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人生最高のお手本

M先生が大好きでした。

優しくて温かくて。
口髭をゆらしながらゆっくりと話す先生の声は、当時どん底をさまよっていた私を慰め、渇ききった心をしっとりと潤してくれました。
そんな先生の周りにはいつも人の輪があって、自分もそこに加わるのを楽しみに足繁く帰省したものでした。

けれどある日、M先生は私達の前から姿を消してしまいました。

先生、最近元気がないみたい。なんだか表情が暗いのよ。
そんな噂が耳に入ることはありましたが、まさかいなくなってしまうなんて。
呆然としながらも、私達はその事実を受け入れるしかありませんでした。

それからしばらくたった頃のこと。私の下宿からほど近いオフィスでM先生が働いているらしいという話を耳にしました。
何という偶然!
先生に会いたい。でも、自分から去っていった人を訪ねていったりしたら嫌がられるに違いない。
その思いが先に立ち、オフィスが入っている建物の前まで行ってはみるものの、そこから一歩踏み出せなくて踵を返す。そんなことを何度も繰り返していました。
そうこうするうちに時間ばかりが過ぎて、もう先生には会えないだろうという諦めの気持ちが、私の中に徐々に広がっていきました。

そのまま数年がたったある日、とうとう限界がやってきました。何がなんでも会いたいという衝動が抑えきれなくなってしまったのです。
迷惑がられてもいい、会いたい、会って話しをしたい!
いつものように買い物を済ませスーパーを出た途端、私は何かに背中を押されるようにして別の方角に向かって歩きだしていました。
たどるは例のオフィスへと続く道。歩みを進めるごとに足取りはどんどん速くなり、手に持ったレジ袋の中で激しく揺れる食材がシャカシャカと私を急かします。
勢いのまま建物に入りオフィスの扉を開くと、カウンターの向こう側で一人の女性が俯いて何か作業をしています。
私は息を整えながら声をかけました。

「あの、〇〇と申しますが、こちらにMさんという方はおられますか。以前お世話になった者ですが、近くに住んでいるのでちょっとご挨拶を」
するとその女性は顔をあげ、
「はい、Mは私ですが」
と答えました。この人もMさんなんだ。
「いえ、女性じゃなくて男性のMさんなんですが」
そう伝えても、
「 私がMなんです」
と彼女は微笑んでいます。会話が全然噛み合いません。困惑して相手の顔を見つめていると。
……あっ!
思わず息を呑みました。
目の前にいるのは、確かにM先生その人です。
「せ…先生!M先生!」

全てを理解した瞬間、涙があふれだしました。スーパーの袋をぶら下げて突っ立ったまま「そうだったんだ、そうだったんだ」と震える声で繰り返す私を「驚かせてごめんなさいね」と先生は何度も慰めてくれます。
けれどその懐かしい声に私の感情はさらに揺さぶられ、気づけば嗚咽するほど泣いていました。

思い返せば姿を消す少し前から先生の顔は曇りがちで、どこか私達を避けるような雰囲気を漂わせていました。
けれど今目の前にいる先生の表情は見たこともないほど明るく、見違えるほどに堂々としています。
あぁ、先生は幸せなんだ。本当に、本当に良かった!
熱い思いがほとばしり後から後からあふれてきます。

涙が止まらない私を先生はロビーのソファーに案内し、話をする時間をつくってくれました。
「わざわざ会いにきてくれて、本当にありがとう」
「絶対に迷惑になると思って……建物の前まで来ても入る勇気がなくて……」
「迷惑だなんてとんでもない!何年振りでしょう、懐かしいですね。皆さんお元気ですか?」
ハンカチで涙を押さえ、うんうんと頷く私。顔はとっくにぐちゃぐちゃですが、心は徐々に満たされていきます。

オフィスの外まで見送ってもらって帰路に着いたその日の晩、私は先生に長いメールを書きました。
今日は上手く伝えられなかったけれど、先生に出会った頃、自分はどん底をさまよう日々だったこと。帰省して先生の話に耳を傾ける時間が唯一の救いだったこと。そのお陰でどれほど救われたか、ずっと伝えたいと思っていたこと。
思いの丈を綴ったメールには、ほどなくして心のこもった返事が送られてきました。

私はこの出来事をある友人に話しました。
彼女は「会いたい人がいるんなら会いに行けばいいじゃない。迷惑なんて絶対思わないよ」と背中を押してくれた人です。
私の話を聞き終えると、
「良かったね、最高のお手本を見せてもらって」
と友人は言いました。
「お手本?」
「そう。だって、その先生以上に自分らしさを大切にした人、そうそういないと思うよ」
「確かに」

先生は牧師でした。
歴史ある教会を預かって大勢の人々を導き、地域の活動にも積極的に参加し、プライベートでは夫であり父でもありました。
「男らしくなれるかと思って、口髭をはやしてみたりしたんだけど……」
オフィスのソファーに腰かけて、先生はそう苦笑しました。
そんな葛藤を知る由もない私達の無邪気な好意に先生は答え続け、その陰で違和感に苛まれ続けた果てに、今自分が手にしている全てを手放しても自分らしくあることを先生は選んだのでした。
「結局、離婚することになってしまったけど」と前置きした後、
「この間子供たちに会いに行ったら家から出してくれなくて。こんなお父さん恥ずかしいって。二人とも高校生だから、しょうがないけど」
と先生は微笑んでいました。そして、
「大学の同窓会に行ったら、みんな目を丸くしてた」
と可笑しそうに話し、
「これからの人生は、自分と同じような人達を助けるために使いたい」
と続けました。
その言葉に後悔の影は微塵もなく、どこか苦しそうだったかつての先生の姿はもうどこにもありません。
けれど声だけは記憶の中の先生そのままで、この声をどれほど聞きたかったことかと思えば再び涙があふれます。
衝撃の涙はやがて安心と懐かしさの涙へと変わり、久しぶりに再会した先生に甘えるように私はいつまでも泣き続けていました。

この出来事から、すでに十数年がたちました。そして子育てに追われるまま、先生に再び会う機会もなく今に至っています。
けれどあの時「私がMです。びっくりさせてごめんなさいね」と微笑んでいた先生の姿は鮮明に記憶に残っていて、決して色褪せることはありません。
それほど強烈に、本当に自分を大切にするとはどういうことなのか心に刻み込まれた出来事でした。

先生は背負っていました。
牧師という立場になぞらえるなら、自分自身の十字架を。
熟慮の末とは言え、かつての先生が担っていた数々の責任、特に家族に対する責任を問われれば返す言葉もないのかもしれません。
けれどそのことも背負った上で、自分らしく生きることを先生は選びました。
本人だけでなく家族も耐え難い痛みを引き受けたことは想像にかたくありませんし、奥さんにもお子さん達にも言いたいことは山ほどあるでしょう。
けれど、何を置いても自分らしさを最優先しなくてはならない。人生には時に、そんな局面が訪れることもあります。
その局面に全身全霊で向き合った人だけが放つ底知れぬ重みと暖かさを垣間見たこの経験は、自分の人生の宝だと思っています。

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