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落ち込むことは、才能である

基本的にどの方向に目を向けても、人と自分を比べては凹む性格である。

例えばSNS上の見知らぬ同業者が、自分と似たような形態、似たような表現方法でうまく行っているように見えればそれだけで凹むし

はたまたまったくの異業種の人であっても、ビジネス的に上手にやっているように見えたり、理想的な働き方をしているように見える人がいれば凹み

もちろん身近な人でも、個性あふれる才能を活かして生きている友人がわんさかいて、その度に「すごいなぁ。わたしなんて…」が始まる。

もちろん仕事のことだけでなく、上手に子育てしているように見える人、いつもオシャレで何を選ぶにもセンスのある人、ちょっと声をかければ人が集まる人、いつもゆったり落ち着いて、自分の「好き」を追求している人などなど、例をあげればキリがないほどだ。

ただ手放しに「素晴らしい」「感動した」と思って、吸収できるところは吸収して、「でも人は人、自分は自分だから♪」と思えたら、どれだけいいだろう。

「比べることは意味がない」「比べなくてもいいんだよ」という言葉を何度も聞いたことがあるけれど、その言葉がわたしの助けになったことは一度もない。

けれどこれはもうむしろ、わたしの才能であるとしか言いようがないのかもしれない。

凹むということは、そこに自分の可能性のタネがある証拠だ。

たとえ1ミリでも「それが自分にもできる可能性」があるからこそ、それを他の誰かが実現している状態を目の前で見せられると焦る。

「なんでわたしがやっているハズのそれを、あなたが先にやってるの?」と心が叫ぶ。それはもしかしたら、とても自然な心の動きなのかもしれない。

わたしたちは、それが自分だったかもしれない誰かの幸せを見ると、まるで自分のパイを取られたかのように感じて、怖くなってしまう。

落ち込むことは才能だ。

あなたが落ち込んでいる原因になっているそれを、あなたが実現できる可能性がなければ、落ち込むことさえないのだから。

あなたが持っているその感受性は、深ければ深いほどに、美しい花を咲かせるチカラも持っている。

「比べなくてもいいんだよ」とムリに蓋をするのではなく、それを「そう感じてしまうのはなぜなのか?」「わたしの本当の望みは何なのか?」と、自らの内側を観るチャンスと捉えればいいのではないかとわたしは思う。

そうして自分の答えが見えたなら、ただそれをやるだけだ。

Another person’s happiness doesn't mean the absence of your own.

誰かの幸せが、あなたの幸せを奪ってしまうことはぜったいにない。あなたの幸せが、誰かの幸せを奪ってしまうこともぜったいにない。

だからあなたはあなたの幸せを、誰にも遠慮することなく存分に感じて生きていけばいいのだよ。


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*𝔽𝕖𝕞𝕚ℝ𝕚𝕤𝕞*古川明美『社会に求められるわたし』ではなく、『わたしがありたいわたし』として生きながらも【わたしらしい美しさに目覚める】ためのコンテンツを配信。✦ダンスインストラクター

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