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第2章 中央アジアの米について

〜都市部でのプロフのカタチ〜

アルマトイなどの大都市では、プロフやラグマン(トマトベースの、主に羊の肉が使われているシルクロードのうどん)の専門店があるが、メニューは多種多様であり、様々な趣向が凝らされている。
例えばカザフスタンには “ルミ” という、カザフ人がオーナーの、アルマトイ発のプロフを出すチェーン店がある。
ここでは、プロフに少しずつアレンジが加えられている。
写真を見る限りでは米や全体的な雰囲気が、中央アジアのプロフというよりはインドのビリヤニを彷彿とさせる様な、限りなくパラパラの状態に調理されており、それに様々な具が乗っている豪華版である。
なぜビリヤニに似ていると思ったかと言うと、米の色が2色になっていたからだ。
ビリヤニは、米とカレー(具材)の部分を別々に調理し、それを最後に1つの鍋にミルフィーユの様に重ねてから蒸し焼きにする事で、米が白と黄色っぽく着色された部分との2色になる様に意図して作られる。
そのパラパラに蒸しあがった米を、軽く宙に振り撒く様にしながら、ふんわりエアリーに盛り付ける事で自然に2色の米が混ざり、見た目も豪華に仕上がるという訳だ。
しかし、伝統的なタイプの中央アジアのプロフの製法では、初めから米と具材を1つの大きな鍋で炊き込む為、構造的にビリヤニの様なミルフィーユ状にはならない。
全ての具材を入れ終わり最後に米を、鍋の一番上にならした段階で人参から出た鮮やかな、黄色ともオレンジ色ともつかない色が水分や油と共に、四方から米にも浸透する様になっているからである。

うまく言えないがこれらを見た時、軽い衝撃を受けた。
今まで見て来た、キルギスの各家庭やウズベク人達が家庭料理として作っていたプロフ、そしてキルギスやカザフスタンの庶民的な食堂で出されるものとは一風変わっていたからだ。
そんな事からも、ルミのプロフはどこか外国の香りが漂っている様に感じられた。
オシャレ感を出す為に、もしかしたらドライフルーツも、普段中央アジアのプロフにはあまり入らない種類のものが入っているかもしれない。
確かに、これもプロフである事に変わりはない。
しかし伝統的というよりは何となく都市の中で少しずつ変容したプロフ、という感じがする。
これを、“洗練されている” と言うことも出来るかもしれない。
又は、小綺麗に着飾った、よそ行きのプロフと言う事も出来そうだ。
都市文化というものはいつでもこんな風にして物事の形を少しずつ変えながら、新しい価値を付与し、変容させていくものなのだと改めて意識した瞬間だった。
日本にも、そんな風にして時代と共に少しずつ変わっていった伝統文化が多く存在するはずだ。

話を “ルミ” に戻す。
ここで特筆すべきところは、メニューの中に米の種類の指定があった事である。
“ラザル” と書かれたものが何であるかカザフ人に尋ねたところ、ウズベキスタンはホレズム地方の、プロフによく合う米の種類の1つであると言う。
具が何であるか、の他に1つの米の種類がメニューに触れられている事は実に興味深い。
このラザルを使うと、よっぽど美味しいプロフが出来るのであろう。
選べる者の特権である。
リンクはこちら。
↓プロフの他にも、色々なメニューを見る事が出来る。
http://plov.kz/catalog/plov


〜中央アジアの米について〜

米の話が出たので、中央アジアの米について書いてみる。
結果から言うと、中央アジア、特にウズベキスタンは驚くべき米の聖地のような、多彩な米に囲まれた土地だった。
今私たち日本人が “米の品種の違い” と言われて一般的に思い浮かぶのは、うるち米ともち米くらいであろうか。
あるいは、 “あきたこまち” 最近だと “つや姫” “ゆめぴりか” などがすぐに品種として思い浮かぶが、これらは全て “白米” のカテゴリーなのである。
例えば 食堂で、 “あきたこまち使用” などとメニューに書かれているのを目にする事があるが、あきたこまちであろうとコシヒカリであろうと、私を含めた素人には細かい違いは分からない。
この一文から汲み取れるのは、おそらく “美味しいお米を使っています” という事を言いたいのだろうという店側のアピール位ではなかろうか。
一方中央アジアでは、日本では手に入りにくい、又は手に入ったとしても珍しくて高価な黒米や赤米などの古代米が、バザールで普通に売られているのだと言うから、すごい。
ウズベキスタンの米のサイトを見てみると、ざっと6種類の米が載っていた。
↓リンクはこちら
https://vos-bazar.ru/katalog-produkcii/album/1510221

