ソクラテスはクリスチャン?啓示論の視点からみたロゴス・キリスト論

ソクラテスはクリスチャン?
啓示論の視点からみたロゴス・キリスト論

現代神学思想演習

発表者 濱和弘

 


はじめに ー啓示論的視点からロゴス・キリスト論を見るということー

 

ロゴス・キリスト論というのは、そもそもは神の言であるλόγος(ロゴス)の受肉の意味を考える議論だが、それはすなわち、カルケドン会議(451年)におけるキリスト論における神人両性をめぐる議論に先行する受肉した神イエス・キリストについての議論あると考えられる。したがって、ロゴス・キリスト論は神学的に区分するとすれば、キリスト論に属する問題である。実際、しかし、このロゴス・キリスト論は、ハンス・ユンゲル・マルクスは、グリマイヤー(Aloys Grillmeier,1910– 1998年) の研究によって、アレキサンドリア学派型のキリストの神性と人性の結びつきを強調し、その一体性を重視する〈ロゴス・サルクス・キリスト論〉と、キリストの人性を強調するアンティオケア型の〈ロゴス・アンソロポス〉・キリスト論があることが明らかになったと指摘している。このことは、ロゴス・キリスト論が、キリストの神人両性論論をめぐる問題であったことを示している[1]。ではなぜ、そのロゴス・キリスト論を啓示論的視点からとらえようとしているのか。

そこで論者は、このロゴス・キリスト論と啓示論との関わりを次の点から明らかにしていきたいと考えている。すなわち、まず最初に聖書観の問題を取り上げたい。神の啓示は、一般啓示と特殊啓示の問題もあろうが、最終的には聖書論に向かっていく。その聖書は何のために書かれているのかというと聖書の目的的を見るとき、啓示が向かう方向が明らかになってくる。次に、λόγοςという言葉の持つ意味について考えたい。そもそもλόγοςという言葉自体が何を指すかが明確にならない限り、ロゴス・キリスト論が持つ息が明らかになってこない。また、λόγοςという言葉自体が何を指すかあきらかにされていくことで、ロゴス・キリスト論の持つ倫理・道徳的性質が明らかになってくるであろう。そして、ロゴス・キリスト論そのものを考察していく。そこではイグナティウスとユスティヌスのロゴスキリスト論の異同が明らかにされる。そのうえでロゴス・キリスト論とインマヌエル・キリスト論への発展的展開について考察したい。ロゴス・キリスト論の中心はλόγοςの受肉であり、それは言葉を換えればインマヌエルということである。このインマヌエルということを人間の原事実として捉えたのが滝沢克己である。その滝沢克己のインマヌエルキリスト論からロゴスキリスト論を見るとき、そこには、ロゴス・キリスト論を啓示論的視点からとらえる意義が明らかになるからである。

 

1.     聖書は何を言っているか ―聖書観の問題―

 聖書は神の啓示の書であるか。この点について、キリスト教世界全体におけるコンセンサスはない。一般にリベラルと呼ばれる陣営においても、自由主義神学では、聖書はあくまでも人間によって書かれた人間の言葉であり、神の啓示の記録であるとして、啓示を徹底的に過去の出来事として捉えるが、新正統主義では、聖書は人間の言葉であるが、聖霊の働きが聖書を読む者に働くとき、それは神の言葉になるとして、人間の言葉と神の言葉を弁証法的に使用し、啓示を今の出来事と捉える。
 それに対して、いわゆる福音派と呼ばれる陣営は聖書は神の言葉であり、今、ここでの私たちに語り掛ける神の啓示の書であると主張する。しかし、その福音派の陣営の中にも、聖書の言葉を一字一句誤りのないものであるとして、徹底的に聖書の神言性に重きを置く根本主義的無誤性派と聖書の言葉は人間の言葉を通して語られた神の言葉であるとして、聖書の人言性と神言性を踏まえて、聖書は科学的・歴史的事柄については誤りを含むが、宗教書としての聖書は誤りがない神の啓示の書であるとする立場に分かれる。つまり、聖書の啓示に関する理解は自由主義と根本主義を両極にして、その両極の間に張られた糸の上にあるグラディエーションに中に置かれている。
 これらは、啓示としての聖書ということを主題化した中で聖書は何であるかをろんじたものであるが、聖書は何のために書かれた者であるかの議論であって、聖書が何のために書かれたかを論じたものではない。

 聖書が何のために書かれた者であるかについては、おそらく、救済のためであるという理解が否定されることはないであろう。キリスト教が救済の宗教である限りそれは必然であるとも言える。しかし、救済とは何かということについては、西方教会の伝統においては罪の赦しが救済の目的であると答えるであろうし、東方教会では、死からの解放をもたらす永遠の命という神の属性にあずかる神化が救済の目的であると答えるであろう。
 このように、聖書をめぐる議論は、キリスト教世界の中には完全な一致をみることができないのが現状であるが、論者は、ここでA.ヘッシェルの聖書観をもって、この論を進めていきたいと思う。ヘッシェルの聖書観は

