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ショート小説『玄関』

もしも彼は家には玄関がなかった。
それか、もしも玄関が、「家の入口」という定義だったとしたら、玄関はあったけど、玄関と部屋の境目がなかった。

ふつう、ワンルームでも段差くらいあってもいいじゃない?
けれど彼の家は、扉を開けると間髪入れずにフローリングがお出迎えしてくれる構造になっていた。

仕方がないので、お風呂マットを引いて、玄関代わりにしていた。
それも、ちょっとふっくらしたお風呂マットだったので、
家の内側の方が低くて、外側の方が高かった。

もしも彼の家に入口が無かったら、と考えてみる。

ひとたび扉を開けても、
「ごめん、明日仕事だから、今日は帰らなきゃ」とか、
「今日はありがとう。また来るね」とか、
「やっぱり今日は帰りたくないな」とか。
そういう日々を過ごして、少しずつ彼の家に入っていくことができたのかもしれない。

それとか、

せめて、家の内側の方が高ければ、

「お邪魔します」とか、
「綺麗にしているんだねえ」とか、
「また掃除しに来てあげるよ」とか。
そうやって優しい心遣いを持って、少しずつ大切なものを共有できたのかもしれない。

それに、

分別ある女が来た時には、
靴を脱いで、一段上ろうとする間にも、

「あれ、なんかおかしいな」とか、
「もしかして、嘘ついてる?」とか、
「ごめん、やっぱり私帰る」とか。
そうやって、部屋の中を見渡して、帰って行ってくれたかもしれない。


そうやって私は、
玄関の間取りに詳しくなったからこそ、
玄関ホールにゴルフボールを置いているタイプの男と結婚することができたのだと、今になって思う。
(完)

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