見出し画像

エッセイ|第29話 赤い橋の上に残されたままの記憶

クエンカへはマドリッドから電車で出かけた。ユネスコにも登録されている美しい古都。宙吊りの家と呼ばれるスペイン抽象画美術館や大聖堂を中心とする城壁に囲まれた旧市街と見所が満載だが、今日は美術館を見るならの名物スポットからの「思い出」。

クエンカは周囲をフカル川とウエカル川に削られた崖上の街。まさに陸の孤島。そしてウエカル川に架かるサン・パブロ橋によって、もう一つの孤島とも呼べるような別の崖上とつながっている。

そこにあるのは元修道院のパラドール、いつか泊まりたいと思っている場所の一つだ。それはさておき、この二つの孤島の間に架かる橋からの眺めに観光客はため息を連発する。建物が絶壁にくっついているようにしか見えない! まさに宙吊りの家。

そしてこの橋が曲者だ。高所恐怖症の人には到底渡れるものではない。元々は16世紀の石作り。それが壊れた後、1900年代になって再構築された。赤い鉄製。高さ60メートル幅1メートルほど。歩くたびに大きく揺れる。スリル満点だ。しかし……。

私は手元の写真を見つめる。赤い橋の欄干に絡まる深い紫色の実がなる植物。これは旧市街側。気に入ったのだろう、何枚も撮っている。それからパラドールの駐車場から美術館をバックにしたポートレート。もちろんそこから見える旧市街も。

けれど不思議なことに橋をわたったかどうか覚えていない。パラドール側にいるのなら行ったり来たりしたはずだ。それなのに……。ちなみに私は高所恐怖症ではない。むしろ全然怖くない派だ。それなのに……。

私はもう一度手元の写真を見つめる。旅行用に、奮発して買ったゴルチエのサングラをかけてご満悦の私。パラドールを見つめて嬉しそうに笑っている私。眩しい昼の光の中の、橋と私。

クエンカ初日、記録はまだまだ続く。その後歩いた路地も見た花も覚えているのに、橋での時間だけがすっぽりと抜け落ちている。橋の上で私は一体何を思ったのだろう。

中世の面影残る街でのミステリー、書いてみようかと思う今日この頃。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?