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森林伐採の必要性とは(森のお手入れ)

薪ストーブ屋は薪を燃料にしている仕事だけあってカーボンニュートラルとかCo2削減とか、環境を意識した話を引き合いに出されるしよく耳にします。

私は、正直特別意識してません。

薪ストーブの前で薪をくべて薪の熱を得ていると、本当に強烈なパワーを感じます。「木ってこんなにあったかいいんだぁ。。」って本当に馬鹿みたいに思います。

実際そのパワーを得るにはかなりの手間暇がかかっているのですが、
その薪が作られていく過程を体感し、自分で薪を作っていると、余計に電気やガス灯油にはない自然への感謝の気持ちとか畏怖だとか、燃え行く薪を見て愛でてしまうのです。


良い燃焼をしていると意味もなく撮ってしまう

表題から離れてしまいましたが、そういう意味で
山に生え放題放置されている木々がとてつもなくもったいないと感じるのです。
ただ山に生えている木も場所によっては、時間や手間がかかりすぎて採れなかったり、断念せざるを得ない場合が多々あります。

木を切るとういう行為を自然破壊だとか
親が守ってきたから私の代ではきれないとか
偏見や先入観があったりします。

山の中に入って現状を見ればわかりますが、
木々が生い茂りすぎて日が大地まで届かず下草が生えなかったり
(表層に下草がないと保水力がなくて大雨ですぐ流れてしまう。
そして森の分解者の昆虫や小動物などの生き物が少ない)
成長した木にツタが巻き締め上げて枯れてボロボロになってたり
(倒木の危険。昔の人はツタを根元で切って歩いてそうなる前に防いだ)
薄暗く、獣が潜んでいそうな雰囲気です。
(実際何度かグルルル。。という声を聴いて後ずさりした)

とても長い目(何百年何千年というスパン)で見ればこの現状は山の中で再生と破壊を繰り返し、本来山の適した状態に更新されていく過程なのかもしれません。
人間が山に手を入れる使命感なぞただのエゴかもしれない。

でもそこにとてつもないパワーをもった燃料がある。
住まいにできる材料がある。

わざわざ異国の燃料や材を海を渡って使わなくてもいいんじゃないのかなって思うのです。


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