旧約聖書は、原則的に人間の神観が記されているのではなく、神の人間観が記されているものである。旧約聖書は人の神学のための書ではなく、神の人間学を知るための書である。旧約聖書は神の本性を取り扱うよりむしろ、神が人に何を求めているかを取り扱っているのである[2]。

 というものである。

 多様性のある聖書観がある中で、なぜ本論がヘッシェルの聖書観を用いるのか。その正当性は、ヘッシェルが神を本来的「言い表せないもの」の感覚で捉えるからである。ヘッシェルは、我々人間の神の第一次的な認識は「言い表せないもの」との出会いにおける「驚き」であるとする。これは、ファイロンの「言葉は語りえない者(ἄρρητος)」の感覚につうじるものであり、ユスティノスの神を不可知者とずる感覚に通じている。 
 考えてみれば、このような「言い表せない者」の感覚あるいは「言葉では語りえない者」の感患者は、宗教学上のルドルフ・オットーのヌミノーゼやW.ジェームスの純粋経験に通じるものである。そういった意味で、フィロンもユスティノスもまたヘッシェルも一つの宗教経験上の流れの中にある。それゆえに、神を「言い表せないもの」「言葉では語れないもの」として捉えるヘッシェルの聖書観は、ユスティノスのロゴス・キリスト論に近接するために有効な手掛かりとなるであろう。
 もちろん、ヘッシェルやフィロンの聖書観は、旧約聖書である。したがって旧約聖書をもって、イエス・キリストについて論じるロゴス・キリスト論の議論に用いることができるかという問いが立つのは自然な事である。しかし、イエス・キリストは自分自身に対して「(旧約)聖書は、私について証する者である」と言い、私は律法と預言者(すなわち旧約聖書)とを成就する者であると述べている。つまり、旧約を論じることは、即、イエス・キリストを論じることに通じるのである。したがって、ヘッシェルやフィロンの聖書観をもって、ロゴス・キリスト論を考察するツールとして用いることに問題はない。

 

2.     λόγοςとはなにか

  イグナティオスにせよ、ユスティヌスにせよ、ロゴスをキリストに結び付けて考えたのは、言うまでもないくヨハネによる福音書1章1節から14節までの記述による。ここではスペースの問題もあるので必要な部分だけ中略を入れながら引用する。

初めに言(λόγος:ロゴス)があった。言(λόγος)は神と共にあった。言(λόγος)は神であった。この言(οὗτος:フートス/これ)は、初めに神と共にあった。万物は言(αὐτός:アウトス/彼)によって成った。言(αὐτός)によらずに成ったものは何一つなかった。―中略― まことの光(φῶς)があった。その光は世に来て、すべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言(αὐτός)によって成ったが、世は言(αὐτός)を認めなかった。言は自分のところへ来たが、民は言(αὐτός)を受け入れなかった。―中略― 言(λόγος)は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

  この「初めに言(λόγος)があった。言(λόγος)は神と共にあった。言(λόγος)は神であった[3][i]」という表現は、極めて奇異な書き出しであり。それゆえに、かつての聖書学においては、ヨハネによる福音書は、ヘレニズム世界の異邦人に宣教していく中で成立したものであると考えられてきた。そうすると、このヘレニズム的要素の強いλόγοςは、もともとは、神が語られた言葉としてのヘブル語のדׇּבְר(ダーバール)と言う言葉を意識したものであると言うことになる。ヘブル語のדׇּבְרには、言葉という意味と同時に出来事という意味がある。そこには、神の言葉が語られるとき、その語られた神の言葉は必ず出来事となるというへブル的な思想がある。いずれにせよ、ヨハネによる福音書は、ヘレニズム世界の異邦人に宣教していく中で成立したものであるとするならば、このヨハネによる福音書においてλόγοςという言葉が用いられるに至ったのであるとするならばと羽による福音書の著者はまずは、へブル的なדׇּבְרをもって思考し、それにλόγοςを訳語という訳語を当てた可能性を考えなければならない。だとすれば、λόγοςを訳語として選択したその意図が、いかなるものであったのかが問題になる。

 この場合、ヨハネによる福音書が

   初めに言(λόγος:ロゴス)があった。言(λόγος)は神と共にあった。言(λόγος)は神であった。この言(οὗτος:フートス/これ)は、初めに神と共にあった。万物は言(αὐτός:アウトス/彼)によって成った。

という以上、そこにはλόγοςが初め(ἀρχῇ)にあったという先在性が述べられている。それゆえにこの個所は、λόγοςであるキリストの先在性と神の創造への関与を主張するものであるという視点がある。このような視点はイグナティオスにもユスティノスにも見られる。しかし、このλόγοςという語が神が「あれ」と語ったדׇּבְרの訳語であると理解するならば、このλόγοςという語の訳語としの選択は、創世記1章1節の「初めに神は天と地を創造された」や1章3節の「神は言われた。『光あれ。』すると光があった」と連動して、必ずしも適切な選択だとは言えないかもしれない。なぜならば、ヨハネ福音書は、イエス・キリストを「光」と呼ぶからである。そこには、λόγοςであるキリストの先在性と神の創造への関与を主張しつつも、その一日目に「光」自身が、神の「光あれ」という言葉によって創造されているという矛盾がある。

