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東日本大震災から13年、飴細工を作るということ

飴細工ちょきちょきぱっちんでございます。

今年に入って早々に能登半島地震が起きたりだとか、小さくはあるものの地震が続いていたりだとか、安心できぬ日々が続いておりますがみなさま気苦労ございませんか??

2011.3.11東日本大震災は私が実際に経験した中で1番のとんでも出来事です。
今日ではや13年、震災から時間が経って思うことを書いてみますね。

まず第一に飴細工を作っていられることは素晴らしく穏やかなことであるとひしひしと思われます。
震災、戦争など非常時に出張などで居合わせたとき、生活必需品でない飴細工はどのような立場になるのだろう?と近ごろ考えるのです。
飴そのものは水飴とお砂糖でできていますからエネルギー源になりますね。
ではその飴を細工する意義とはなんだろ?
心のゆとりのないときに、実演をご覧いただいてもそれって楽しめたものでしょうか。
それとも非常事態だからこそ一瞬でも忘れられるような素敵なものとして受け入れてくださるのでしょうか。
こんなに可愛かったら食べられないよ!と仰る方も食べずにはいられなくなるのでしょうか。
はたまた飴は忘れられて悲しくも人知れず溶けていくのでしょうか。

答えはね、まだまだわかりませんが!
江戸時代からあるとされる日本伝統のこの飴細工が今でも続いているということは結構大事なんじゃないと思うわけなのです。
さまざまな出来事を経て、非常時そのときには楽しめなくても、そののちまた見たい欲しいと思ってくださる方がいる(いた)からまだ飴細工は残っていて私もお仕事できているわけですもんね。
ただの砂糖や水飴や飴の塊ではなく"わざわざ"細工を施した飴を良いと感じられる豊かさを持ち続けられるように過ごしたい所存です。

なんか、こういうことをぽっと言葉にしてみたくてこのnoteも始めたのかもしれないかも。
これがこのころ私が思っていることです。

飴細工の実演をご注文くださったり、手に取ってくれた方の一瞬が、後から思い出した時でもいいんだけどふんわりまろやかあまい味として残るといいなっていつでも思ってます!

ではまた。

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