ざっと列挙すると、以下の様になる。

Дерзила(depzira/デプズィラ)
Чунгара(chungara/チュンガラ)
Дастар-сарык(dastar-sareuk/ダスタル・サルック)
Кора-колтак(kora-koltak/コラ・コルタック)
Лазар(lazar/ラザル)
Аланга(alanga/アランガ)

写真から判断すると、まず色素面で写真から判る形態的な事としては、ラザルとアランガが白米。
コラ・コルタックは、Кора-(コラ=ウズベク語で黒、の意。ちなみにキルギス語とカザフ語では、кара…カラ となる) という名前と、文章の説明と、写真から判断して黒米。
それ以外が赤米に近い。
粒の長さではラザルが長粒種、
ダスタル・サルックが中~短粒種、
それ以外が短粒種の様だ。
説明文には、品種によって含まれるでんぷん質の量の違い、水や油の吸収率の違い、などについて触れられている。
上記のほかに、それぞれ主に作っている地域の違いもある様だ。
ちなみにキルギスには、ウズゲン米という有名な赤米がある。
炊き上がると、赤い色はさほど残っていないが、縦に一筋赤い線が浮き出るのが特徴だ。

そもそも、米の品種の違いとは一般的に、何を指すのか?と考えた時に、日本の様に同じ様な白米にも、上に挙げた中央アジアの、それぞれ全く異なる外見のものの間にも明確な差はなく、それらは同じ様に “品種の違い” として処理されると聞いて、意外な感じがして驚いた。

下は、北海道大学農学部出身の知人からの答えである。
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「いわゆる稲の品種の違いとは、“米粒にしたときにどうか” だけではなく、苗を育てて植えてから収穫するまでの色々な性質、例えば寒さ、乾燥、土壌の塩分、病害に対してなどの強弱、根から吸収する水、窒素、リン、カリウムの要求量、実を付けた時の重量で茎が折れて倒れてしまわないかどうかなどなど...によって分かれています。
品種の違いにより、種を発芽させたときから刈り取るまでの間にどのような気候や土壌が適しているか、
収穫のしやすさ、米粒の色や形、精米しやすさ、デンプンなど、色々な成分の割合、食味などに影響します。」


〜なぜプロフは特別なのか?〜

先週の記事で、中央アジア北部は一面肉・乳製品・小麦で溢れる食文化の中にあり、プロフを除いては米の料理の数や頻度が少ない事を書いた。
それもあって、米はほぼプロフの為だけに存在しているのではないかと思えるほど、中央アジア北部においてプロフだけが群を抜いて目立ち、たくさんの人々に愛されている。
他にも米を使った料理は、先日列挙した他にも探せばいくつかあるのかもしれないが、一般的に挙げた限りでは、ほとんどプロフに匹敵する様な料理は他に1つもなく、プロフだけが燦然と輝き、その地位を欲しいままにしている事が不思議でもあり、また当然の様にも思える。

結論から言うと
“プロフなしの中央アジア料理なんてありえない!”
というのは事実だと言えそうだ。
しかしそれが単にプロフを日常的によく食べるという理由の他に、社会的要因…人が多く集まるめでたい席でダイナミックに振舞われるお祝いの料理だから、という理由もプロフの発展の大きな一因になったであろう。
中央アジアは、プロフの基本的な材料である肉、米、人参や玉ねぎなどの野菜が多く採れる地域であった事、またどれも日持ちが良く、遊牧民にも簡単に用意出来る食材であった事など、それらはプロフが広まる理由に一役買っていたのではないか。
それに加え、上に挙げた様な社会的事情に迎合する好条件が幾つも重なり、それぞれの時代に合わせた文化形態に沿う様にして、時とところにより様々な文化が連続し、交錯しながら定着して来た。

