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エッセイ|第30話 遥かなる青の都と輝く葡萄

確か小学校の低学年だったように思う。世界地図や歴史や統計などが詰め込まれた資料集を、授業中に膝の上で密かにめくるのが好きだった。

そして見つけた。『サマルカンド!』それは強烈な何かだった。脳内に、いや体内にその音が響き渡った。どこの国の何かなんか見てもいなかった。ただただサマルカンド。狂おしいまでに魅惑的な響きだった。

なぜだろう。わからない。けれどここだと思った。サマルカンドと音になった瞬間、この街に行こうと思ってしまったのだ。

それから一息置いて、続く説明文を丁寧に読んだ。気候とか地形とか歴史とか。けれど残ったものは”葡萄”だった。葡萄……、私の中に綺麗な紫と緑が現れて、キラキラと輝く瞳の誰かがそれを手渡してきたのだ。サマルカンドに行って葡萄を食べなくてはと胸が騒いだ。

サマルカンドと言えばの”青の回廊”に出合ったのは、それからずっと後だ。エキゾチックな建造物が夢に拍車をかけた。まるでおとぎ話の世界。しかしその時、のちに自分がイスラム文化を専攻するなんて考えもしなかった。

モサラベ様式やムデハル様式に傾倒した大学時代も、ヨーロッパへの情熱とは別に、私の胸に灯し続けられたサマルカンドへの憧れ。小さいながらもその火が消えることはなかった。

そして、いつかいつかと思っていたら思わぬ誘いがやってきた。大人になってからの友人が、ご主人の仕事でウズベキスタンに3年間滞在することになり、来るなら今だと言われたのだ。

ちょうど取り組んでいた小説内で、シャーヒズィンダ廟群をさまよい歩くシーンに突入した時。臨場感を求めて行き詰まり、これはもう実際に見るしかないと思っていた矢先だった。

友人が現地にいるなんて、これほどのチャンスはないだろう。なのになのに。学生時代みたいにはいかないものだ。じりじりと焦るばかりの3年間は気がつけば終わってしまっていた……。あまりに残念すぎた。

けれどまた機会は来るだろうと訳もなく思うのだ。必ず行く。青の中をさまよい歩く。そして木陰で葡萄を頬ばれば、きっと緑と紫の光が降り注ぐだろう。その瞬間、予想もしなかった次の扉が鮮やかに開かれるのでは。そう思わずにはいられない。

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