 もっとも、ヨハネによる福音書がλόγοςという言葉をもちいたのは、神が語られた言葉としてのדׇּבְרと言う言葉それ自体を意識したというよりも、むしろ創世記1章2節の「地は混沌として(תֹהו וָבהו/トーフ・ヴァボーフ)に関連付けられているかもしれない。なぜならば、創世記1章は、無からの創造という世界の起源を語るのではなく、むしろ地の混乱(תֹהו וָבהו)に神が秩序を与え、神の創造なさった世界が神の創造の目的にそって整えられていく行為として描かれているからである[4]。それゆえに、この混乱した地に対して、この世界の秩序のもとになる原理であり、この世界を支え支配する理性であるλόγοςという語をもちいたとも考えられるからである。この場合、ヨハネによる福音書のλόγοςという言葉の使用は適切なものとなる。なぜならば、λγοςは、知恵や理をも意味するからである。理(ことわり)とは、道理であり、整えるものである。同時に、これによってイエス・キリストが光であるという言葉もまた意味を持ってくる。それは、イエス.キリストという存在が、罪と死に支配された混とんとした「この世(κόσμος/コスモス)」に対し「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネによる福音書1章29節)となって、「この世」に神の支配をもたらすからである。そしてそれは、「この世」の主権者である神それ自身が、混とんとした世界にイエス・キリストという出来事となって表れたことなのである。それはまさに、イエス・キリスト自身が神のλόγοςであり、神の前でこの世を治めるべき人間の在り方を示す啓示そのものであると言うことでもある。

いずれにせよ、このようにλόγοςがדׇּבְרの訳語であるというとらえ方は、基本的に、まずヘブライ的思想があり、そのヘブライ的思想を翻訳してヘレニズム化するという作業がそこにあったということで、このλόγοςという言葉を理解するためには、そのヘレニズム化された言葉から、もともとあるヘブライ的思想を抽出するという作業が求められるのである。

ところが、近年の聖書学の研究では、死海文書にも、ヘレニズム的な内容やグノーシス主義的内容のものも見られ、パレスティナ地方のヘレニズム化もかなり進んでいたことが明らかになって来た。そして、このヨハネによる福音書の主な読者は、ヘレニズム世界の異邦人ではなくパレスティナ地方に住むユダヤ人およびユダヤ人キリスト者だと理解されるようになってきた[5]。だとすると、このλόγοςは、ヘブライ的なדׇּבְר の訳語として、その意味と内容をדׇּבְרに還元して釈義されることなく、直接λόγοςのヘレニズム的意味をそのままで受け止めることができる。

 そこで、ヘレニズム的なλόγοςの意味であるが、たしかに、ヘレニズム的意味においてもλόγοςは言葉である。しかし先にも述べたように、λόγοςは、知恵や理、それもこの世界全体の存在とその在り方を導く知恵であり理であって、人間の思惟や認識に繋がるものでもある。考えてみれば、人間は、思惟するとき、また認識するとき、必ず言葉を媒介にする。その意味からも言葉を意味するλόγοςが、知恵や理をも意味するものでもあることは極めてふさわしいと言えよう。このときλόγος認識に導く、ヘレニズム的知恵はσοφία(ソフィア)もしくはφιλοσοφία(フィロソフィア)であり、それは人間がいかにより善き者として生きるかの知恵(σοφία)であって、その知恵にそって生きる生き方(φιλοσοφία)である。そして理は、そのより善き生き方を導く理なのであって、まさにイエス・キリストがλόγοςであると言うことは、イエス・キリストの生涯が我々をより善き生に導くものであるということを意味している。
 こうしてみると、このヨハネによる福音書1章で用いられているλόγοςはヘブライ的思想の訳語としてのλόγοςであっても、ヘブライ思想のもとにあるλόγοςであっても、それは、人間が人間としてあるべき生き方の理を示す言葉であると言えよう。

