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【ストロベリー狂詩曲】23

 教科書サイズの本が入った小道具のスクールバッグを左手に提げ、右手には発売予定を来月に控えたエイユーのスマホ。本物のコンパクトデジタルカメラに負けない、カメラ機能に特化したメーカーの名前が入っていて、インスタ映えを狙う人には嬉しい夏モデル。大人女子が好みそうなフェミニンカラーのミントグリーンが目を引く。
 私は四角いレンズが付いた撮影用のカメラと睨めっこ。他者の目を遮断して集中力を高め、スマホを耳に当てて監督の気合いが入った声とカチンコを合図に会いたい人の名前を頭の中でなぞり、表情を甘く溶かす。

「…………やっと電話、かけてくれた。」

 じらされた分、想いの熱量が膨らんだ声。恋人になっても電話をかけてこない恥ずかしがり屋の男子高生から初めて貰う着信に、相手の女子高生が喜びを胸に返事をするシーン。
 彼は学校の下駄箱で靴を履き替え、彼女に今何処に居るのかを尋ねる。
 彼女こと私は、雨風に打たれて年季がそこそこ入った、錆びが所々にあるバス停のポールへと振り向く。

「毎日、君と降りているバス停」

 彼は絶対に「待っていて、今すぐ走って会いに行く」と言い、私は

「うん、わかった。待ってるね」

 と、承諾。
 私は耳からスマホを離して画面を消す振りをしたらスカートのポケットに戻し入れ、スクールバッグを提げる手は両手に持ち替えて膝頭に置き、彼が懸命に走って会いに来るのを心待ちにする。
 姿がまだ見えないことは承知の上で学校がある方向へと三歩進み、左足の爪先を立たせてカメラの向こう側を覗き込むように、右、左の順に顔と体を動かし、早く会いたい気持ちを表現。

「ーーカット!OK。別バージョンもやってみようか」

 スマホをポケットに戻し入れるまでは動作が同じ。次は監督の指示通り両手を背後に回してスクールバッグを提げ、踵を上下させて彼に会える喜びを表現。初恋らしく柔らかめに微笑む。

「OK!凄く良かったよ。さらに良くするための微調整をしようか」

 満足げに笑みを浮かべる監督と話をして撮影し直す。それが終わると

「じゃあ、次は寺田くんの番だ。水無月さんは、呼ばれるまで待機。彼が座ってる椅子を使って」

 男性スタッフに呼ばれて此方に向かう寺田総司と目を合わすことなく控え用のパイプ椅子へ移動。座ったら、残っていた温もりがお尻に伝わった。気が合わない人間の温度が移ると変に気持ち悪く感じるのは一種の偏見だろうか。
 寺田総司は小道具のリュックを肩に掛けて、台本を開けた監督と打ち合わせ。数分後、二人は納得し合った様子で分かれ、撮影前に寺田総司はスタッフの邪魔にならない場所へと歩き、立ち止まるとその場で深呼吸して簡単にストレッチを行い、約三十メートルを全力疾走。息を切らして両膝に手を着き、背筋を丸める。
 エイユーがテレビとネットに流すCMの放送時間量は十五秒、三十秒、一分の三種類。実際に俳優が走る距離は短かめ。如何に長い距離を走ってきたか表現しなくてはいけない。
 前準備を済ませた寺田総司が指定の位置に着いて走り出すや否やカチンコの音が鳴る。彼は速度を段々落とし、くたくたに疲れて前屈みになり、両膝に手を着いて息を整え、二秒で顔を上げて背筋を伸ばす。

「……追い、……付いた……っ。」

 気が緩んだ王子のあどけない微笑み。

「カット!OK。水無月さん、入って」

 監督のお呼びを受けて私は寺田総司の前に、六歩分の距離を開けて立つ。

「カメラは回さない。まずは彼の提案を試して僕が考えた初期の案と比較し、内容が気に入れば採用する。水無月さんは最初の台詞を台本通り言ってくれ」

 監督が口頭で三、二、一、とカウントダウンしながら、カチンコの代わりに指折りを使う。
 私は無言のゼロを合図に「会いたいなんて、急にどうしたの?」と、繕った笑みで寺田総司を迎える。彼はたったの二歩で距離を詰め、私の体を抱き締めた。纏わりつく汗ばむ匂い、運動したてで熱さが増している体温。通常は此処でキスシーンへと移る予定だ。
 しかし、体はスッと離され

「賭けたんだ。僕を置き去りにして、先に帰らないかを」

(この台詞は……)

 台本に書かれていない。彼女を試した行為を悔やんでくしゃりと歪めた、儚げな笑みを向けられる。
 監督は側で注視を続け、寺田総司は固まっている私の両手に触れると自分の頬へと当てて答えを待つ。

(アドリブを要求されている?)

 どれが正解で不正解か、迫られた一瞬の判断。

「陽が落ちても待ってる自信、あるよ?」

 置いて行かれる不安を拭うように返す。
 寺田総司は目を細めた。

「その余裕が羨ましいよ。僕は君を好き過ぎて、死にかけてるのにね」

 最後の台詞は恨み言に聞こえ、私は表情から色を失う。

「……、カット」

 監督の声を区切りに視線は逸らされ、掴まれていた両手が解放される。

「水無月さん、上手に機転を利かせてくれたね。合格」
「有難うございます」
「寺田くんは『その余裕が羨ましいよ』の後に続く台詞、収録して挿入したほうがスッキリする」
「わかりました」
「CMの最後を飾るには、寺田くんの提案通り『僕は君を』の”ぼ”が口から出る前に、水無月さんがキスで遮断するのがいいと思う。と言っても、振りでいいよ」

「具体例としてはね」、と監督は言いながら、寺田総司の顔を両手で掴み、お手本を見せる。

「両手を半分ずらして口元を覆い隠し、顔を引き寄せながら段々目を閉じて……。で、行こう。練習するなら時間作るよ?」

 私は実際にやらなくていいとの指示を受け、撮影が終わったら桜馬先生にどう弁解しようか気が重くなった。

「その前に!君たち、恋人設定にしちゃぎこちないな。訳あり感がビンビン伝わる。青臭さに欠けてるよ」
「「………………」」
「あっちに自販機見えるでしょ?二人でジュース買いに行って、道中話を弾ませ、親睦を深めてきなさい」

 微妙な空気を察した監督はロケバスに戻り、丸い形がレトロな、蜻蛉柄のガマ口財布から小銭を取り出し、お小遣いと称して二百円ずつ手渡し、「ほら、早く行った行った」とせっついた。


(続く)

*補足)
普段は小説の上部が『ぱくたそフリー』様の写真素材ですが、今回は気まぐれで私が描いたイラストにしました。

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