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コ・ウ・カ・イ(後悔) / あの時が最初で最期になるなんて・・・

“1時間半”・・・。
彼と一緒に居たこの1時間半が、最初で最期になるとは思わずあの時間を過ごしていた。

彼は、50歳代の独身男性の剛(つよし)さん。
薄暗い部屋の中でも彼の中肉中背の体が黄色く(黄疸)見えた。
そして異様なほどの大きなお腹(腹水)をみれば、“がん”が、彼の意思に反して体を占領していることが一目でわかった。
受診した時には、既にエンドステージの状態だった。

ついこの間までバリバリとサラリーマンをしていた彼が、この短い期間の中でこれだけの体の変化を簡単に受け入れられたのだろうか?
逢ったばかりなので受け入れることができているのかどうかさえわからなかった。
きっと数週間で仕事の整理をしたと淡々と話し、黄色い体と大きなお腹を抱えながらベッドに漸く座って居る彼。

そして、剛さんから遠くに離れて2人で座って不安な顔で見守っている兄姉様。
もっと近くにお座りくださいと何度か声を掛けたけど「いやいや、私たちはここでいいんです」と頑なに言われた。
とても不思議な距離感だった。


後にその不思議な距離感が実際の距離感と同じだったと分かった。
会話が極端に少なく、剛さんが兄姉の世話になりたくないと拒否が強いかたのようだった。
なぜそんなことになったのかは1時間半の中では知ることもできなかった。

私達(看護師2名)は、初めて出逢った剛さんのことを色々知りたいと思った。
このような状態になるまでなぜ訪問看護が介入できなかったのか?と対応の遅さに焦りを感じていた。
そして、早急に色々とケアを入れていかなければいけないと思った。
私達の前では、剛さんは、私達の質問に対して丁寧に話してくれていた。
これまでの剛さんのことも知りたいと思ったので体調を考え、少し遠慮しながらも色々聞いた。

途中でトイレに立たれたが、少しふらついていたので姉がついて行こうとしたらさっきまでの柔和な顔がキツくなり、手を振り払われたので、お姉さんは、少し苦笑いをして、離れて付き添った。

トイレを待っている時に兄姉様は、「あんなに笑って話しているのをすごく久しぶりに見ました。あんな風に笑って喋れるんだとびっくりしました」と嬉しそうに言われた。

1年前に姉弟3人でビールを飲みに行った話になった。
剛さんは、とても楽しそうに話してくれた。
その会話を「そうだったんですか?」と兄姉様達に振ってみた。
遠慮しながらも一言二言会話に入って来てくれた。
それに対して剛さんは拒絶はなく、みんなでその話で盛り上がることができた。
こういう会話が少しずつ今後できたらいいなぁとこの時思った。

後に兄姉様達は、この時の会話をすごく喜ばれていた。
「私達だけでは、あんな会話はできなかった。本当に貴重な時間でした。あの時、剛が一緒にビールを飲んだ時間を楽しいと感じていたことを知ることができただけでも良かったです」と言って頂いた。

初回の訪問の時には、今後の訪問看護のケア内容や訪問回数などを組み立てていかなくてはならない。それには、お金の問題も絡んでくる。金銭面での説明もしながら契約をしていく流れになる。

介護保険も医療保険も1割負担の方が大半を占めている。しかし、剛さんは、まだ50歳代でもあり働き盛りの方で3割負担だった。
この為、1回の訪問にかかる費用も1割負担の方の3倍になる。
剛さんも訪問にかかる費用のことを気にされていた。
この為、訪問はそんなに頻回ではなくてもいいと希望があった。あまり時間はないかもしれなかったけど、ここは初回なので剛さんの意見を尊重することとした。

そして、この時に私たちは最大の判断ミスをすることとなった。

この病状からは、時間外の夜間にいつでも対応できるよう「緊急時訪問看護加算」をとらせて頂くべきだった。
それなのに剛さんが訪問にかかる費用のことを気にされていたこともあり、加えて、月末だったので数日後の翌月から加算を取らせてもらった方がいいだろうと判断した。2000円弱が払えない剛さんではなかったはずなのに。
変な気遣いをして判断ミスをしてしまった。


緊急時訪問看護加算とは、ご利用者様または、その家族に対して24時間連絡できる体制にあること、また、計画的に訪問することになっていない「緊急時の訪問」を必要に応じて行った場合に算定できる加算。


何も起こらなければ判断ミスではなかったと思うのだけど、難しいところだ。

次回の訪問日を3日後くらいに設定してその日はお別れした。
それが最期になるとも知らずに。

私たちは、翌日は訪問予定日ではなかったけど、どうしても気になり、訪問という扱いにするとお金がかかってしまうので、<通りかかったので寄ってみた>と言う設定で朝一番で顔を見に行こうと決めていた。

あまりたくさんの時間はなさそうだから(と言ってもまだ1ヶ月近くの時間はあるのかなとこの時は思っていた)、体のアセスメントをして一つ一つの症状が少しでも緩和していくようプランを立てていた。
そして、姉弟間の家族関係の修復のお手伝いも慎重に行い、最期のプレゼントにしたいと思っていた。

玄関のピンポンをするけど誰も出てこられない。


中で倒れていらっしゃるのではないか?と心配になりお姉様に電話をした。


すると、お姉様から


「実は、朝方からおかしくなり、尿も漏らしてしまい動けなくなってしまったんです。どうしていいか分からず、看護師さん達に相談したかったんですけど、訪問の先生に連絡して来ていただき、病院に救急搬送になりました。」と仰った。

剛さんは、入院を強く拒否していたと。
それなのに訪問の医師の判断で救急搬送となったので意識が遠ざかりながらも私達のことを睨んでいましたと言って電話先で泣いていた。


え・・・・・?