3.      ロゴス・キリスト論

ロゴス・キリスト論は、カルケドン会議よりもさらに古い層にまで遡れる問題であり、水垣渉によれば、イエス・キリストとロゴスを結び付けて理解したもっとも古い層はアンティオケの二代目の司教であったイグナティウス(生年不詳‐110年)まで遡れると言う[6]。当時アンティオケのイグナティオスは、キリストが肉体をもって存在していたのではないとするグノーシス主義の仮現論を論的としており[ii]、それゆえに、ロゴス・キリスト論は、神の言(λόγος/ロゴス)の「受肉した神」であり、「人として顕現した神」であると言うことを強調したものであると考えられる[7]。つまり、目に見えない神が、受肉して人間イエスとなることで顕現したと主張したのである。それは、人間イエスが「神を担う人間[iii]」であり、神性を内に含んだ人間イエスの人性部分の強調であったと言えよう[iv]。それゆえに、前出の水垣は「結論として、イグナティオスのキリスト論はキリスト像と密接に結びついており、キリストの生き方を『キリストのまねび』」として実現することを動機としている、といってよい[8]」と述べている。
 水垣が指摘する「キリストの生き方を『キリストのまねび』として実現すること」というのは、キリストが、我々人間の模範であるということである。つまり、キリストが我々の模範として啓示されているということである。言うまでもないが、イグナティウスの時代には、未だ新約聖書は新約聖書として定められてていないにせよ、それぞれの福音書は何らかの形であったであろうし、また伝承を通じてイエス・キリストの生涯は伝えられていたであろう。そのイエス・キリストが神の言(λόγος/ロゴス)であるとするならば、ロゴス・キリスト論は、当然、啓示論的意味を持ってくると思われる。
 アレキサンドリアのイグナティオスが、このλόγοςと言う言葉に触れたとき、彼が、ヘブライ的思惟に基づいて、このλόγοςを理解したのか、ヘレニズム的思惟に基づいて理解したのかは定かではない。ただイグナティオス自身は、

 

というのは、神的(ヘブライの)預言者たちは、(当時既に、先在の)キリスト・イエスに従って生きてきたのです。だから彼らは迫害されたのですが、それはキリストの恵みに霊感されて、(真理に)従わぬ者どもが、神は唯一であり、自らをその子イエス・キリストを通してあらわれた〔濱註:啓示なさった[9]〕ことを確信するためなのでした。キリストは沈黙から出た神の言葉[v]、あらゆる事において、彼をつかわした方の喜びであられたのです[10]。

 

と述べている、つまり、イグナティウスもイエス・キリストという存在は、すべてに先立って先在し、神に喜ばれる生き方を指し示す存在であると受け止めていたのである。それゆえに、イグナティウスはキリストの先在性と神性を把握していたと言えよう。しかし、その顕現は人が神を担う形で表されるのであって、そこには神と人との区別が明確に意識されている。

イグナティウスは、イエス・キリストという存在が神に喜ばれ、神の御心に適う生を生きた存在として捉えている。この神に喜ばれ、神の御心に適う生き方とは、教会が迫害されるという光と闇の対立の中で、凛として光の中に生きるものとしてキリストに倣い闇に立ち向かい殉教しようとした生き方である。あるいは、まさにこの世にあって神の知恵であるキリストに倣ってより善き生を生きようとすることかもしれない。そのいずれもが考えられるが、少なくとも、イグナティオスが、イエス・キリストの生を模範として、その死の様に至るまでキリストに倣って生きることを求めたのは間違いのない事実であろう。
 イグナティウスは、キリストを模範とする。それはキリストが「神を担う人」だからである。ここには、神と人との結びつきがあるが、あくまでも神を人が担うのであって、焦点は人にある。それはまさにアンティオケア型の〈ロゴス・アンソロボス〉・キリスト論であって、そこには担われる神と神を担う人との明確な区別がある。その意味で〈ロゴス・アンソロポス〉・キリスト論は、存在論的キリスト論であると言えよう

また、λόγοςの受肉をめぐるロゴス・キリスト論が、より鮮明な形で議論されるのはユスティヌスによってであろう。ユスティノスの生涯は100年頃から165年頃であると言われるので、前出のイグナティオスの次の世代である。イグナティオスの時代もそうであったが、ユスティノスの時代のキリスト教も決して穏やかな環境の中にあったわけではない。むしろ、誤った教えや批判にさらされていた。そのような中でキリスト教を擁護する弁証家が出てくるが、ユスティノスもその中の一人である。柴田有は、ユスティノスの神学思想は、アレキサンドリアのフィロン(20頃-50年頃)の思想との類似性を指摘する[vi]。とりわけ、そこに至る発想の違いはあるにせよ神を「言葉で語りえぬ者(ἄρρητος:アレートス)」としてかかげる点で近いという[11]

フィロンがいう神は「言葉で語り得ぬもの」という感覚は、神が人間の知性の範囲で捉えられない存在であり、それゆえに不可知な存在であるところから出てくる発想である。つまり、神は人間の知性で知ることもできず定義できない存在なのである。この神は人間の知性では知ることのできない存在であるという点でファイロンとユスティノスは共通するが、しかし、だからといってユスティノスは、神を全く知り得ないといっているわけではない。λόγοςを通して、神の全体像を知ることはできないとしても、部分知として知ることができると考えている[12]。
 知ることのできない「言葉で語りえない者」である神を、受肉したλόγοςを通して知る。そこには啓示の働きがあるのであり、ロゴス・キリスト論は啓示論と密接に関わっている。まただからこそ、ユスティノスは、キリスト教の弁証のためにロゴス・キリスト論を用いたと言える。それゆえに、ロゴス・キリスト論はキリスト論と啓示論を結び重要な主題でもあるのだ。

