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『家の本』 アンドレア・バイヤーニ

人の家というのは、何かしら覗いてみたくなるものだ。
TVでビフォーアフターやドリームハウスが人気番組となり、他にもお家訪問の番組や企画が数多あるのはその証拠だろう。

私達が人の家に惹きつけられるのは、その住人がそこでどんな生活習慣を持ち、暮らしの物語を紡ぐのかを思い描く楽しさがあるからだろう。

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この小説は、1975年生まれの「私」の人生の節目節目を、その時に住んでいる家を通して描き出したものだ。
ほの温かいベールに守られた幼年期、家族の不穏な空気がヒリヒリと感じられる少年期、若き日の情事、新しい家族を持つ希望と愛の終焉の苦味、、、人生の小さな場面場面が、部屋、窓、家具といった、家を構成する要素に視点を置きながら語られる。

「地下の家」の明かりが消されるのは、寝るときか、出かけるときだけだ。すると家は、その本来の姿、暗がりに引き戻される。鍵を四回回す音、階段で交わされるお喋りの声、そして沈黙。影は物からすっかりほどけ、床に身を投げ、家をすみずみまで飼いならしわがものとする。
ついに担架が到着し、あたりにサイレンが鳴り響き、病院に担ぎこまれ、波乱に満ちた物語は幸福な結末を迎え、正常な心拍が確認され、子どもはまだ生きており、秋のローマはまぶしいほどに美しく、冬のはじまりがいつもそうであるように、空は一分の隙もないコバルトブルーに染まっていた。

淡いスポットライトで照らすように描写される情景は詩情に満ち、まるで映画の印象的なシーンのようだ。
人生がかけがえのない場面の積み重ねであることを、改めて感じさせる。

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「私」と括弧つきで主語が書かれる文章は、私と言いつつ一人称ではなく三人称という、独特のスタイル(イタリア語の原文では語頭を大文字にすることで固有名詞化=三人称化しているとのこと)。
また、住居としての家だけではなく、銀行口座や結婚指輪も家として形而上学的に語られるなど、切り口は斬新だ。
全てを語らず読者に考えさせる文章は、シンプルでありながら難解である。

ページをめくる手が止まらない、という本ではない。むしろ、通常の読書よりもゆっくりとページをめくり、一場面一場面を深く堪能しながら読みたい一冊だ。