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星野晃一編『改訂版 室生犀星句集』(紅書房・令和五年)

みなさま、こんにちは。
作家 室生犀星むろう さいせいと聞いて何の作品を思い浮かべますか?
私が犀星の名前を知ったのは、父の本棚にあった『杏っ子』という小説でした。

私は犀星の『蜜のあはれ』に惹かれます。たしか二十歳くらいの少女(しかし金魚でもある)と老作家の軽妙洒脱な対話が見どころの作品です。
「おじさまはどうして、そんなに年じゅう女おんなって、女がお好きなの」
「あたい、せいぜい美しい眼をして見せ、おじさまをとろりとさせてあげるわ」
「おじさま、うかがいますが、あたい美人なの、どうなの教えて」
「あたい、こんなにちんぴらでしょう」 
このように非常にコケティッシュな金魚なのです。面白い設定です。小説という虚構の世界を存分に活かしています。


閑話休題。
本書『改訂版 室生犀星句集』は、室生犀星のすべての句集に加えて、随筆にあらわれた句まで採集しており、さしあたり犀星の全句集と言ってよい一冊だと思われます。
今日は晩秋から冬にかけての句をご紹介いたします。

小春日にすみれも返り咲きにけり

『改訂版 室生犀星句集』昭和10年以前の句

おもしろい構成の句ですね。「小春日」「菫」「返り咲き」…これらはすべて季語です。
念のため解説めいたものを付してみると次のようになります。

小春日とは、春ではなく晩秋から初冬にかけての暖かい日のことを指す言葉で、冬の季語。「句を愛し小春を愛し人愛し」(星野立子)なども「小春」という季語を生かした句で、立子さんのやさしい心持がじんわりと伝わってきます。

菫はもちろん春の季語。菫の佳句としては「かたまつて薄き光の菫かな(渡辺水巴)」を推します。薄明と菫の組み合わせに詩美を感じます。

なお、ここで菫の本を一冊ご紹介しておくと…山田隆彦『日本のスミレ探訪72選』は菫好きにはたまらない好著。
筆者は会社勤めのかたわら、北は知床から南は西表島まで、半世紀にわたり167種の菫と出会ったといいます。
本書には、英国王立園芸協会ゴールドメダル受賞画家・内城葉子のスミレ画72点を収録。私は藤菫、雛菫、深山菫などが好きです。

返り咲きとは、春に咲くはずの花が、小春日和の暖かさに誘われて咲き出すという意味で、冬の季語。俳句では主に桜に用いられることが多いと思います。
そのため掲出句では「菫は」ではなく「菫も」となっています。桜に加えて菫も…という含みがあるのかもしれません。春の到来と勘違いして、ぽやぽや咲いてしまう小さな菫が可愛らしいですね。


ゆきふるといひしばかりの人しづか

『改訂版 室生犀星句集』昭和15年の句

硝子戸がらすどの中から外を見遣るとちらちらと白いものが舞っている。ああ、雪だ……
ひとり言ではなくて、それに頷いて応えてくれる人がいる。ここは女性でなければなるまい。静謐な叙情を湛えた名句です。

この句を読むと私は自然と光明皇后の御歌「わが背子せこと二人見ませば幾許かこの降る雪の嬉しからまし」(万葉集所収)を思い浮かべます。
背子とは女性が男性を、とりわけ夫や恋人を親しみを込めていう言葉です。
ここでは聖武天皇でしょう。
反実仮想の「まし」が使われていることから、二人で見ているのではなく、実際には皇后がひとりで雪をご覧になっている情景が浮かびます。
さしあたり現代語訳をするならば次のようになるでしょうか。
「もしもあなたといっしょに二人で見たならば、この雪のことがどれほど嬉しく思われるでしょうか。」
初雪を愛する人とともに見たいという素直な心がしずかに詠われています。

犀星のふたりの句、光明皇后のひとりの御歌。いずれも味わい深いものです。

<補遺>
今年も早いもので明日は大晦日。
年が明ければすぐに梅の季節になります。梅は早春の季語です。

紅梅うめ生けるをみなの膝のうつくしき

『改訂版 室生犀星句集』昭和10年の句

梅ではなく、梅を生ける女性の手元でもなく、膝を詠んだ。
たったの17音しかありませんが、婉然たる挙措を彷彿とさせる句です。

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