このユスティニアヌスのロゴス・キリスト論が、ヘレニズム的思惟に基づいてこのλόγοςという語を理解したことは、ほぼ間違いがないであろう。というのも、ユスティノスは、ギリシャ系の異教徒の出身であり、プラトンやアリスとテレス等のギリシャ哲学を学んだ後にキリスト者に転じた人物だからである。それゆえに、このλόγοςと言う言葉を、ヘレニズム的な意味を持つλόγοςの理解をもって理解し、彼のロゴス・キリスト論を展開したと考えられる。というのも、ユスティノスのλόγος理解には極めて自然神学的要素が強く現れ出ているからである。そしてそれは「ソクラテスもキリスト者であった」というユスティノスの言葉に顕著に表れている[13]。

先にも述べたが、ユスティノスは、ファイロンの神は「言葉では語れない者」であるという神の不可知性に相通じる思想を持っている。しかし、ユスティヌスは、神はすべてのものに先在するものであって、人間が知りうるものではないとするが、しかし完全に知ることはできないが、部分的には知りることができるとも言う[14]。だから、ソクラテスもキリスト者になりうるのである。ソクラテスの内にあったロゴスは、イエス・キリストの内にある完全なロゴスとは異なり、それは不完全なものではあり、部分的なロゴスである。しかし、その部分的な神のロゴスが人間の内に与えられているというのがユスティニアヌスの主張である。そしてその部分的ロゴスがもたらすロゴスの能力が、人を正しい善なる生き方に導くのであり、このロゴスの能力によって正しい善なる生き方を求めて生きた存在がソクラテスなのである。

このようなユスティニアヌスのロゴス・キリスト論の背後には自然神学的思惟がみられるが、同様の思想は、後の16世紀初頭の人キリスト教人文主義学者であるエラスムスにも見られるものである[15]。 

ユスティノスもまたエラスムスも、ソクラテスをキリスト者と見なすのは、ソクラテスの中に善や正義を求め、善や正義に導き、善や正義を生きさせる理法であるλόγοςを見ているのであるからである。しかしその場合、ソクラテスの内にあるλόγοςは部分的なλόγοςであり、完全なλόγος、あるいはλόγοςの全体像といったものは、イエス・キリストという存在そのものなのである[16]。このλόγοςは理性とも霊とも言い換えることができるであろう。つまり、イエス・キリストの内にあるλόγοςは、神の意思と思いに完全に一致した神のλόγοςであり、それはつまり、イエス・キリストの言葉と行いを導くイエス・キリストの内にある神性であって、イエス・キリストは神性と人性が完全に統一された「神のλόγος」(神の言)なのであり、ソクラテスのうちにある部分的なλόγοςはイエス・キリストという完全な「神のλόγος」が投影された人間の本性である「神の像」なのである。

 このように、人間存在の中心にあって、人間を善や正義、あるいは徳のある生き方へと導く知恵や理性は部分的なλόγοςであって、イエス・キリストは完全な「神のλόγος」なのである[17][vii]。こうした捉えかたは、アレキサンドリア型の〈ロゴス・サルクス〉・キリスト論に見られるものである。そしてそれはアレキサンドリア学派のオリゲネスのロゴス・キリスト論に受け継がれていく。すなわち、キリストにおいては神性と人性はイエス・キリストの人格の内に統合されているのである。
 このように、イグナティウスのロゴス・キリスト論とユスティニアヌスのロゴス・キリスト論は、キリスト論的視点に立てばアンティオケア学派とアレキサンドリア学派のキリスト論の違いが浮き彫りにされるものでありが、啓示論的には、λόγοςは人間の本来あるべき生を指し示すものであり、イグナティウスもユスティニアヌスも、共に、キリストこそが、本来的な人間本性の現れであることを示している

 

4.     ロゴス・キリスト論からインマヌエル・キリスト論へ

 

 ロゴス・キリスト論は、神の言葉の受肉の問題であるが、それは、人間の内に宿る神性の問題である。それが最も先鋭的な形で、しかもキリスト論に収斂された形で議論されたのがカルケドン会議における神人両性論である。

神人両性論は、平たく言えば、神が人と共にいるということであり、それはまさに「神、我らと共にいます」というインマヌエルの問題である。そのインマヌエルをイエス・キリストという特別な存在に特化して取り上げたのがカルケドン会議であり、そういった意味ではカルケドン会議はロゴス・キリスト論を矮小化してしまったものだと言えるかもしれない。というのも、ロゴス・キリスト論は、このインマヌエルの問題、をλόγοςを媒介にして人間全般の問題として捉えたものだからである。

このような、インマヌエルの出来事を人間全般の問題として捉える視点は、滝沢克己のインマヌエル・キリスト論に結実している。滝沢の主張は、「神、我らと共にいます」という出来事は、人間存在を根底から支える出来事であり、「インマヌエルの原事実」というものである。

