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映画「生きちゃった」は生きる覚悟を問われるとんでもない映画だ(感想・ネタバレあり)

◆はじめに

 石井裕也最新作の「生きちゃった」。とんでもない映画だった。
 公式のあらすじを読んだ段階では、奈津美(大島優子)の不倫を発端におさなじみ達(仲野太賀、若葉竜也)の人間関係が狂っていく”様相”についての話だと思っていたが、全くそうではなく観客に「生きる覚悟」を問うてくるとてつもない力強い映画のように感じた。その問いは強く心に突き刺さり、私は私の人生を全うしているのだろうかとしばらく考えてしまった。
 もっと多くの人にそんな映画体験をしてほしいので感想を記す。

◆一言でいうと

 生きる覚悟を問われる物語である。

◆あらすじ

 厚久(仲野太賀)と武田(若葉竜也)と奈津美(大島優子)は中学生の同級生でいつも一緒に時を過ごしていた。大人になり、厚久と奈津美は結婚し子供をもうける。ある日厚久が奈津美の浮気現場を目撃したことを皮切りに、様々な登場人物の環境や関係性が狂っていくーー。

◆感想・考察(ネタバレあり)

・本音を言えない3人の微妙な関係性が物語のベース
 「生きちゃった」の洋題は「All the things we never said」であり、直訳すると「私たちが決して話さなかったすべてのこと」となるが、本作は中学時代から仲良くしていた厚久、武田、奈津美が、微妙な三角関係にあったが故に、ずっと本音を隠してきたという関係性がベースにあると思われる。
(ちなみに、三角関係だったということはほとんどセリフで明言されておらず、冒頭の中学生時代の3人の帰路の描写で感じる程度でこの巧さには唸った。)
 作中では厚久の”本音の言えなさ”がメインでフィーチャーされるが、彼のみならず、奈津美と武田は中学時代に両思いだったことを当時打ち明けていないし、武田は奈津美の不倫が発覚したあと厚久へのある種の疑念を率直に伝えられなかったし、奈津美も不倫が夫に見つかるまで決して自分の辛い思いは厚久に伝えなかったのだ。
 この、微妙な3人の関係性がストーリーの前提となっている。

・愛を言えない主人公・厚久と愛を欲する妻・奈津美のコミュニケーションブレイクダウン
 厚久は妻子を幸せにしたい、庭付きの大きな家に住まわせたい、という思いを胸に、親友の武田と海外ビジネスを始めるための語学学習をしていた。この通り、間違いなく妻・奈津美のことを心から愛しており、この努力こそが彼なりの愛情の示し方だったが、それが奈津美に伝わることはなかった。
 それゆえ妻・奈津美は、「私のことがかわいそうだったから結婚しただけで、私のことを愛しているわけではない」、「婚約破棄をした元カノ・サチコさんと結婚していたらよかっただろうに」、と思い込み5年間ずっとつらい気持ちで結婚生活を送っていたのだった。奈津美の苦悩が不倫という形で発露した時、物語が狂いだす。

 奈津美に離婚してほしいと言われ、意のままに離婚し、養育費を払い、金の無心をされればお金を振り込み、そして武田に「奈津美にそこまでされて悔しくないのか?」と問われると「すべて自分が悪いのだ」と言う。本音を決して言わず、事象に流される厚久の様子がわかりやすく伝わる前半である。

