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コンサルタントになった理由

最近自分のキャリアを人にお話する機会があって、その中で発した自分の言葉に後からしみじみしているものがありました。久しぶりのnoteはそれについて書きたいと思います。

コンサルタントになるまで

私は今コンサルタントとして働いています。

世間一般にはコンサルってよくわからない、何してるの? ほんとにお客さんより専門的な知識あるの? それってなんぞや?

というイメージがあるのではないでしょうか。まさにその指摘はごもっともだとコンサル業界に入った今も思っていて、専門コンサルではない限り、相当無理な案件でなければ(エンジニアがいないのに開発案件持ってくるとか)総合ファームを標榜しているコンサルティング会社はあまり案件を断らないと思います。

「昔はみんな子供だった」というように、コンサルタントは無理でもゼロから超スピードで習得して、やりきります。いくら頭良くても素人かよ・・・と思うかもしれないですが、コンサルタントとしてのプライド、みたいなものってここにあって、どんなに難しくても地頭の良さと理解力、論理的思考能力でどんなものでも瞬時に把握して、それを目の前の事象に(時には応用して)展開していく、みたいなことができるかどうか、そしてそれをやり切れるかどうか、みたいなことがコンサルタントとしてやっていることなのではないかと思います。キャッチアップ力と実行力、完遂力がコンサルタント、という定義が曖昧な職業の本質なんだと思います。つまるところ、超頭いい、超体力ある人、であればコンサルタントに誰でもなれるのだと思います。

コンサルタントになった理由に入る前に、私のキャリアをお話します。

私がキャリア、仕事について考え始めたきっかけになった期間、とすると、大学生のインターン時代も含める必要があります。

ベンチャーでインターンをはじめ(当時は事務系、開発系の仕事がインターンと呼ばれていなくもなかった)、ライター・エディターのインターンをさせてもらう機会がありました。当時ベンチャーやスタートアップに興味を持っていた私は、生涯その界隈にいるんだろうな、いたいな、と思い始めていた時でした。大学時代はベンチャー関連の会社(日本語おかしいけれど)5社でインターンを経験しました。

そして就活時期を迎えることになります。その時考えたのはベンチャー、スタートアップ界隈を盛り上げないことにはここで稼いでいくことはできない。じゃあ盛り上げるためには3つ役割があって、自分はどこでやっていけるだろうか? ということでした。その3つは、

1. 事業を作る人
2. お金を出す人
3. そうした活動を広める人

と定義しました。

1はいわずもがな、自ら起業したり、ベンチャー企業に入ってゴリゴリイケてるサービスを作っていく人ですね。しかしこれは自分は飽き性なので1つの会社の中でずっとサービス作り続けるのは難しそうだなと思ったので、優先度下げました。メガベンチャーみたいに事業部がたくさんあるところも良かったかもしれませんが、なんとなく、断念。

2はベンチャーキャピタル。キャピタリストになればイケてるサービスを1つだけじゃなくてもっともっと応援できて、ハンズオンで育てることもできる。これはいいのではと思いました。が、自分は金融知識もないし、商売経験もないし、何より当時ベンチャーキャピタルでリサーチのインターンもしていたのですがお金のことを言われてもあんまりピンとこなかったんです。PLとかBSとか、読めないことはなかったけれども、それがどうしてこれだけのお金を生むのかが理解できなかったので、もう少し先の未来でもいいのかも、と思いました。

3. これがメディアですね。当時はまだベンチャー、スタートアップは日本の中でマイナーなマーケットだったと思います。総投資額も小さいし投資先もなかった。認知度もそれほど高くなく、「界隈」と言われるくらい渋谷に業界全体が集中しているような時でした。これも結局断念したわけですが、それもやはり取材同行させてもらって、サービスの凄さがよく分からなかったからに尽きます。フィンテックもちょうど出てきたときで、そういった伝統産業の業界構造を知っているからこそより面白さ、凄さが分かるのに、それが分からないのはどうしようもなく、これももっと社会を知ってからのほうが取材先にとってもいいんだろうなと思い、断念。

1社目、営業???