滝沢は、このインマヌエルという事態が、イエス・キリストにおいてこの世界に出来事として生起したことを認める。しかし、この出来事は根源的な出来事(Urgeschichte)であり、その根源的な出来事にあって、その根源的な出来事の根底を支えているのが「原事実(Urfaktum)」としてのインマヌエルであり[18]この「インマヌエルの原事実」は、全ての人間の存在を支え、人間としての存在の根拠である「人類共通の成立基盤[19]」であり、かつ私という自己の存在を支える存在の根拠なの「である。それ故に、滝沢は次のように言う。

 

この場合、『神われらとともに在す』という『われら』はむろん、単に『われらキリスト者』のことではない。むしろ時処位を問わず、すべての人、一々の人を、簡単に言うと『われら人間』を意味していなければならない[20]

(傍点は著者による付加)

 

 ここにおいて、滝沢が「時処位を問わず」という、それはいかなる状況、またいかなる条件下においてもということである。すなわち滝沢の「インマヌエルの原事実」は、すべての人に開かれている人間が人間であることの存在論的根拠なのであって、それは、先に述べたブーバーにおける「汝と我」という神と人との根源的関係である。興味深いことに、滝沢のインマヌエル論は、先に述べたユスティノスのロゴス・キリスト論に接近する。もちろん、両者を同一のものであるというのはあまりにも軽率である。たとえば、柴田秀が、八木誠一と滝沢克己との間にあった論争が、八木の認識論的思惟と滝沢の存在論的思惟の違いから来るものであることを指摘している[21][viii]が、同様にユスティノスは認識論的にロゴスを捉え、滝沢は存在論的にインマヌエルを捉えており、両者の間には明らかに違いがある。しかし、それでもなお近接しているということができることは間違いない。この滝沢とユスティノスを近づけているものが二重性である。と言うのも、ユスティノスは第一弁明の二八‐3にて次のように述べているからである。

 

   はじめに神は、真理の選択と正しい行動のために知力、能力をそなえた者として人類を造られたのです。すべての人は神の前に弁解の余地はありません。すなわち人間はロゴスの能力と洞察をそなえて生まれてきたのです[22]。

 

ここでユスティノスがいう「ロゴスの能力」というのは、善や美や正義を行う意思や決断と言った倫理に関わる能力であり、これらの能力が人間には潜在的に備わっているというのである。だからこそ、この潜在的能力である「ロゴスの能力」によって生きたソクラテスやヘラクレイトス等をキリスト教徒であったとユスティノスは言うのであり[23]、部分的ではあるが、ソクラテスはロゴスを知っていると言うのである[24][ix]。

この「ロゴスの能力」は認識論に属する事柄である。なぜならば、それは、何が善で何が悪かをわきまえ判別する能力だからである、その「ロゴスの能力」によって人間は決断的生を生かされているのであるが、しかしユスティノスは、キリスト教徒は、「ロゴスの能力」という部分的ロゴスではなく、ロゴスそのものであり全体的ロゴスであるキリストと出会うことによって、キリストの知識と観照に従って生きているというのである。ここには、全ての人間に潜在的に与えられた「ロゴスの能力」による生と、イエス・キリストに出会うことによって生じるイエス・キリストに従い、イエス・キリストに倣って生きるキリスト者の生という二重性の構造がある。

この認識論的ユスティノスのロゴス・キリスト論に見られる二重性の構造が、滝沢をユスティノスに近接させる。というのも滝沢の言う「インマヌエル」にも同様な二重性の構造が見られるからである。滝沢の言う「インマヌエル」は、人間存在の「原事実」として信仰者であろうとなかろうと、すべからく、永遠の太古の初めから永遠の終末に渡って人間を刻一刻生かすものである[x]。同時に、その太古の神の創造の業の際にあった神の言が人となり受肉したイエス・キリストと出会った者は、そのキリストとの出会いによって「神われらと共にいます」という「インマヌエル」という事態に開眼し、それにおいて生を導かれる[xi]という二重性の構造、すなわち、滝沢の言う「インマヌエル」における第一の接触と第二の接触という二重性の構造と極めて近いものを見ることができるからである。

 いずれにせよ、滝沢の理解する人間の基盤である「インマヌエルの原事実」は、我々人間の存在の内にあり、我々を生かし導くものである。それゆえに滝沢には、人間から神へと向かう自然神学の余地が残されている。だからこそ、滝沢には仏教とキリスト教の対話や融合の可能性が開かれている。もっとも、その場合においても、人間に生を導くのは「インマヌエル」という事態であり、「インマヌエル」と言う事態は神から人への隠された不可逆な啓示の導きである。その啓示に対して人間の決断性はその啓示の導きに従うか従わないかの応答なのである。同時に、「インマヌエル」という事態はイエス・キリストという出来事となって我々の前に現わされる。それゆえに、イエス・キリストは我々の生を導く啓示なのである。