頭が混乱し、事態を把握するのに何秒かかかった。

車の中で申し訳なさと後悔で涙が止まらなかった。
一緒に行った看護師も隣でポロポロ涙を流していた。


訪問診療の医師からもその報告がなかったので、なんで直ぐに教えてくれなかったの?とその医師をターゲットにすることで気持ちの持って行き場を探した。

         *  *

1時間半しか関わっていないけど辛い体でありながら貴重な情報も頂いたし、家族関係についても早い段階で先方の医療従事者に知っておいて頂きたいと思った。少しでも伝わるようにと看護サマリーを病院に持っていった。

できれば入院先の病棟ナースと話がしたいと思った。


もし、今後在宅に帰りたいと剛さんが望まれたらどんな状況であってもサポートしたいと言う気持ちを直接伝えたかった。

でも、今の時代は、大切な家族でさえ面会制限もある世の中。
翌日、病院に会いに行ったけど窓口で電話という形しか取ってもらえなかった。
「肝性脳症なので在宅ではもう無理だと思います」と言われた。
1時間半しか関わっていないのに話したいことが沢山あった。
先方にその情報をあまり必要とされていないのも感じた。
とりあえず思いの丈は、サマリーに書いた!と思うしかなく、病院を後にした。

その後もお姉様にお電話してみた。
意識が一旦戻り、洗濯を持っていったけど、無理矢理入院させたことを恨んでいると思うので怖いから弟の視界に入らないように帰って来ましたと言われていた。

それから3日後くらいに剛さんが、旅立たれたと連絡を受けた。

剛さんは、どんな思いで旅立たれたことだろう。


家で最期を迎えたくはなかっただろうか。

不器用ながらも一言二言、兄や姉と話したくはなかっただろうか。


家族の気配や亡きご両親と一緒に住んでいた家を感じながら最期の時間を過ごしたくはなかっただろうか。

これまでの思いを誰かに話したくはなかっただろうか。

家族のいろんな思い出話を最期にしたくはなかっただろうか。

辛いと弱音を吐きたくはなかっただろうか。

・・・・・・・・・・・・

あの1時間半は、とても大切に関われたという思いはある。


ただ・・・
あの時が最期だとは考えていなかった。

また逢える!と思っていた。

もっと何かできなかったかと自問自答。
きっとできることはまだあったはず。


ターミナルの方にお会いする機会が多いので、この時、自分のできる限りのことを精一杯「今」やろう!とは心掛けている。
それは、これまでにした後悔もあったから。

また逢えると思っていた人に逢えなかったことは病院勤務の時から今に至るまで何人も・・・。


これは、ターミナルの人だけに限る話ではなく、人は、前の日にどれだけ元気であっても、あるいはどれだけ若くても突然の病気、突然の事故、突然の災害・・・いつ何時、誰に何が起こるかわからない。

以前、緩和ケアや看取りについて講義をしていた時期があった。
その中でよく使わせてもらっていた資料を今回引っ張り出してきた。
(随分前に書き写したもので間違っているところもあるかもしれません・・・)

明日もある・・・。
そんな保証なんてどこにもないのに明日があって当たり前と思っている。


突然のお別れは、きっとどれだけ大切に過ごしていても後悔しない人は、あまりいないかもしれない。
それでも目の前にかける人への言葉が最期の言葉だとしたら今、目の前の人にどんな言葉を伝えるだろうか?

私が自分のためにいつでも思い出せるようにここに残しておきたい。
そして、私以外の必要な方へ届いてくれたら嬉しいなぁと思い、今日の記事を書いてみた。

久しぶりに読んだらまた熱いものが込み上げてきた。



「最後だとわかっていたなら」
     ノーマ・コーネット・マレック

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしはもっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるよう祈っただろう

あなたがドアを出ていくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしはあなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしはその一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけど
最後だと分かっていたなら
一言だけでもいい・・・
「あなたを愛している」と
わたしは、伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら
わたしは今日
どんなにあなたを愛しているかを伝えたい

そしてわたしたちは忘れないようにしたい
若い人にも年老いた人にも明日は誰にでも
約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず

もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや抱擁やキスをするための
ほんのちょっとの時間をどうして惜しんだのかと

忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうしてしてあげられなかったのかと

だから今日あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そしてその人を愛していること
いつでもいつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や
「気にしないで」を伝える時を持とう
そうすればもし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから


        *  *

これからまた1人・・・
人生の最期の時間をご家族と大切にして過ごしていくお客様がまもなく退院してこられる。
まだ10代のお子さんがいる。ずっと逢えていなかった。
時間がもうわずかしか残されていない。
彼に会うために死の恐怖を抱えながらも退院を決意された。
彼がお母さんへの思いを精一杯表現できるようサポートできますように。


<あとがき>
随分時間が経ちましたが、
あっけなく旅立ってしまわれた剛さん。
あなたの力になりたいと思っていた人たちが沢山いたことも今更ですが分かっていただけたでしょうか。
伝えられなくてごめんなさい。
力になれなくてごめんなさい。

たった1時間半の出逢いの中でたくさんのことを教えていただきました。
ありがとうございます。
こうして記事にさせて頂いたことで大きな後悔が少しだけ光になったかな。

剛さんが教えてくれたこと。

今、

目の前にいる人への私の眼差しはどんなだろう?

目の前にいる人へかける言葉は愛が添えられているだろうか

目の前にいる人に差し伸べる手は、指の先まで優しく触れられているだろうか

玄関のドアを閉める時に今夜の安らかな眠りを祈ることができているだろうか




1ヶ月くらい経ってから剛さんのお兄姉様たちが挨拶に来て下さいました。


あの時の会話が私たちの宝物になりましたと言って頂きました。

感謝しかありません・・(泣)








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