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『珈琲と煙草』 フェルディナント・フォン・シーラッハ

『コーヒー&シガレッツ』というクールな映画があるが、映画とは全く関係なくたまたまほぼ同名のこちらの書籍も、最高にクールな逸品だ。
エッセイ、小説、小論がぎゅっと詰まっていて、どれ一つとして退屈なものがない。内容は違うが本のタイプとしては、ミヒャエル・エンデの『エンデのメモ箱』とも似ている。
とても面白い、何度も読みたい、大事に手元に置いておきたい一冊だ。

少年時代の思い出と厭世的な10代の頃を書いた最初の作品から、著者の繊細な感性と文章力の虜になる。
スウェーデンの作家、イングランドの貴族、日本からの留学生、また仕事を通して知り合った印象深い人々のエピソードを綴った数々のエッセイは、その一つ一つが珠玉のフィルム作品のようだ。記憶の中のワンシーン、知人が語った過去の出来事といった小さな光景が、えもいわれぬ輝きを持つ。
とにかく美しい一文一文と、それらが紡ぎ出す文章の色と匂いと脈拍は、いくらでも味わいたくなる魅力に満ちている。

ヘミングウェイが暮らした在りし日のパリと現在のパリを比べるエッセイには、辛辣だが上品なユーモアが香り、煙草への愛(喫煙への言い訳)を語る文章は饒舌でお茶目だ。そこここに、著者の粋な人間性が垣間見えて楽しい。

エッセイの他、思想のメモ、創作のための覚書や習作のような小さな作品も読み応えがある。
例えばこんな一文で始まるものも。
「ドナルド・トランプ大統領は『ポケモンGO』との勝負に負けた。」
一体何の勝負のことか。読んでくすりと笑ってしまう。

著者はベルリンで活躍する刑事事件弁護士なのだが、祖父がナチ党の指導者だったという背景を持ち、この祖父の行動への怒りと恥ずかしさから「いまの自分になった」という。そんな著者の思想と理念が語られた硬派な文章もいくつか本書には収められており、法治とは何か、イデオロギーとは何か、善とは何なのかを、読み込むほどに考えさせられる。

本書に収められた文章全般において著者は、はっきりとした説明をしたり、分かりやすい結論を述べたりはしない。読者の手を引いて導いてくれる親切な文章ではないのだ。
彼の描写する光景やセリフ、簡潔に補われた言葉からその奥にあるものを読み取るのが、本書を読む醍醐味である。
一つのエッセイの中で著者は、ミヒャエル・ハネケの映画を評してこう書いている。

登場人物はいいたいことを正確にいう。それだけだ。秘密やほのめかしが多く、事態はなかなかつかめない。・・・ハネケの映画は私たちに疑問を呈するからいいのだ。答えは示さない。それこそがおそらく私たちの唯一の真実なのだろう。

著者の文章もまさにこの性質を持つと私は感じた。

私たちは動揺しながら映画館をあとにし、自分について考えなければならないと気づかされる。


それこそまさに、本書が読者にもたらす衝撃である。
本を読んで何かを学ぶというのは、こんな本によってこそなされるものだと思う。

おいしくて複雑な味の料理をゆっくりと楽しむように読む極上の満足感。
最近読んだものの中ではダントツに、出会えてよかったと思う一冊だった。