 

結論

 ロゴス・キリスト論は、本来的には、キリストの神性と人生の関係を巡るぎろんであるが、同時にそれは人間がいかに生きるべきかを指し示す啓示論的議論でもある。そしてその根底には、「神、我らと共にます」というインマヌエルという事態がある。この「神、我らと共にいます」という事態が、我々の内にあり、自己の存在の存在を根底を支え、我々の生を導くならば、「神、、我らと共にいます」という事態は、同時に「我ら、神と共にいます」という事態として認識され、我々を神の前に生かす事態とならなければならない。そして、その「我ら、神と共にいます」という認識が、我々をして、神の前に生きる人倫の在り方となるが、その模範としてキリストの生があるのである。その意味で、聖書はまさに「神の目から見た人間の姿であり、神の人間学である」と言えるのである。このことは、結局、神の啓示というものは、我々が神を知るためにあるのではなく、神の前に生きる存在である我々の姿とその生き方、在り方を知るためのものであるということができよう。ロゴス・キリスト論は、そのことを我々に教えてくれるのである。



[1] ハンス・ユンゲル・マルクス「古代キリスト論の歩み」『南山神学(7)』、南山大学人文学部キリスト教学科編、神言神学院発行、1984年、1-32頁を参照のこと。

[2] 筆者拙訳。Hessehel, MAN IS NOT ALONE ,p.129 原文は、The Bible is primarily not man's vision of God, but God's vision of man. The Bible is not man's theology but God's anthropology, dealing with man What He ask of him rather than with the nature of God であり、邦訳、ヘッシェル『人は独りではない』、一三五頁の森泉訳では「聖書は第一義的には人間の神観ではなく神の人間観である。聖書は人間の神学ではなく、神の人間学である。すなわち神の本性よりもはむしろ人間と神とが人間に求めていることを扱っている」となっている。


[3] 原語では、Ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ λόγος, καὶ ὁ λόγος ἦν πρὸς τὸν θεόν, καὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος. οὗτος ἦν ἐν ἀρχῇ πρὸς τὸν θεόν.論者の拙訳だが「初めにロゴスがあった。そしてそのロゴスは神と共にあり、そして神はロゴスであった。このことは、(ことの)始まりの時に、神の傍らに(ロゴス)あった(ことを意味する」と訳されよう。


[4] このような視点で書かれたものとして、ホイートン大学旧約学教授のJ・ウォルトン『創世記一章の再発見』、関野裕二、中村佐知監修、聖契神学校編集、原雅幸訳、いのちのことば社、2018年等がある。なおウォルトンの原書はJohn H.Walton, The LOst World of Genesis One: Ancient Cosmology and the Origins Debate, Downers Grove,2: InterVarsity Press, 2009


[5] 松永希久夫『ひとり子なる神イエス』ヨルダン社、1987年、17頁を参照のこと。

[6] 水垣渉・小高毅編『キリスト論論争史』、日本キリスト教団出版局、2003年、61-62頁を参照のこと。

[7] この事がもっともよく表れているのが、イグナティオスの手紙「スミルナのキリスト者へ」である。この手紙においてイグナティオスは「主が肉体をまとっていることを告白せずに主を瀆(けが)すなら、何で私の益になるでしょう。このように言わぬもの(キリストの肉体性を否定する者)は、彼を全く否んだのであり、また死をまとうものなのです」と述べている。イグナティオスの「スミルナのキリスト者へ」は、荒井献編、『使徒教父文書』、講談社文芸文庫、講談社、2003年に納められている。引用箇所は202頁で訳は八木誠一。

[8] 前出、水垣渉・小高毅編『キリスト論論争史』、62頁

[9] イグナティオス『アンチオケのイグナチオ書簡』G・ネラン、川添利秋訳、みすず書房、1960年、58頁を参照のこと。ほかにもバイシェラークも「啓示した」と訳す。(K・バイシュラーク『キリスト教教義史概説[下]ヘレニズム的ユダヤ教からニカイア公会議まで』掛川冨康訳、教文館、1996年、128頁)これは、ギリシャ語のἐφανέρωσενの訳出の違いによる。

[10] イグナティオスの手紙「マグネシアのキリスト者へ」、前出、荒井献編、『使徒教父文書』、172-173頁。カッコ内は訳者八木誠一による補足。


[11] 柴田有『教父ユスティノス キリスト教哲学の源流』勁草書房、2006年,137頁を参照の事

[12] ユスティノス『キリスト教教父著作集・第一巻』柴田有、三小田敏雄訳、教文館、1992年、151頁にある「第二弁明」101‐5を参照のこと。そこには「こういうわけで私どもの教えは、確かにあらゆる人間の教説より偉大であると思います。その理由は全体者なるロゴスが私共のための出現したキリストとして生まれ、身体とロゴスと魂になったからです。「全体」というのは、こういう意味です。同時代にも、愛知者や律法家が語り、見出してきた良質なものがありますが、これはすべてロゴスの部分による発見と観照を通じてえられた努力の結果なのです。しかし、彼らは、ロゴスについての全体すなわちキリストの知識をえていなかったので、その言葉はしばしば自己矛盾に陥ることがあったのです。そしてキリスト以前に世にあった人々も、人間性の制約で、ではあるがロゴスによって事物を洞察し論証しようと努めた時、不敬虔な者であるとか、魔術師であるという理由のもとに法的に引きた立てられました。そのような人々のなかで誰よりも活発にこのことを目指したソクラテスは、私共と同じ罪状で訴えられました。―後略」とある。

