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人の痛み・辛さを知る

「痰が出なくて息苦しいみたい」とYさんの奥様からの緊急電話が鳴った。
救急車要請は恐らく必要ないだろうと判断した。とりあえず私が到着するまでいつもの酸素量より少しだけ上げて待って頂くよう説明した。
こんな時は、本当に救急車をすぐに呼ばなくていいのかを咄嗟に判断しないといけないのでいつも緊張する。
病院に勤務している時には、すぐに医師を呼べたのでその点で言うなら看護師への重責は幾分ましだった。
丁度、その時、近くのお客様を訪問していた私は、救急車モードで自転車を走らせた。

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ここで話は、突然10年前の私の話に遡る。


私は、1度だけ喘息で呼吸困難になったことがあった。
あの時の恐怖感は今でも忘れない。
その頃、私は看護師のある資格を取るために半年くらいの研修で寝る時間もないくらいの毎日を過ごしていた。
喘息の原因は、ストレスだと言われていた。
研修期間だけの喘息だったので恐らく知らず知らずのうちにストレスになっていたのだろう。


夜中に息が出来なくなり、寝ていた家族をやむなく起こして、家族の車で病院にむかった。
病院に到着するまでに死ぬかもしれないと本気で思った。
呼吸ができない=死 しか思いつかなかった。

ところが、病院に到着すると、酸素飽和度を測るパルスオキシメーターでの数値が96%だった。(あの指に挟んで酸素を測るやつね・・・)
その数値を見て救急医も看護師も涼しい顔で「あ、大丈夫ですね、心配ないです」と言われた。

「いやいや・・・ちっとも大丈夫じゃないから」と思った。パルスオキシメーター、やっすいヤツなんじゃない?とか(笑)
苦しいのが数字に出ないって、なんだか認められてない感でいっぱいになった。

皆さん、こんなに辛いのに大丈夫って言い切ってしまうなんてホンマにプロかいな?と苦しいながらも心の中でツッコミを入れた。
この苦しさをこの数値だけでみてわかってもらえないのは何とも言えない気持ちだった。
呼吸音も聴診して「やっぱり問題ないね。お薬何かいりますかぁ?」と薬すら処方する気はなさそうだけど、悪気はなく微笑まれた。
あまりのしんどさに段々、医師の顔がアホ面に見えてきた。(すんません!)

いやいや・・・これ、狭窄してるよ・・・。
嫌な患者だと思われるだろうけど辛さをわかってもらえないと、治療をしてもらえないので「のどの辺りも聴いてもらっていいですか?」とお願いした。
「あ・・・確かに、狭窄していますね」と。
ようやく伝わった。

結局、暫くステロイドの点滴や吸入をしてもらい、やっと狭窄音も呼吸困難感も治まった。
危うくそのまま帰されるところだった。
帰されていたら、呪いをかけてしまっていたかもしれない(笑)

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待てよ、これって患者側の「辛さ」の問題ではなく、データで処理されそうになっていた?
私は、たまたま伝わったけど、この主張が出来なかったらどうなってた?
殆どの人が主張できないだろう。

当時、がん患者さんについて研修していたので「がん性疼痛」「呼吸困難感」についても学んでいた時だった。
ここでは、疼痛も呼吸困難感も<辛さ>という意味で一括りで考えてみる。

痛みの看護研究者のMcCafferyは、「痛みを経験している人が〝痛みがある”と言う時は、いつでも存在している」と述べている。
痛みは、主観的なものであるということを繰り返し学んでいた。

つまり、見た感じは大丈夫そうに見えるけど目の前の人が辛いと言っているのなら医療者が「大丈夫、辛くない」とは言えない。
だって、辛いのだから。
医療者は、私も含めてデータで判断してしまう傾向にあると思っている。そんな風に学んできたから。
データは、いろんなことを教えてくれるけど、時として大切なものを見失ってしまうことにもなってしまうことも覚えておきたい。

今となっては、本当に貴重な経験をあの時させてもらったと思っている。
あの経験から目の前の人が辛いと言ったら何があってもその人は辛いことに間違いない!!と思えた。

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話は、現在に戻る。
Yさんのお宅に着くと、奥様が「恐縮しながら、呼んでしまってごめんなさいね。苦しそうだったから。」と言われた。酸素飽和度は、酸素下で96%だった。
「訪問の先生にもお電話したんですけど、お湯の蒸気を吸ってみてと言われただけで、不安になって看護師さんにも電話してしまいました」と。


奥様が、数値を見て「大したことなかったのかもしれませんね」と申し訳なさそうに仰った。
「いやいや・・・息苦しいって死ぬかもしれないって思っちゃうくらい本当に本当に辛い事なんですよ。こればっかりは経験しないとこの怖さはわかりにくいかもしれませんけど、息ができないって凄い恐怖だと思います。お電話してくださってよかったですよ。ありがとうございます」と私が言うとYさんが、安心したように大きくうなずいていた。

奥様も顔の筋肉が緩んで「あんなに辛そうだとこっちもオロオロしちゃって。私なんて何の役にも立たなくて。看護師さんの顔を見ただけで安心しちゃった」と。
奥様も傍で辛そうなご主人を見て、いたたまれなかっただろうし、不安だっただろう。

その後、呼吸リハビリ、蒸気の吸入、体位ドレナージ、うがいなど色々してもらい大量のねばっこい痰が出て楽になり、笑顔が戻った。
退院後間もないときの訪問だった。
入院中は、痰が出づらくなるといつも看護師にケアしてもらい、出していたとのことだった。
在宅では、常に医療従事者がいるわけではない。苦しい時間が少しでも少なくなるようにご自分たちで対応できる力をつけていくお手伝いをしていきたい。

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今回は、人の痛みを知る、辛さを知るというテーマで書いてみた。
私は、過去に尋常じゃない痛みや死ぬかと思うくらいの呼吸困難を経験していたから、たまたまこれらの症状については、人一倍共感できる。
でも、世の中は、これらの症状を経験していない人のほうが圧倒的に多いと思う。
経験していなかったとしても目の前の人が辛いと言ったら辛いのだということを書き記したい。

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昔、プラセボ(偽薬)ということが医療の中でも使われていた時代があった。
その時は、痛みについて何の知識もない私もケアの一環として経験したことがある。
今、その人に懺悔したい。
その人は、痛いと言っていたのに。
その方は、たまたまプラセボでも痛みが良くなったのだけど。
プラセボについては、効果があるという考えもあり、議論の分かれるところ。

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この人には、わかってもらえた!ということからまたいい関係性がはじまっていく。

これは、医療的なことに限らず、気持ちの辛さについても同じ。
「辛さをわかってほしい」「自分のことをわかってほしい」というのは、誰もが当たり前に持っている欲求だと思う。

辛さの原因を探っていくのは、プロとしてもちろんのこと。
目の前の人の辛いという気持ちを<理解したいという気持ち>が何よりも大切だと改めて思った。


ありがとうございます😭あなたがサポートしてくれた喜びを私もまたどなたかにお裾分けをさせて頂きます💕