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保存して読み直したいnoteたち(適宜入れ替え)

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素敵なクリエイターさんの保存してまたゆっくり読みたい記事を集めて適宜更新、入れ替えしていきます。為になることやクリエイティブな内容、素敵な文章や頑張ってる人達の記事に出逢えた時、… もっと読む
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2021年8月の記事一覧

天と地をつなぐ物語

 今からもう20年も前に読んだ本の中に印象に残る1冊がある。 日木流奈著 大和出版刊 『月のおくりもの』だ。  生まれた直後に脳障害となった少年ルナ君(当時8歳)が、ドーマン法のリハビリプログラムによって、意思疎通が可能となる。この本にはお母さんの介助によって文字盤を指で指し示して綴った文章の数々が記録されている。 当時味わった衝撃は今でも忘れない。  ルナ君の言葉は今読んでも決して色褪せることなく心に響いてくる。 いや当時の社会状況よりも、むしろ20年経った今の方がより

期待を手放し「驚く」こと

「期待を手放すこと」に成功したとして、部下指導はどうするの?部下には仕事をしてもらわなくちゃいけない。ノルマを達成しなかったら会社は潰れてしまう。部下指導で期待しないのはあり得ないのでは?と思う人も多いと思う。それでも私は、期待を手放すのは部下指導の基礎条件だと思う。なぜなら。 https://note.com/shinshinohara/n/n38b8650fa779 「驚く」ことができるようにしたいから。 「期待」してしまうと、部下のやることなすことに不満が出やすい。作

期待を手放すこと

「ためしてガッテン」にお坊さんが登場。喫茶店でコーヒーを頼むが、この店、番組の仕込み。「かしこまりました」と言って数分たち「お客様、オレンジジュースでしたっけ?」と、注文を聞き直すことを繰り返し。いつ怒り出すかというたちの悪い設定。ところが。 何度聞いても「ホットコーヒーです」と笑顔で返し、怒る様子がないので、とうとう番組スタッフが仕込みであることを明かし、「なんで怒らなかったんですか?」と尋ねると、「他人のやることは自分にはどうしようもないから」と答えた。私はへええ、と思

【architecture】窓学|訴える窓|aiさんちの窓

こちらの一見日本のどこにでも見かけられる窓 しかしこの窓は建築的に巧みにデザインされた窓である 以前私のnoteで取り上げたイタリア/アマルフィの窓とも引けを取らない秀逸な窓である 実はこちらの窓は人気noterのaiさんちの窓である 100件近いスキを頂戴しているこの窓には建築的に隠された秘密があるはずである 今回はその秘密を探ってみたい まず真っ先に気になるのが、なんとも言えない表情でこちらを見つめているaiさんちの猫さん ちょうどaiさんが出掛けようとしたとこ

治りたいなら

多くの方が病気になっているようですが、治りたいなら治って当然のことをしなければいけません。 一番治らない人、それは「○○病をどうやって治したらよいですか?」とか「私は○○病でとっても大変でこんな薬を飲んでいますが、どうしたらいいですか」と質問してくる人です。 なぜこれが治らない人なのでしょう。 みなさんは昔、学校で教わりました。 「わからないことがあれば聞きなさい」ってね。   だからむしろ質問したり専門家に聞くことは、努力であって美徳ではないかと思っています。 しかしこれが

天才から人間になった男

 ジャズピアニストの巨匠キース・ジャレット氏(以下敬称略)が脳梗塞となり、今後の活動は不可能となったという昨年秋のニュースを、最近になっていくつかのnoteの投稿記事で知った。 彼の代表作の一つ、ピアノの即興演奏による『ケルンコンサート』(1975年発売)を、レコードが発売されてまもなくの頃、19歳の時に初めて聴いて以来、数多くのアルバムを聴き、またソロだけでなく、トリオのコンサートなどに何回も行ったことがある。 音楽に関しては無学で、ただ聴くだけのファンに過ぎないが、自

【architecture】窓学|フィッシャー邸|ルイス・カーン

アメリカの建築家ルイス・カーン(1901-1974)の設計したフィラデルフィア郊外に建つフィッシャー邸は窓のお手本のような建築だ カーンは大学や図書館、美術館、バングラデシュ国会議事堂など大きな建築を手がけた事でも有名であるが、小さな住宅も数多く手がけておりその作品は秀逸である 世界恐慌と戦争という不遇の時代を長く生きたカーンは戦後の50代になってからそれまで蓄えていたエネルギーを吐き出すように作品を作り続けた建築家だ フィッシャー邸に話を戻す 閑静な住宅地にあり、周

湖畔にて

 1980年代初頭、世界は経済不況の波に飲み込まれようとしていた。 ちょうどその頃、社会人となってからの数年間、いくつもの職業を転々とした。辞める理由はいつも決まっていた。年配の経営者に向かって日頃溜まった若さゆえの怒りを爆発させたのだ。 奴隷のようにこき使うだけのそのやり方に我慢できずに、 人を人として見ろっ!と大声で怒鳴った。 彼らは皆呆気にとられ、茫然としていた。 その場で自ら即退場宣言をして、会社を出て行った。 経営者たちは皆、生き残りをかけたサバイバル戦争の真っ最

もしもボクがNHK『プロフェショナル 仕事の流儀』のプロデューサーだったら

あつこさんは当選していたのだ オリンピック、バスケットボール男子3位決定戦 しかも表彰式もついてくる はずだった… 会場はさいたまスーパーアリーナ しかし無観客試合となりその期待は水の泡と化した 意気消沈するあつこさんのもとに知人から一通のメールが そこには会場の最寄駅である『さいたま新都心駅』の写真であった そこには本来であれば世界中から訪れる観客へ向けた文字通り『お・も・て・な・し』となるはずだった様々な作品が飾られていた このメールがあつこさんのライター