国宝になれない飛鳥大仏


日本書紀には「始作法興寺此地名飛鳥真神亦名飛鳥苫田」とある。
飛鳥大仏が鎮座する法興寺(飛鳥寺安居院)のことだ。

大口の真神原にふる雪はいたくなふりそ家もあらなくに

と万葉集に採られたのは舎人娘子(とねりのいらつめ)で、この辺りの土地とされ、「飛鳥真神原」とも呼ばれていた。

大口の真神はニホンオオカミのことで、狼が当たり前のようにうろついていた原野と考えてよい。

その反面で、作者未詳ながら次のような穏やかな歌もある。

明日香川七瀬のよどに住む鳥もこころあれこそ波たてざらめ

そんなエリアが飛鳥時代の中心地であり、推古女帝は法興寺建立以前には、すでに豊浦宮や小墾田宮に皇居を置いている。

推古十四年(606)四月八日、「是日也丈六銅像坐元興寺金堂」との記載は有名で、司馬鞍部首(しばくらつくりべのおび)止利仏師が機転を利かせ、金堂の扉を壊さずに仏像(如来像)を金堂に収めた伝説は、おそらく誰もが耳にした話だろう。

飛鳥大仏の呼称で知られているが、正式には「安居院銅造丈六釈迦如来坐像」という。
座高275センチの、日本最古の仏像ということになっている。

止利仏師の名も有名で、義務教育で習った。
法隆寺の釈迦三尊像同様、杏仁形の眼の類似が主な特徴であり、長袖の意匠などは大陸の様式を色濃く残している。

法隆寺の三尊が国宝なのに対し、こちらは日本最古の仏像であるにも関わらず、かろうじて国の重要文化財に甘んじている。

戦乱や火災などで大破し、補修もずいぶん乱暴なものだった。
決定的だったのは鎌倉時代初期の1196年の雷火で堂宇のほとんどが消失したことで、本尊も大部分が熔け落ちた。

現在、原形を保っているのは、わずかに眼の辺りと右手の中央の指三本だけとのこと。
また室町時代中期には、大胆にも仏像の背後からふいごで風を送り、銅を溶かして盗み出された記録もある。

受難はまだまだ続く。
応急処置というにはあまりにも稚拙な、端材での補強や、漆喰と墨で形をそれらしく整えたりと、補修とは程遠い手当てによって、創建当時の姿から乖離していった。

本来、超弩級であるべき国宝が、重文のままであるのは、わずかな断片の残存のみによるものである。
どれほど法隆寺の釈迦三尊像に類似していようと、本来の姿が不明なので、現代の我々は当時の面影を想像するしか手立てがない。

室町時代中期以降は、直接藁で覆って雨露を凌ぐ露仏の状態が続いていた。
現在の本堂が再建されたのは文政九年(1826)で、大阪在住の篤志家によって復興された。

また日本書紀に戻るが、

西蕃の献(たてまつ)れる仏の相貌端厳全(もはや)未だ看ず

の賛辞によって、馬子、推古帝、厩戸などの蘇我一族がどれほど感激し、有難く思ったかが窺い知れる。

蘇我氏の系譜をたどると、始祖は孝元天皇で、四代後に武内宿禰、石川宿禰、満智、韓子、高麗、稲目、馬子、蝦夷、入鹿と続く。

孝元天皇(当時、まだ天皇という称号はなかった)は欠史八代の一人で、武内宿禰も、景行、成務、仲哀、応神、仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたというギネス級の超長寿で、どちらも伝説上の人物である。

それでも満智、韓子、高麗などの字面だけ見ても、半島からの渡来系一族だったと推測でき、仏師の止利も父は帰化人の多須奈(たすな)、祖父は大陸からやって来た達等(たつと)である。
止利は鞍部で、加治部と共に金属加工や武器製造などに携わる軍事集団でもあった。

他にも渡来人は重用されており、画部(えかきべ)、錦部(にしごりべ)、衣縫部(きぬいべ)などの一族が、漢氏の勢力下に組み込まれ、軍事だけでなく、政治や土木事業などにも深く関わっていた。
梅原猛さん謂うところのテクノクラート集団である。

かつて、隆盛を極めた寺域は、回廊の内側だけに限定しても法隆寺の3倍以上の広大なものだった。
ここが大和政権の中枢の地とは思えないほどに現在は穏やかな場所だ。

どこにでもありそうな飛鳥の里も様々な法規制に縛られ、これ以上の開発は不可能だが、それだけにいつ訪れても何の違和感もなく、この土地の風や空気にしっくり馴染む感覚がある。

たまに訪れる余所者がそう感じるのだから、飛鳥(明日香)を故郷と思う人には懐かしすぎる土地だろう。

また万葉集からの引用だが、大伴旅人の異母妹、大伴坂上郎女の歌を載せる。

故郷の飛鳥はあれどあおによし平城(なら)の明日香を見らくし好しも

奈良市の現在の高畑町辺りから、大和三山を遠望して詠んだ歌らしい。
高畑町といえば新薬師寺、しかし坂上郎女の生没年が不明なので、時代の整合性は不明。

それでも南都から旧都を思う心情が、澄んだ秋空を渡る鐘の音のように、新旧の都に響き合って、清々しい余韻を残してくれる。

丈六仏も、これから数百年も経てば国宝に指定される。

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