物事を、地域や国別に線引きするのが難しい、グラデーション地帯だからだ。
シルクロードとはそんな地域である。
イスラム文化の受容とも大きな関わりがあったかもしれない。
プロフはそんな中で、シルクロード特有の発展の結果を見せてきた。
プロフがここまで広まった背景には、上に挙げた様な社会的事情が大きく絡み、ハレの日の料理として振る舞われていたものが人々に愛される事により、日常の家庭料理としても浸透し、定着した。
プロフは主に男性によって作られる点も、他の料理には見ない特徴的な点である。
しかし、それらの中でも一番大きな理由がある。
それは、
“プロフがとってもおいしい!!”
という事。
美味しくないものは、広まらない。
そして、日常に根付く事もない。
プロフはとても単純である様に見えながら、非常においしい。
これこそが、一番基本であり重要な事だろうと思う。
実際、プロフは毎回食卓に上がるパンと共に、 かなり頻繁に食されている。
特にイスラム教の安息日が金曜日なのでその前日に当たる木曜日の夜と、お休みの日曜日に家族みんなでプロフを食べる事が多いそうだ。
日本人にとっては、多量の油を使うので不安になってしまうが、肉や米、野菜を油の中で揚げるようにしながら炊き込んでいくというプロセスは、油をほとんど入れない日本の炊き込みご飯とはまた違っていて、不思議な感じがする。
しかしそれ故に、米一粒一粒が存在感を持った、キラキラと立って噛みしめる度に、野菜から溶け出した甘みと肉の旨みが感じられる食感や香りが出るのかもしれない。
日本にも伝統的に炊き込みご飯は存在し、“おこわ” “かやくご飯” とも呼ばれファンも多いが、そこまで特別に国民に愛されているという印象はない。
「日本の炊き込みご飯の中で一番プロフに近いのは鶏飯ではないか」
という話が、先日関係者の集まりの中で出た。
しかしその鶏飯も、九州名物にはなったものの、広く列島の東や北をカバーする料理にまでは発展しなかった。
大まかに日本全土で食べられている、お祝いやめでたい席、人が集まる時に振る舞われる代表的な料理はちらし寿司などいくつも存在するものの、中央アジアにおけるプロフほど愛され、日常に頻繁に登場する料理はないのではなかろうか。
何しろプロフは、特別な日にも食べるご馳走でありながら普段の日にも食べる。
これぞ最強!と言わざるを得ない。


