味があった。
 果たしてそれはリンダに通じる答えなのか。
 さらに、ヤマトには、もう一つ期待することがあった。リンダともう一度対峙しなければならない。次に接触する機会を予測することは極めて重要だった。犯人の行動パターンを掴むことができれば、糸口くらいにはなるのではないだろうか。
 マリアがヤマトに紹介したのは、若い女性の分析官だった。
簡単な手続きを済ませると、女性分析官は快く捜査に協力してくれた。
「急遽、依頼をお願いしてすみません」
「いえ。構いません。ですが、アンドロイドも視野に入れたケースは初めてなので、お役に立てるかどうか」
「それは十分承知しています」
 マリアが丁寧な口調で言った。
 エアタブレットを使ってデータを解析し始めた女性分析官が、「プロファイリングによると」、と口を開いた。
「被害者の交友関係と健康状態など、総合的に判断して、容疑者は身近な人物で間違いありません」
「押し入り強盗という可能性はありませんか?ジョー博士のアンダータウンの住居は、道路に面した家構えこそ特徴はありませんが、なかなかの資産があったようです」
 ヤマトが広々とした室内を思い出しながら訊いた。
「まず、物理的な側面から判断して、答えはノーです。住居に侵入された形跡もなく、金銭目当ての犯罪とも違います」
 研究関連の書類や機器が見当たらない点は気になったが、室内が荒らされていたという印象はなかった。当然、銀行口座に動きもなく、ジョー博士が隠し財産を所持していたという事実もいまのところ聞こえてこない。
「それに、殺害方法から判断しても、通り魔的な犯行とは考えにくいですね」
「と言いますと?」
「殺害方法は首が切断されていますから、損傷死に分類されます。凶器は、レーザーカッターの可能性が高いと聞いています。殺害を視野に入れた物取りでしたら、刺殺能力が不十分なレーザーカッターはまず選ばないでしょう。一般的な凶器ならば、レーザー銃などが適当です」
 ヤマトは水平に切断された首の断面を思い出していた。レーザーカッターの照射範囲はそれほど広範囲ではない。離れた場所から振りかざしても、けん制にすらならないだろう。致命傷を与えるには至近距離でなければならない。とてもでないが致命傷を負わせるほどの切断は難しい。
 ジョー博士は縛られていたわけでも、薬物で眠らされていたのでもない。そんな人間を相手に首を一直線に切り落とせるはずもなく、おぼろげに浮かんだ物取りの線は完全になくなった。
「想定される犯人像ですが、犯人と被害者にはもちろん面識関係はあり、同居もしています」
 分析官はスムーズにエアタブレットを操作しながら、分析を続けた。
「動機についてですが、一昔前ですと、被害者が要介護状態のケースでは、同居する家族の介護疲れなどが多かったですね。今は、介護のような人間にとって辛い仕事はアンドロイドなどを使ってまかなえるようになりましたから、介護疲れ自体がなくなりましたが。他に多いケースは、金銭や痴情のもつれなどでしょうか。アンドロイドには当てはまらないでしょうね。これが人間なら、わかりやすいんですけどね」
 分析官はよどみなく説明してくれる。
「それから、今回のケースで気になった点がいくつかあります」
「頭部の持ち去りですよね」
 ヤマトが口を挟んだ。
「それもあります。ですが、身体の一部を切断するというケースは、決してレアなケースではないんです」
「猟奇的な殺人事件の場合でしょうか」
「いえ。そうとも言い切れません。そういった異常性を持たない殺人事件でもこれまでに見られることがありました。親族や愛人が加害者の場合に多く見られる傾向です」
「それは、どういう特徴なのでしょうか。頭部を持ち去るというのは、何か意味があるんでしょうか?」
 今度はマリアが質問を挟んだ。
「今回のケースでも、一旦、頭部を持ち去った可能性が大きいようですが、犯人が加害者に過剰な執着を持っているケースに見られる特徴ですね」
「執着ですか……」
 アンドロイドが人間の死体に執着を示したりするのだろうか。
「やはり、人間と違い難しそうですね」
 ヤマトが眉間に皺を寄せる。
「それで、気に留まったというのは、どういったところでしょうか」
 女性分析官は、マップを表示した。自宅と死体発見現場がマーキングされている。
「死体発見場所が被害者の自宅から近い屋外という場所だった点です。自宅でもいいような気がするのに、そうではなかった。こういった殺人事件の場合、殺害することが一番の目的ですから、あえて見つかりやすい場所に移動するケースはあまりありません。逆に、発見を遅らせるための工作に走る場合の方がずっと多いのです。人間ならば、頭部がない状態の男性の死体を移動することは重労働ですし、少なからず抵抗を感じるはずです。よっぽどの理由がなければ、そんなことはしないでしょうね」
「どんな理由がありそうでしょうか」
ヤマトが訊ねる。
「そこまでは、わかりません」
「頭部……頭……脳……」
 マリアが一人ごちる。
 それを聞いていた女性分析官が反応した。
「確かジョー博士は脳科学者でしたよね?脳が関係している可能性はあるかもしれませんね。被害者のことをよく知る人物の犯行なら、脳に執着を覚えた可能性もありえます」
「まさか。アンドロイドが脳の研究?」
 もしそれが事実ならば、空想的とさえ言える異常な展開だ。
 ちょうど、ヤマトに炭化した物質の調査結果が届いた。
「調査の結果が出た。あの灰はジョー博士の頭部で間違いないそうだ」
 マリアはやはりと言うように、うなづいた。
「もしも、リンダがジョー博士の頭部に強い関心を示した結果、持ち去ったのだとしても、肝心の頭部は、すでにリンダの手によって燃やされちまっている。これは何を意味するんだ」
 分析官からは、新しい情報提供はないようで、彼女は身の回りを片づけ始めていた。
 ヤマトの元には、調査結果のレポートが届いた。採取された炭からは、二種類の物質が特定された。一つは、ジョー博士のものである人骨、もう一つは化学繊維の一種だった。主な用途の欄には、保温冷素材とある。保温冷パックに入れられて持ち運ばれたのではないかとの推論も記されていた。
 ヤマトは即座に弁当の包みを思い浮かべた。頻繁に利用する弁当屋もその特殊素材を使った保温冷パックを使っている。
大容量のタイプも市販されている。頭部を冷蔵保存するのに、適しているかは判断がつかなかったが、利用できないことはないだろう。
 頭部のない死体。燃やされた状態で発見された頭部。研究機器や成果の消失。バラバラのパーツは未だに一つの事件の姿を現さなかった。
「ジョー博士の脳……」
ヤマトはつぶやいた。
「何かそこにヒントがあるような気がします」
 マリアが遠くを見るような目をした。

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