3つ全部の選択肢が就活時には潰れてしまったわけですが、その時私がとったのは大企業に入る、ということでした。ベンチャー、スタートアップしか知らない人がそれを広めようとしても日本でマジョリティーは新卒一括採用で終身雇用で作られている大企業はじめとした企業だと思い、まずはそれを一度経験してみようと考えました。そして入ったのが大手人材会社でした。そこで私は初めての新卒配属となる、官公庁系ビジネス、エネルギービジネス向けのBPO営業をすることになりました。

結論から言うと、1年半で会社を辞めることになります。

大手人材会社の営業ポジションというと、ひたすらテレアポして訪問しまくる、みたいなことをやっていると思われがちですが私の場合、営業がほぼ一人しかしなかったのと、コネのない会社が官公庁、エネルギービジネスに突っ込んでいくなんて案件は少ないし、そもそもその業態の新規営業先、かつ本社が東京にある会社、というのは数が非常に限られていて、結果マーケティングの設計からLTVどうやったら高められるか、ということまで新卒1年目から考えざるを得ない環境に放り込まれました。メディアへの寄稿提案をしたり、メルマ、テレアポの戦略考えたり、ターゲティングの設定したり、既存顧客へのコミュニケーション設計したり、していました。

確かに私の伝える力が高くなかったのはありますが、それでも

マーケティング? は? そんなのどうでもいいから早く案件持ってこいよ

と言われるのがオチでした。営業が強い会社だったので、いわゆる「Aヨミ」とか、お客さんと何回会ったか、名刺何枚獲得したか、みたいな分かりやすい数字しかKPIがなかったんですね。少なくとも私の担当のお客様はLTVは向上していて結果は出ていました。しかし明らかに非効率なやり方を変えるという選択肢はなさそうだったので、退職をすることにしました。

2社目:広報屋さん

2社目では、広報のコンサルタントになりました。7社くらいお客様を担当させていただきました。しかしここも結果から言うと1年で退職することになります。

広報するということは、広報するいいサービス、事業があって、初めて広報活動が成立します。代理店ということもあって、広報コンサルタントはなかなか事業側に話をしにいくことができません。かつ、広報ポジションは作ったものを変に利用したりして、とか、ただ発信してくれればいいんだ、認知度・ブランド力よりも案件引っ張ってこい、みたいな理解をされていて、広報と事業と両輪でやっていくということが難しそうだということが分かったからです。

1社目も2社目も、私は営業か広報コンサルタント、という職種名ではありましたが、営業しながらマーコムと言われることもやっていたし、インサイドセールスもやっていたし、PMOもやっていました。拒否されることがあるとすると、ポジション、役職がお客さんや社内からのイメージが強いのだなと思いました。

やっと3社目:コンサルタント

ということで3社目、コンサルティング会社に転職しました。今度は自分の専門領域を育てないといけない、というミッションに追われていますが、今のところコンサルタントと言うとユーザー、お客様からは受け入れやすいというのが感想です。これまでの課題感からいうと、今回の転職は成功したと言えます。


つまるところ何がしたいのか

社会人3年目で3社目。自分でもちょっと転職しすぎだなと思っていますが・・・それでもやりたいことがあります。私がやりたいのは、シンプルにいうとお客さんと各ステークホルダーとのお悩みを改善する、ということなのだなと思っています。それができるなら、お客さんから別にどういう職種の人だと思われてもあまり関係ないですね。問題なのは抱えている課題のほうです。

多すぎるかもしれない転職で得たこともあります。就活当初はなんでも屋さんでいいと思っていましたが決してそうではなく、課題はコミュニケーションやタッチポイントにあると、自分の考えを持てることが今はできるようになりました。より具体的に課題の解決方法を描けるようになってきています。

そしてきたる4月、今の会社には広報機能がないので、立ち上げましょう、と言い続けてきた結果コーポレートのブランディングを担当することになりました。広報と事業とを両輪として伸ばしていける人になれるか、自分にとっては意味のあるチャレンジをすることになります。

このチャレンジで、さらに解像度を上げたり、課題解決の方法を描けたり、見える世界が変わったり、描ける未来が変わったり、できるといいなと思っています。


長くなりましたが今日はコンサルタントになるまでの変遷をお伝えしました。




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