・厚久が本音を言えず、行動も起こせない理由は厚久の過去にあり
 なぜ、彼は愛している人に本音が言えないのか?愛情を伝えられないのか?
 それは彼の過去にあるように思える。
 厚久は、奈津美と結婚するために自らの意思で婚約者・サチコ(柳生みゆ)と婚約破棄をしていたのだ。
 婚約破棄から時は経ち、奈津美と入籍し2人で生活していたある日のこと、サチコが厚久の住んでいる家に赴いてしまう。そして伝えるのだ。
「婚約破棄された後にたまたま医者に行ったら自分は子供が作れない身体だったとわかったから、あなたは私と結婚しなくてよかった」と。どうしようもない感情に襲われた厚久はその場で「ごめん・・・・・・」と繰り返すしかなかったのだった。
 この鮮烈な元カノの告白によって、厚久は「自ら行動を起こしたことによって愛する人をひどく傷つけた罪」を背負ったのではないだろうか。それゆえ、自ら行動を起こすことで愛する人が傷つくくらいなら、何もしない方がいいという感情を強く持つようになったのではないだろうか。

・覚悟せし者が地獄に落ち、意志なき者がのうのうと生きる世界線。果たしてどちらが幸せなのだろうか。
 本作では覚悟して行動を起こした者が悲しい結末を迎え、意思を持たず動かない者が、ある種平和に生きてしまうという対比構造が描かれている。
 例えば厚久のことを思って元妻・奈津美の元へ行き対話を試みた厚久の兄は、(おそらく自閉症気味でコミュニケーションが不得手なこともあり)それがうまくできず、最終的には奈津美の彼氏(毎熊克哉)を殺し、刑務所に収監されてしまう。
 また、自身の不倫を皮切りにどんどんつらい立場に立たされていく奈津美は、それでも娘と死んだ彼氏の借金を返すために幸福を勝ち取ろうとしてデリヘルとして働くが、しまいには客に殺されてしまう。
 一方で厚久は、前述のような過去があるため、浮気をされて離婚を願い出されても、娘と引き離されても、間男に取られても、兄が犯罪者になっても、感情を押し殺し、何の行動も起こさず、平坦な生活を生きてしまっている(ように見える)。
 作中、兄との面会に家族で訪れた際、厚久の父(嶋田久作)が言うセリフが象徴的だった。
 「何もできないバカに限ってのうのうと生きるのだ」

 腹をくくって覚悟し行動した者と、何もせず結果をただ受け入れる者は、果たしてどちらが自身にとって”生”を感じられるのだろうか?”幸せ”を感じられるのだろうか?と問われているように感じた。

・”本音を言えない”主人公・厚久は自分の人生を覚悟して生きることができるのか
 さて、このように厚久の周囲の人間が強い意思のもと行動を起こした結果、悲しい結末を迎えながらも、厚久だけが何もせず”生きちゃった”状態が続いていたのだが、ついに彼が本当に愛している人に対して行動を起こそうとする。それは厚久と奈津美の愛娘・鈴へ向けられたものだった。
 意を決して厚久は武田とともに娘が住んでいる母方の祖母の実家へ赴く。
 実家の前に車が着き、厚久は大泣きしながら娘に対する「一緒に暮らしたい」という思いを武田に吐露する。武田もその思いを応援する。

 「どんな結果になっても見届けているから、娘にその気持ちを伝えろ」と、厚久を車から送り出す武田。
 車を飛び出し娘のところへ走り出していく厚久。
 「やっぱり見ていられない」と言い泣きながら目を伏せる武田。
 娘のところへ大泣きしながら駆けていく厚久。
と、いうシーンで物語は終わり、結果は誰にもわからないまま終わる。

 彼は娘に思いを伝えられるのか?伝えられないのか?それは誰にもわからないが、この映画は結果が大切ではないのだ。結果がどうであれ(事実、兄は収監され、奈津美は殺されるという悲しい結末が存在する中で、今回も娘に拒絶されるかもしれないが)、紆余曲折の後に厚久が本気で人生を生きようとしたという事実こそが美しいのだと感じ、涙を禁じ得なかった。


 以上、この映画は一見辛い群像映画に見えるが、お前の人生、お前は覚悟して生きているのか?ということを終始問うており、むしろ強く勇気づけられる映画だった。
 こんなにおしゃれで最先端でウィットに富んだ映画をもっと多くの人に鑑賞されることを切に願う。

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