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感謝と痛みは同時にあってもいい

GW中にどうも再度やってしまった感のある、右耳の不自由さ。心の負荷と、身体の負荷でなるこの耳は、突発性難聴になってからなんですけど、改めて思い出したので、この突発性難聴になった経緯に感謝しつつももう少しの話。かつての私へ伝えたいことです。

第一子の産休明け直前に、私は突発性難聴になりました。
聴こえなくなった前の晩のことをよく覚えています。
仕事に復帰する前に夫と家事分担を決めたいと相談したら、「俺、そういうのすごく嫌なんだよね。タスクとして持たされると全部やりたくなくなるから」と言われて。
結局、私が全部するのかい!!!と、がーん、、、、となったわけです。
その日、衝撃のあまり、シクシクと寝て、
朝起きてみたら、耳が片方聴こえない!!!!

いわゆる、強制シャットダウンですよ。

そこから、夫に子どもを頼み、病院に行き、即入院になり、
義理のお母さんがきてくれて、私の話も聴いてくれて、
1歳の息子の誕生日は、外出許可で家に帰って、
耳は徐々に回復。その後、会社にも復帰しましたが、
ありがたいことに、突発性難聴のおかげで自分自身も、周りも私に無理をさせない状況になりました。

夫への腹いせに、私は自分が人から「ありがとう」を言われなくてもやりたいところだけをやろうと心に決め、引っ込めたりやりすぎたりと、紆余曲折はありますが、自分に対しての幸せ感がより増すことになって、あらあらあら、と、ニマニマになったんですね。

案外とご飯を作るよりも、食べる方が好きだったとか、
思いの外、洗濯機を回すのは好きだった、とか、
掃除機は好きでも嫌いでもない。
嫌いだから、ギリギリまでやらなくても、腹はたたない。
片付けは、やりたくなったらやる。でも、夫のところは一番最後とかね。

しかも、気がつくと、あの時、夫にお願いしようとしていた家事以上の家事を夫が全てしているという面白さ。というか、あの後、ちゃんと話が聞けていたら、「だから、タスクではなくて、二人で気持ちよく回せるように俺もちゃんとやるよ。」という話だったんですけど。でも、生活の全てに勝手に気を張っていた私は、それが私の仕事であり、荷が重い!という話なだけだったのに。

その後も色々とありますけど、
やりたくないけど、家のことを考えたらやった方がいいなぁ、でも、やりたくないなぁってことは、腹をくくって子どもたちと一緒に楽しむ方法を考えたり、楽しくやれる方法を考えたりと、乗り越えてきました。

そういえばあの時、夫はいたわってはくれましたが、謝ることはしませんでした。
タスクとして渡していたら、私は本来は私がやるべきと思っていることを渡しているので、やってもらっている罪悪感に苦しんでいたかもしれません。
あれくらいやってくれたからこそ、私は理解できました。
今ではあの状況を本気で感謝しています。
(夫は夫で、深く感じ入ることがあり、彼もこの話とは全然別のところで、ライフスタイルを変えるきっかけになったのですが、この話はまた別のタイミングで。)

あのタイミングが私が幸せに生きる原点とも言えるのです。

とはいえ、感謝はすれども、あの夜の話し合いの感じを思い出すと、まだ、痛くて泣きたくなります。ほんと、なんて辛かったんでしょう。
感謝していることと、あの時痛かったことは、また別のものがありそうです。

動けない時に、理由はちゃんとあると思います。
でも、動けていても、なお、足を引っ張っているものがあるのです。

丁寧に、丁寧に。
自分と向き合う。

自分と向き合うことを許す。

周りの人には、感謝しかありません。
あんなに「イケてる」つもりになっていて、高慢ちきだったであろう私を丁寧に対等に接してくれていた友人、夫。

そのおかげで、凸凹を戦いではなく、共存に向けて歩みを進めようとしている自分がいます。

感謝も痛みも一緒でもいいんだよ。
どちらも私の中にあるものでいいんだよ。
昔の自分に伝えたい言葉をここへ。

みなさまも、一つでも多くのポイントで、本当の自分と繋がれますように。

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