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休日の過ごし方

「人となり」がわかること。

価値観の分かれ目。

いろいろあるだろうが、「休日の過ごし方」もそのひとつだろう。

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私は、長い間、「休日の過ごし方」を自分らしくできない生き方をしてきた。人生で一番後悔していることだ。

休日、私は、家で静かに過ごしたいという考え方だった。それを許してくれない友人や恋人に囲まれ、とても賑やかな時間を過ごしてきたが、それがとても不満だったのだ。

そして、その不満を「ぜいたくな悩み」と一蹴(いっしゅう)されることも不本意だった。この気持ちを共有してくれる人、共感してくれる人は皆無だったのだ。

たとえ血が繋がった親きょうだいであっても、一緒に過ごすことには苦痛が伴う。だから、自分ひとりでいられる時間が必要不可欠なのだ。

そういう私であったから、ずっと独身であったし、生涯独身で生きていくつもりだった。

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ところが、夫と出会い、あまりの居心地のよさに結婚をしてしまったのだ。

夫の何がよいかというと、休日にデートをしなくてよいこと。平日も電話やメールをあまりしなくてもよいこと。

仮に、一緒にいても、別々のことをしてもよいこと。沈黙が快適であること。

そういう関係が、とても心地よかったのだ。

私が夫の住む町に引っ越して来てからも、ほとんど会うことはなかった。仕事が忙しいということもあっただろう。そんな時期、月に1度弱のデートであったが、お昼ご飯を食べながら近況を話すとかいう程度。心身の疲労が激しく、デートどころではなかったからだ。

とはいえ、あの時期は、その距離感がとても快適だった。

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結婚に踏み切ったのも、一番の目当ては、月に1度のデートすら面倒くさかったからだった。

結婚したら、普通に家に帰るだけで会えるし、デートの約束とか、そういうことをしなくてもよくなるし、デートの場所を考えなくてもよい。つまり、一緒に居ることが日常になる。

一緒に生活をしたとしても、ひとりの時間を大切にしてくれる相手であれば、これほど幸せなことはないだろう。

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「休日の過ごし方」には、人となりがよく現れる。

結婚を考えるとき、金銭感覚や育ってきた環境などなど、いろんなチェックポイントはあるだろう。

その中でもし「これが合う人はあまりいない」というポイントがあるなら、その重要度をあげてみるとよいかもしれない。

もし、「なかなか合う人がいない」ポイントがあったら、その相手が唯一無二の存在と思える気持ちも膨らむ。

何より、自分自身が居心地がよいのだから、うまくいく可能性もグッと増すのではないだろうか。