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最期のとき 〜セデーション(鎮静)前のできごと〜

この記事の中で、お客さま(沙羅さん)が天使になって旅立たれたお話を書かせて頂いた。

全力は尽くしたつもりだったのだけど、一つ大きな大きな後悔があった。

沙羅さんは、いつも凛としていて毅然としていた。

がんは、美しい沙羅さんの体を容赦なく覆い尽くしていた。
この為、がんによる苦痛を取り除く為にセデーション(鎮静)が必要な状況になった。


その寸前のことだった。

写真が見たいとお願いしたら、最近のはあまりないのよねと言いながらもご家族が持ってきてくださった写真の中に沙羅さんが映っていた。

沙羅さんが、何ヶ月か前に教会で洗礼を受けたときの厳かな写真だった。

洗礼…。


あの<自分>という軸をぶれずに持っている沙羅さんでも・・・と思った。
洗礼をよく知らない私がいうのでこの言葉はきっと語弊があるかもしれない。おそらくそういうことに関係なく洗礼は受けれるものだろうから。

でもこの時期に受けるということは・・・と色々想像した。
ご家族によるといろいろな不安もあり拠り所が欲しくて受けたというようなお話をされた。

そういうことは一切表現されていなかった(ように見えた)。部屋の中には、クロスもロザリオもマリア様の像なども見当たらなかった。

このことをセデーションの寸前に知るなんて・・・。

もっと早い段階にキャッチできていたらどんな方法でも使って沙羅さんのもとに牧師さんを引っ張ってきていた。
こんな時期だから訪問はできないと言われてもそれでもぐいぐいと無理矢理、車に乗せてでも来て頂いていたと思う。

その人が、信心、信仰していること、心の拠り所になっているものを知り、最期まで支えていくことは、とても大切なことだと思っている。

洗礼することで彼女の心は安らかになったのだろうか。そうであって欲しい。

今では、彼女に問うこともできない。

「死」への恐怖心をもっと和らげてあげたかった。
何よりもそのことを表出させてあげたかった。

      *

ホスピスで勤務している時には、チャプレンがいた。
チャプレンという言葉は馴染みがないかもしれない。

こういう方々の力が必要な時もある。


       ✳︎       ✳︎

以前の記事にも触れたことがあるけど、

がんの方にはトータルペイン(4つのペイン)があると言われている。

身体的な苦痛
精神的な苦痛
社会的な苦痛
スピリチュアルペイン

終末期な方の看護を行う上でスピリチュアルペインのケアは欠かせないものだと思っている。スピリチュアルペインは、魂の叫びとも言われている。誰でも魂の叫びはあるのだと思うけど・・・それを最も意識しやすい時期でもある。

ホスピスに入院している方の多くは、「死」という割と近い未来のことを意識されている方が多い。
この為、亡くなる時の話や亡くなった後の死後の世界の話をすることもよくあった。その方の死生観を知ることもできる大切な時間だ。

          

沙羅さんとの時間は、たった10日間しかなかった。
とても濃い10日間であったことは間違いがないけど。

いろんなことを話す時間が欲しかった。
もっともっと安らかに旅立たせてあげたかった。

ホスピスのようにチャプレンもいない中、私たちがそれを繋いだりまたはその役割も担っていくことが必要だと思っている。

          *

セデーションの2日前に私は沙羅さんに1つの質問をした。

「沙羅さん、大切な人たちに伝えたいことを何かの形で伝えていらっしゃいますか?」

沙羅さんは、こちらを見て首を横に振り、目を閉じた。

その時、今後、セデーションをしなければならない時がまもなくくるかもしれないことをお伝えし、沙羅さんにもセデーションの同意を頂いた後だった。

だからこそこの話ができた経緯があった。
セデーションのお話をした後、沙羅さんから質問があった。
「セデーションをしてそのまま・・・ということもあるの?」という質問だった。
つまり、沙羅さんが言いたかったのは、そのまま死を迎えるのかという意味だった。

セデーションは、お薬を持続的に投与していき、意識状態を低下させて痛みや辛さを感じにくい状態にしていくということ。

そして、深い鎮静と浅い鎮静があることなどを説明し、沙羅さんの辛さによっては深い鎮静をしていかなければならないことを説明した、その場合は、そのままお別れが来てしまうかもしれないということも説明した。

その説明の後、沙羅さんは、わかった・・・と頷いた。
その後の会話だった。


近くで私と沙羅さんの会話を聞いていたご主人は少し離れて見守っていた。


それほどたくさんの時間が残されてないことは分かっていたのでこの時間を大切にしたかった。

「じゃぁ〜、まずは、ご主人に一言ありますか?」と伺った。

あまりしんみりとしないようにその場の空気を私なりに調整した。一言ずつ選びながら言葉を発した。
もし書けそうならそれをご主人に見て頂いて写真に撮って頂きましょうと提案した。

筆談がコミュニケーション手段だった沙羅さんは、少し考えてからホワイトボードに書き始めた。少し遠くにいたご主人は書き上がると見にこられた。

そして、涙ぐんでありがとうありがとう・・・これで頑張れるよと言われた。

具体的な内容は、お二人だけの大切な言葉なので大切にとっておくことにする。

愛していることや感謝されていることを沙羅さんらしく書かれていた。

それを見てご主人様はこれまでにあまりそのような会話はしてこられていなかったようでとても喜ばれてスマホのカメラでその文字を収められた。

この場に一緒に居させて頂いたことに感謝した。

長い介護生活の労いもこれからの生活もこの言葉があれば大きな支えになる言葉だった。

この言葉が沙羅さんからご主人に伝えることができてよかった。この言葉があってよかった!きっと何かの時にこの言葉を思い出してまた頑張れる。


そして、その次の日には、お子様たちや大切な人達に向けてお手紙を書かれたと聞いた。


鎮静剤や医療用麻薬も沢山使っていたので、文章が書けるギリギリのタイミングだったと思う。

沙羅さんに最期の言葉を書く時間を残してくれてありがとうと神さまにお礼を言った。

         *

今回は、沙羅さんのセデーションの前の出来事を少しだけ書いてみた。

10日間の短い期間とはいえ、夜中も早朝も或いは日中も長い時間、苦痛や恐怖と戦う沙羅さんと時間を共にした。

だから沙羅さんについては記事を書いても書いてもまだ書き足りない。

今回の記事は、セデーションの前に沙羅さんのスピリチュアルペインに充分に寄り添うことができなかった後悔と沙羅さんがご家族に大切な言葉を伝えることができた2つのことについて書かせて頂いた。


セデーションをはじめて3日目の朝に沙羅さんは旅立った。
今頃マリア様の近くで癒されているのだろうか。
まるで沙羅さん自身がマリア様のような美しい方だった。

あなたともっと話していたかった。

あなたが旅立たれてからあなたのSNSを見つけた。
思った通り・・・いやそれ以上に素敵な女性だった。あなたの声をSNSの中から初めて聴いた。

誰からも愛されている方だったのがよくわかる。
そして、人生をとても楽しまれていたこともわかった。
そこにはあなたを慕われていた方が本当に沢山いらっしゃった。

かっこよくお仕事している沙羅さんの姿は眩しいほどだった。

神さま

でも‥

なんで沙羅さんをこんなに早くに連れて行ってしまったのですか。

愛するお子様やご主人を残して…。


お子様が沙羅さんの手を

何時間も握りながら

セデーションで意識がない中でも

ママ、ママー大丈夫だよーと言っていたのが何回も思い出される。



あなたが大丈夫じゃなかったはずなのに。

           







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