〜“主食と副食”観点から見た、中央アジアの食文化 / 赤い食べ物・白い食べ物〜

現在の中央アジアの食文化は、麦も米も野菜もよく採れる地域であったからこそ発達した食形態だが、ここで初めの表題で挙げた、小麦も米も両方同じ食卓で食べる、という、“主食” と、主食の為の “副食”(おかず) という概念で捉える日本人的なフィルターで見ると、この食文化形態はとても奇妙なものに映る。
もっとも、中央アジアの人々にとっても、“主食” “副食” という概念自体は存在する。
日本の食文化は大昔から、まず主食としての米があり、それに対する “おかず” というカテゴリーで副食が存在し、一般的には “一汁三菜” としてきた食文化背景がある為、主食と副食のラインは明確に分かれている。(一汁一菜の時代もあった)
更に言えば和食は、炭水化物である米を主食とし、なます・煮物・焼き物などのいわゆるおかずはたんぱく質やビタミン・ミネラルを多く含みつつも脂質が少ないという、非常にバランスの取れた理想的な食形態だと世界でも絶賛されて久しいが、これが日本の自然の型として、長い間日本人の間で受け継がれてきた。
現在、食のバリエーションは格段に増え、外国由来の食べ物もたくさん日本の食卓に組み入れられる様になった。
それでもこの “型” は、主食が米から部分的にパンや小麦料理に取って代わったしても、大きく変化する事なく、現在も概ね踏襲されている。
一方、中央アジアの中でも伝統的に、主に肉や乳製品を食べて来た人々にとって、ある時代から小麦が食文化に加わり、その中で様々な肉と小麦を合わせた料理が編み出されていき、それが日常化し…となってくる過程において切れ目がなく、そこには何が炭水化物で何がたんぱく質で…などという事には構いもしないまま、いわば整理されないままに、食文化はそのままの形で残り現在に至ったのではないか。
実際、ダイエットに関心の高いキルギス女子は、
「食卓に乗る、あれもこれも炭水化物だと分かっている。それに、炭水化物過多が美容や健康に有害だとも分かっているけど、もう今となってはこの食卓を切り離す事は出来ないの」
と、ため息をつく。
世界の中では古くから食を、主食と副食とに分けて来た地域が多いと思うが、キルギスやカザフスタンではそうでなかった、というより、そもそも古い時代の主食カテゴリーが肉や乳製品だった。
そして、かなりの比重で殆どの栄養素を “白い食べ物(乳製品)” と“赤い食べ物(肉)” から摂ってきた先祖達の一風変わった食形態が、後に小麦料理が単体で、更に肉と融合した形で多様に食文化に入り込んだ結果、私達日本人が考えるところの “主食と副食” の様な概念として捉える方向とはかなり違った発展を遂げてきたのがその理由ではないかと思っている。
ここで、上に挙げた “赤い食べ物と白い食べ物” の補足をしておく。
“赤い食べ物・白い食べ物” カテゴリーは遊牧民の世界、もしくは乳利用が活発だった地域において、キルギスやカザフスタンの他にもモンゴルやロシア連邦内のサハ共和国などの地域において共通の概念だ。
主に、夏場に白い食べ物=乳製品 を食べ、冬場に赤い食べ物=肉 を食べる。
その主な理由としては
1)冬を越せない家畜を秋に屠る
2)その時期は乳が出ないので、白い食べ物もない
3)冬を乗りきるためには、高カロリー高脂肪が必要
逆に夏場は春の家畜の出産の後、乳が出るので、ふんだんに白い食べ物が得られた。
余談だが、モンゴルを専門とする地質学者の教授によると、白い食べ物、特に馬乳酒を飲むと季節の始めにはモンゴル人でも下痢する人が結構いるとの事。
これは冬の間、肉食で疲れた体の中をきれいにして癒す、いわゆる今でいうデトックスの効果も併せ持っていたという素晴らしい、理にかなった食の知恵だと言えるだろう。
また馬乳酒にはビタミンも豊富に含まれているので、冬場不足した栄養素を補うのにも最適であり、つくづく先人の知恵というものを思い知らされる。

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ところで、プロフは毎日食べている人達もたくさんいるよ、と聞いて、飽きないのだろうかと思っていたが、実際に自分も食べ始めると、これが不思議なことに飽きない。
何故だか分からないが、プロフには不思議な吸引力の様なものがある様に感じる。
具はとても単純で種類も多くなく、味付けもとても単純である。
丸ごとのニンニクや、クミンの様なスパイス、又はドライフルーツやナッツなどを入れる地方もあるが、中央アジアの中でも北部ではあまりスパイスを入れない傾向にある。
基本的には非常に単純なもので、何故これがこんなにも人々を魅了するのか、いつも不思議に思っている。
プロフには大盛りの玉ねぎを、こんなに入れたら一体どうなってしまうのだろう、大丈夫だろうか?!というくらい入れるのに、炊きあがってみると…あれれ、玉ねぎはどこ?!
完全に消えている。
加熱するうちに玉ねぎは米の一粒一粒にまとわりつく様に溶け、それが米をキラキラに輝かせ、甘みや香味と共に、キュッキュッとした食感を生んでいるのだと思う。
欧風カレーなどで、玉ねぎを飴色になるまで炒めるという物があるが、これは調理法こそ違えど、それと同じく玉ねぎの持つ甘みやコクなどを調理によって引き出すものなのではないかと思える。

来週は、プロフが代表的な料理となっている国々が全てソ連の共和国であった事から、ロシア人にとってのプロフとは?という事について、アンケート結果を交えて触れてみたい。


庄司/藤田 由美子

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