[13] ユスティノス『キリスト教教父著作集・第一巻』柴田有、三小田敏雄訳、教文館、1992年、62-63頁にある「第一弁明」46・3-4を参照のこと。そこには、「ですからロゴスに与って生活した人々は、たとえ無神論者と見なされた場合でも、キリスト教徒なのです。たとえば、ギリシャ人ではソクラテス、ヘラクレイトス、および同傾向の人々。また夷人の中ではアブラハム、ハナニヤ、アザリヤ、ミシャエル、エリヤその他の人々がそうです。―中略―これにたいし、ロゴスに与って生活した者、また、している者はキリスト教徒であって、恐れもなく平静を乱すこともないないのです」とある。

[14] 前掲書、151頁にある「第二弁明」10,1‐5を参照のこと。そこには「こういうわけで私どもの教えは、確かにあらゆる人間の教説より偉大であると思い・す。その理由は全体者なるロゴスが私共のための出現したキリストとして生まれ、身体とロゴスと魂になったからです。「全体」というのは、こういう意味です。同時代にも、愛知者や律法家が語り、見出してきた良質なものがありますが、これはすべてロゴスの部分による発見と観照を通じてえられた努力の結果なのです。しかし、彼らは、ロゴスについての全体すなわちキリストの知識をえていなかったので、その言葉はしばしば自己矛盾に陥ることがあったのです。そしてキリスト以前に世にあった人々も、人間性の制約で、ではあるがロゴスによって事物を洞察し論証しようと努めた時、不敬虔な者であるとか、魔術師であるという理由のもとに法的に引きた立てられました。そのような人々のなかで誰よりも活発にこのことを目指したソクラテスは、私共と同じ罪状で訴えられました。―後略」とある

[15] エラスムス『エラスムス神学著作集』金子晴勇訳、教文館、三二九頁には「このことによるとあなたはプラトンやセネカの書物の中にキリストの命令と矛盾しないものを見出すでしょう。ソクラテスの生き方でキリストの生き方と一致するものをあなたはとにかく見出すでしょう」とある。なおラテン語本文は次のものを参照されたし。

Erasmus, Ratio seu Methodus compendio perveniendi ad veram Theologiam, ERASMUS VON ROTTERDOM Ausgewählte Schriften.: Lateinich und Deutsch-Dritter Band, hrsg.- Gerhard B. Winkler, ,Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft, 2006 , p220, そこにあるラテン語原文は以下の通り、Reperise fortassis in Platonis aut Senecae libris, quae non abhorreant a decretis Christi; reperies in vita Socratis, quae utcumque cum Christi vita consentient.

[16] 前出、ユスティノス「第二弁証法」、一五二頁の一〇-八を参照のこと。そこには「ソクラテスを信じて、この人の教えのために死に至ったほどのものはおりません。これに比すれば、ソクラテスも部分的に知っていたキリスト(と申しますのもこの方はかつても今も万人のうちにあるロゴスであり、預言者を通じても、また―私共人間と同じ感性を負う者となり、教えを授けることにおいて―自分自心を通じても、未来の出来事を予告していたからです)の場合、愛知者や学者ばかりか、手職人やまったく教養のない人々までもこのかたを信じ、栄誉や恐怖も死も取るに足らずとしたのです。要するにこのかたは、言葉では言い表すことのできない御父の力であって、人間的制約を負ったロゴス(濱註:部分的なロゴス)の産物ではないのです」とある。

[17] [17] 前出、ハンス・ユンケル・マルクス「古代キリスト教の歩み」四頁を参照のこと。これによるとユスティノスのロゴス・キリスト論はアレキサンドリア型の〈ロゴス・サルクス〉・キリスト論に属するものとなる。


[18] [18] 滝沢克己『自由の原点・インマヌエル』、今日のキリスト教双書、新教出版社、1917年、17―18頁を参照のこ

[19] 同上

[20] 同上、24頁。

[21] 柴田秀『滝沢克己の世界・インマヌエル』、春秋社、2001年、38頁を参照のこと。

[22] 前出、ユスティノス『キリスト教教父著作集・第一巻』、44頁

[23] 前掲書、62-63頁にある「第一弁明」四六3-4を参照のこと。

[24] 前掲書、一五二頁の「第二弁明」十-8を参照のこと。



 

 

 

 

 






 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?