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【5日目】 災害の記憶と人情

あなたはこれまで幾つの災害を経験しているだろうか。
もちろん、1発大きな災害を体験すると、命を落としかねないわけだから、できるだけ、経験しない方がいいとは思うのだけど、あえて、書いてみる。

先日、阪神淡路大震災の日、防災関連の事業をおこなっている友人と話していて、私は案外と災害を経験していることに気がついた。

これは、鹿児島に住んでいた事は、大きく関係している。
何せ、いつでも火山の噴火がある。灰がふる。
夏はガンガン台風が来る。
いつでも、大きな災害になりそうな予兆が当たり前のようにそこにある人生。
私には普通だけど、そうか、普通でない人もいるんだな。

覚えている最初は、小学生の頃。
夏休みに大きな台風がきて、1週間ぐらい電気が止まった。冷蔵庫がたいへん!と、母がすごい形相で牛乳とお肉を取り出して料理してくれたのを覚えている。電気がなかなかこなかったので、ろうそくの灯りで夕食を食べて、さっさと寝るという生活は、緊張もしつつ、お家キャンプのようで楽しかった一方で、周りはどんどん明かりがつく中、我が家はつかずに取り残されている感じが怖かった。

2つ目
水害。これはすごかった怖かった。
市内のあちこちが水没。
道路が水に浸かっていて、避けながら歩いて帰った。
家に帰ってテレビをつけたら、その日はたまたま歩かなかった1本向こうの道路で水が渦を巻いている映像が流れてきて、生き延びたと思った。あの道を歩いていたら、命の危険があったに違いない。

3つ目
これは、実際にその瞬間にいたわけではないけど、阪神淡路大震災。
ちょうど前日に関西から鹿児島に帰ってきていて、その日に関西に帰るところだった。
友人たちがたくさん関西にいたので、すぐに連絡。
すぐにでも関西に帰りたくても、飛行場が封鎖されて、1週間後、名古屋経由で帰った。
帰ってみたら、京都の自室はゴミ箱が転がっていただけで、全て大丈夫だった。災害で人生が大きく変わることがある、と、友人たちを見てはっきり知った。災害、できるだけ最小限にしたいという思いはこの時に生まれた気がする。そして、外から経験して得たこととしては、最初は連絡がつくけれども、時間が経つと連絡がつきにくくなる、ということ。はっきり知恵として自分の中に入った。

4つ目
東日本大地震を横浜で。
阪神淡路大震災の時の教訓を生かして、すぐに家族に無事にを知らせた。
道路の陥没とか、計画停電とか怖かったけど、Twitterで流れてくる東北の状況をみて、なんだか申し訳なくなった。
地震当日、子供が1歳で会社から保育園まで歩いてお迎えに行った。
地震警報が続き、自分がびっくりするよりも、息子が泣き叫ぶのを宥めたり、と、その後の余波が大きかった。アドレナリンが放出されて、とにかくサバイバルしていた。

そのほか、準備していてよかったね、という小さなものもあれこれあるけれども、この4つは自分の中にしっかりある。生きるということ。そして、手を繋ぐということ。
どの時も、人と人が助け合うのを見た。

災害の時って、自分だけよかった、ということは、ほっとはするけど嬉しくない。誰の上にも被害が出なければいいと思う。

そして、今日、無事に生きていてよかったと思う。
もっと大勢と生きていることを幸せと感じていたい。
生きながら辛い生活をしている人も多くいる。

みんなでwell-beingを作っていけますように。
そして、個人の幸せが置いてきぼりになりませんように。

写真は2012年の桜島。ちょっと稜線が今と異なるのが、さすが火山だなと思う。

さぁ、今日も丁寧に出来るだけ生きよう。

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